第4話:封印の綻び(前編)
朝の支度を終え、アーヤはいつものように神殿へと向かう。
「今日はいい天気だわ」
「何かしら、この匂い。どこかで嗅いだことがあるような……」
心地よい風が、季節の香りを運んでくる。
「いってきまーす!」
子供たちを学校へ送り出し、レオンに笑顔で手を振りながらも、陽気な雰囲気とは裏腹に、アーヤの胸の奥のざわめきは消えない。
――あの夢。
男の声、紅い月、そして「契約は果たされる」という謎の言葉。
(あれはいったい誰なんだろう、なぜわたしに話しかけるの……)
アーヤは、日に日に強くなる感情を握りしめながら、いつもとは違う気持ちで神殿に向かった。
重厚な神殿の扉は、今の感情とリンクしてるかのように重く、少し開けるのをためらわせる。
スッキリとしない気持ちで扉を開けると、いつもと変わらない匂いが吹き抜ける。
「おはようございます……」
「あっ、アーヤ様、おはようございます。」
見習いの修行僧が掃除をしながら丁寧に応えた。
「いつもご苦労さま。今日もピカピカね。」
「ありがとうございます。まだまだ修行が足りません……」
何気ない普段の会話を交わしながら足を踏み入れた神殿だが、どこかいつもと違う空気が肌を撫でた。
冷たくて重たい、まるで、見えない何かが空間を歪ませているような感覚...
アーヤは感じた
(……やはり、ただの夢じゃない)
そして、奥の封印の間へとゆっくりと進んだ。
古くからこの地に封じられている“何か”――その封印石がある場所だ。
「日に日に気持ちが重くなっていくわ」
広間の高窓から差し込む光だけが、この先の希望を感じさせる。
静まり返った通路を歩くと、乾いた空間にコツコツと足音だけが響く。
不気味に閉ざされた扉に手をかけ、おそるおそる向こう側に押すと、扉はほんのわずかに軋んだ音とともに意外と簡単に開いた。
(あれ?……誰かいるのかしら?)
アーヤの鼓動が高鳴る。
そして、何かに導かれるように前に進む。
ーー封印の間
「うっ、寒っ!」
封印の間は、薄暗くて肌寒い。
最初の目に飛び込んできたのは、部屋の奥にある巨大な壁画だった。
「あの壁画……石の前で誰か祈りを捧げてるみたい……」
そして部屋の中央にある円形のステージには、何かの儀式のためか、六芒星が描かれている。
それは、昔からずっとそこにあるものとしての存在感が半端なかった。
「いったいこれは何なの?」
そして、その上に鎮座する、まるで息を潜める獣のような黒光りした石。
「この石……なにか胸が締め付けられる感じがする……」
アーヤはそっと石に近づき、その表面を見つめた。
異様な雰囲気が漂う黒い石には、微かな亀裂が走っていた。
「割れてる……?」
「とりあえず状態を見てみないと……」
彼女は、数年前に記録された封印と照らし合わせるように、石に手をかざした。
「聖なる光よ、流れ行く時の声を示し、我が手にその姿を示せ」
神聖術の光が浮かび上がり、亀裂の中に、紅く脈打つ“何か”が見えた。
「やっぱり何か動いてるわ……」
「どうしよう……」
アーヤはしばらく考えた。
考えがまとまらず、もやもやしていたそのとき、扉のある背後から甲高い声がかかった。
「アーヤ様、何をなさっているのですか?」
振り返ると、神殿付きの学僧・ミラが立っていた。若く、まだ未熟だが、誠実な目をしている。
「ミラ……少し気になることがあって。記録と照合したの。この封印、かすかに“動いてる”わ。あなたこそ、ここで何をしているの?」
ミラはわずかに下を向きながら答えた。
「グレイ副長に頼まれて、時々石の状態を見に来てるんです」
「そうなの、ご苦労さま。あっ、ちょっと教えて。ほら、ここ、ひび割れてるでしょ?これはずっとこうなのかな?」
ミラは驚いたように目を見開いた。
「それは……まさか!昨日まではありませんでした!もしかしたら………」
アーヤは驚き、改めて石を見つめた。
「グレイ副長にご報告申し上げないと。もしかしたら大変なことになるかもしれません。アーヤ様もこの場を早く離れたほうがよいかと思います」
ミラはそう言って、足早にグレイのもとへ向かった。
「過去に何があったのか……今こそ、知らなければならない気がするわ」
アーヤはミラの後を追うように封印の間を後にした。




