第6話 :封印の書
ーー神殿の書庫ーー
「ほら!こっちよ。気をつけて!」
「アーヤ様、待ってください……」
アーヤは急ぎ足で、神殿を出た右手にある、ひっそりと佇む書庫に向かう。
「あったわ。この下ね。」
アーヤが階段を数段降りたところで、ようやくミラが追いついてきた。
「ミラ!階段よ、気をつけて!」
地下に降りる階段を進むと、神殿の限られた人しか入ることのできない、鍵のかかった扉があった。
「はぁ…はぁ……アーヤ様、これを……」
ミラは、グレイから預かった古びた鍵をアーヤに手渡した。
鍵穴に突っ込んだ鍵を、右に一回転半回したところで、扉は「カチャ」っという音がした。
「……開いたわ」
扉を開けると古から保管されている書物が並び、少しカビくさい本の香りが漂う。
「いつから開けてないのかしら。埃がすごいわね」
「なかなか入ることのできない部屋で、ちょっと緊張します」
ミラは自分の緊張を紛らすため小声で言った。
「……神殿は広いけど、ここだけ空気が違うみたいだわ」
アーヤも緊張気味で返す。
アーヤとミラは一歩ずつゆっくりと、書棚へと近づいた。
「かなり埃っぽい……」
「誰も入ってないんですかね」
「この中に"封印"に関するヒントがあるかもしれない」
長年触れられていない書物の背表紙は、薄く埃が積もり、時の流れを物語っている。
ミラは眉を寄せてアーヤを見た。
「……封印の件ですけど、やっぱり……ただの揺らぎじゃないんですかね?」
アーヤはわずかに頷く。
「“何か”が動いてるのは間違いないわ。封印の綻びは偶然じゃない……。それに、夢で見たことも気になってるの」
「……夢って、あの……魔王の?」
アーヤは黙って目を伏せた。
あの夜、赤く染まった空と碧い瞳をした男……
あれがただの夢だと言い聞かせるには、あまりにも鮮明で、あまりにも現実的だった。
(夢の中で見たあの瞳……言葉……。それは、私の中の何かを呼び覚まそうとしていた)
「とにかく、“紅い月”や“封印”に関する文献を探してみましょう」
「はい」
「ミラはそっちを探して、わたしはこっちを探すわ」
アーヤは気を取り直し、指先で古びた書の背を撫でるように辿った。
ミラもそれに倣い、棚の反対側へと移動して本を探し始める。
二人の歩く音だけが響く静寂な時間。
だがその沈黙は、やがて一冊の本の存在によって、破られることとなる。
「……アーヤ様、これ……見てください」
ミラの声が、わずかに震えていた。
手にしていたのは、革張りの重厚な書物。装丁には刻まれたアルディナ紋章の下に、かすれた金文字で何か書かれている。
アーヤはミラから本を受け取ると、金文字のほこりを手でかるくはたいた。
《ー封印の書ー》
「これは……」
「アーヤ様、開いてみてください」
アーヤがミラに促され、そっとページを開いた瞬間、彼女の中で、何かが軋むように揺れた。
(ーートクンーー)
アーヤの心臓が鳴る。
それはまるで、長く閉ざされていた“記憶の扉”が、いま静かに開き始めた合図のようだった。
「あの碧い瞳の男が魔王だとしたら、何かそれにつながる手がかりがあるはず……」
アーヤがそっとページをめくるたびに、乾いた紙の音が微かに響く。
「情報がありすぎて、しかも古代語って……」
その本の文字はすべて古代語で記され、一見すると意味が取りづらい。
「ちょっと時間かかりますかね……」
「そうね、古代語はちょっと……」
アーヤは、持っている能力を駆使しながらも、どこかで見覚えがあるような、不思議な既視感が頭の中に広がっていた。
「これは!?」
華奢で繊細な彼女の指が、一つの文に止まる。
《紅月……現れし…時……封ぜられし者……目覚めん》
「“封ぜられし者”……って、まさか……」
ミラが小さく声を漏らす。
アーヤはだまって唇を噛みしめながらページをめくり続ける。
その先には、封印に使われた“神の力”と、儀式と思われる構図、さらには魔族の王に関する記述が続いていた。
「神は、紅月の魔王を星鎖にて縛め、永き眠りへと追いやれり」
「これって……」
そこに描かれた絵は、神殿の奥にある封印の間そのものだった。
しかしアーヤはひとつの文章に注目したあと、落胆したかのような声で言った。
「この“封印”……完全なものじゃなかったみたい」
「どういうことですか?」
「ここに書かれてる。“封印の術は完全ではない。紅月の力が満ちるとき、封ぜられし者は再び目覚めるだろう”……」
ミラは少し間をおいて、アーヤの言葉を飲み込んだ。そして驚きとともに息をのむ。
「じゃあ、あの震えも、封印の綻びじゃなくて――目覚めの兆し……?」
アーヤはゆっくり頷いた。
「きっとそうだと思うわ。何かが目覚めようとしているんだわ。そんな気がするの。」
アーヤの胸はざわめきでいっぱいになった。自分が見た夢、あの紅い月と碧い瞳――すべてが繋がり始めている。
読み進めた先には、古びた図案が描かれていた。
それは円環を中心に、印が刻まれた六芒星。そして、中央には一つの名が、ぼんやりと薄れて読み取れない文字で刻まれている。
「この中央の名……カ…ザ……?」
アーヤは無意識にその名に触れそうになった瞬間、ページがふいに風もないのに捲られ、バサリと最後のページが開かれる。
そこには、真っ赤な文字で、こう記されていた。
《鍵は“契り”にあり》
「……“契り”?」
その言葉が、アーヤの奥にある記憶を呼び覚ます鍵なのかもしれない。
アーヤはふとそう感じた。




