第10話:忍び寄る影
誰もがしばらく言葉を失い、ただ静かに薄暗い森を歩いていた。
三人の足跡だけが聞こえる。
さきほどまで見ていた光景――それが“記憶”なのか、“幻”なのか、それとも“啓示”なのか――その輪郭すら曖昧なまま、空気だけが確かに変わっていた。
「……あれは、いったい……」
ミラの声が森に溶けていくようにか細く響く。
「神殿の奥にあった壁画……祈りの言葉……封印の石……全部、繋がってる気がする……」
彼女は無意識に胸元を握りしめ、目を伏せた。
「リューネは……何かを伝えようとしていた。あの結晶と、歌と……私たちに何かを託したような……」
アーヤの言葉に、グレイはゆっくりと頷いた。
「……“月が満ちる夜、封印が揺らぐ”……古の文に、そう記されている」
グレイが視線を落とした先には、霧が晴れてクリアになった森の道と、ほんのわずかに残る光の粒だけが漂っていた。
「この森の奥に、“封印の鍵”と呼ばれる遺跡があると聞いた。それを目指すつもりだった。だが……まさか精霊に導かれるとは思っていなかった」
彼の口調には、これまでにない柔らかさと、わずかな迷いが滲んでいた。
「もしかしたら"鍵"って……」
アーヤが口を開いた後、風が肌を撫でるように流れ、光の粒がふわりと宙に舞った。
「さよなら、また会うときまで……森の夢を忘れないでね」
空気に染み込むような声が、誰の耳にも、たしかに届いた。
「リューネ!」
アーヤが咄嗟に呼んだ精霊は、あたりを見回しても、その姿はなかった。ただ月の光だけが、静かに地上を照らしていた。
「リューネ……あなたは何を伝えたいの……それとも……」
アーヤは、リューネが自分たちの未来を知っているように思えた。
「……急ごう」
グレイが小さく呟くように言った。
「森の奥にある“封印の鍵”を見つけなければならない。もう、時間がないかもしれない」
「そうですね。急ぎましょう。きっと答えはこの先にあるはずです」
ミラの言葉にアーヤも頷いた。
どこかで何かが動き始めている。
この森の静けさが、むしろそれを強く物語っていた。
三人は再びゆっくりと歩き出す。
夜の森には、奇妙な静寂が広がっていた。唯一、月明かりだけが三人の足元を照らす。
葉擦れの音すら失われた森の中で、アーヤたちは慎重に歩を進めていた。
「静かね……」
「少し薄気味悪いですね……」
「何かあったら、すぐに知らせろ。嫌な予感がする……」
三人は辺りの動きに注意をはらいながら、たんたんと歩を進める。
さきほどリューネと出会ってから、どれくらいの時間が経ったのか――
森の景色はいつしか、同じような光景を繰り返しているように見えた。
「……さっき……この道通らなかった?」
アーヤが不安げに呟く。彼女の顔には、かすかな疲労と困惑の色が浮かんでいた。
「私もいまそう思ってたところです……」
「たしかに。同じような道だな。地形が歪んでいるのか、それとも……俺たちの記憶のほうか」
グレイの声には、普段の冷静さとは違う少し張り詰めたものがあった。
「おかしいな。やはり、何かがおかしい。みんな、油断するなよ」
「……何か違和感を感じるわ」
「なるべくかたまって歩くんだ」
――誰かが見ている。
アーヤは、胸の奥に棘が刺さったかのような違和感を感じながら、背筋に冷たい感覚を這わせていた。
森の空気は湿っているのに、喉の渇きだけが残る。
「……あれ?」
ミラがふと立ち止まり、振り返った。
「いま、そっちの木……何か動きませんでした?」
アーヤとグレイも即座に身構え、ミラが指差す方へ視線を向ける。
「何?どこだ!」
「ほら、そこです。その木……」
しかしそこには、ゆらゆらと揺れる枝葉と、静かな月光のよってできた影が揺らめいているだけだった。
風は吹いていない。虫の声も、鳥の囀りも聞こえない。
まったく音がない……
「この雰囲気……何かが、おかしい」
グレイが低く言った。
「なんだか森が……生きているように感じる」
アーヤの言葉に、ミラがそっと寄り添うように歩み寄ってきた。
「さっきから、頭の奥がざわざわして……誰かの声が……夢の中みたいに……」
その瞬間だった。
ミラの足元から黒い“染み”のようなものが滲み出し、地を這うように広がり始めた。
「ミラ、下がって!」
アーヤが叫んだが時はすでに遅かった。
黒い影はミラの足に絡みつき、彼女の体から力を奪うようにその気配を強めていく。
「……っ、な、なに、これ……!誰か……助けて……」
ミラの瞳が揺れ、焦点を失っていく。
「こいつ!」
グレイが剣を抜き、右上段から黒い影に切りかかった。
だが、刃は、手応えもなくすり抜けた。
「なんだ!こいつは!……くぞッ!」
グレイの渾身の斬撃でも影に触れることすらできず、むなしくただ空気を切り裂くだけだった。
「ミラっ!」
アーヤがミラに手を差し伸べようとした瞬間、影が頭の奥底に響くような重低音で“声”を発した。
《……ゆめ……を……くれ……》
森全体が軋むような音を立てる。
まるで空間そのものが、影の言葉に共鳴して振動しているかのようだった。
《……おまえの たいせつなもの……どんな味……》
「いやっ……いやああっ……!」
「ミラっ!」
「こいつ!……何とかしなければ……」
「ミラっ!!」
二人は成す術がなく、見守るしかない
「ミラーーーーーーーっ!!!」
淡い光が揺らめく中、ミラの身体が影にゆっくり包まれていく。冷ややかな黒いシーツはミラの心を完全に侵食した。
彼女の叫びは森の闇に消え、意識は闇の淵へと引きずり込まれていった。
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Z.P.ILY




