第7話:契りと鍵
アーヤの頭から「契り」という言葉がはなれない。そして、思考の海に沈み、暗く深いところから抜け出せずにいるような感覚にとらわれていた。
焦点があっていないような視界がふわりと揺れ、意識の奥底に沈んでいた記憶が、サイダーの泡のように浮かび上がってくる。
*****
……どこか……遠く……光も届かない深い闇の中。
けれど、その闇の中には、わずかな温もりを感じる。
誰かが自分の名を呼ぶ声。
低く、優しく、心の奥に直接語りかけてくるような…
『……我が名を忘れても、我は忘れぬ。』
紅い月が、空いっぱいに満ちていた。
そしてその月の下、碧い瞳の男が、アーヤの前に立っていた。
彼の姿はボヤけて曖昧だった。だがその目だけは、鋭く、深く、まるでアーヤの魂の奥を見つめるように銀色に光っていた。
『そなたが選んだ道は……我を封ずるための“契り”』
『だが、そなたの心が、そなたの愛が……我を、閉じ込めてはおけぬ』
アーヤの手が、彼の手に重ねられる。
その手は大きく、そして温かく、どこか哀しみに濡れていた。
『いずれ時は巡る。紅月の下、再び巡り合う時……』
『我らの契りは、運命にさえ抗う。』
*****
「はっ……!?」
アーヤははっと息を呑んで目を見開いた。
ミラが心配そうに覗き込んでいた。
「アーヤ様、大丈夫ですか?」
「……ええ、ごめんなさい。少し……記憶が」
自分でも信じられなかった。
今のは夢?幻? それとも、封印とともに眠っていた過去の記憶……?
アーヤは胸のあたりをそっと押さえた。まだ、その声の温もりが残っている気がした。
ミラがそっと言う。
「“契り”って、もしかして……封印の儀式と、関係があるんでしょうか?」
アーヤは答えず、代わりに視線を封印の書に戻した。
書かれているのは
「紅月のもと、封ぜられし者は再び目覚める」
そして、契り。
何かがつながりかけている。
けれどそれはまだ、深い霧の向こう側だった。
すると、その静けさを破るように、重い足音が書庫の階段を下りてきた。
「……見つけたか、《封印の書》を」
現れたのは、グレイだった。
「……副長。これは……ただの封印じゃないわ。夢で見たこととも重なってるの。」
アーヤの言葉に、グレイはしばらく黙って書を見つめていた
そして、低くつぶやく。
「やはり、“時”が近づいているのか……」
「何か知っているんですか!知っているなら教えてください!」
アーヤが興奮した様子で鋭く問うと、グレイは目を細め、しばらくの沈黙のあとに静かに口を開いた。
「神殿の外れに、“月光の森”と呼ばれる地がある。かつて封印の補助に使われた聖域……その森の中心に、“鍵”の眠る場所があると伝えられている」
「…鍵……」
「君が見たその夢。そして“契り”という言葉。おそらく、すべてはそこに通じている」
グレイの言葉には、確信と、そして何かを恐れるような気配が混じっていた。
「……行ってみるわ。そこに真実があるのなら」
アーヤの目に、迷いはなかった。
その瞳の奥で、碧い輝きがわずかに揺れた。
まるで、誰かの記憶を映し返すかのように。




