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95. 神樹と魔獣

「父上はご存じで?」

「ああ。北部の領主は皆、知っている。魔獣被害が大きいからな」

「なぜ、魔獣の被害と関連が?」

「神樹は、魔獣を引き寄せる」


ヘルマンは端的に続ける。


「神樹は公にはされていないが、樹でありながら魔力を宿す。魔力を帯びた獣を魔獣と呼ぶなら、あれは“魔樹”と呼んでもいい」

「魔樹……」

「この国の宗教では神聖視されるゆえに、その語は好まれないだろうがな。ともあれ、神樹の魔力は餌だ。魔獣は魔力を好んで“食う”。無ければ普通の肉を食うが、在るなら迷わず魔力へ向かう」

「魔力を食べれば食べるほど、体内に魔力が蓄積される」

「だから、あの特殊魔石の近くで取れる通常魔石に“大型”が多い、と」


ノエルの言葉に、ヘルマンが肯う。


「父上、北部に魔獣が多いのは、南部より神樹が多いからですか?」


レオニスが問いを投げる。


「それもあるが、より大きい理由は“大神樹”だ」

「大神樹……」

「一般には非公開だが、規模は大神殿の結界ぎりぎりまであると言われる。強力な結界で包んでなお、溢れる魔力は押さえ込めない。その匂いに釣られて、魔獣が集まる」

「だから、北へ行くほど魔獣が増える」

「元は人を守るために神樹を結界で囲った。さらに、人もまた魔力に惹かれる。ゆえに神樹のある場所には神殿が建ち、結界が運用される――利用を防ぐためでもある」


ナイフの刃が皿の縁を滑り、小さく澄んだ音を立てた。


「おそらく、はるか昔に神樹の群生林があったのだろう」

「それに引き寄せられ、近くから魔獣の骨が出てくる……」

「でも、なぜ群生林が“鉱山”から?」


ミレイユが疑問を添えると、ヘルマンは視線を窓外へ逃がしてから答えた。


「あそこは昔、火山だったと言い伝わる。今は死火山だが、当時の噴火で埋没したのだろう」

「魔石の解析とあわせて、地質調査も必要ですね」

「やってみるといい」


ヘルマンはそこで表情を引き締めた。


「それにしても、神樹とは面倒を引き当てたな」

「神樹は信仰の対象。地中に埋まっていようと、神樹由来だと知れれば神殿は黙らないでしょう」


クラリッサが言葉を継ぎ、扇子を膝に伏せる。


「神殿にとって神樹は神の使い、管理すべきもの。最悪、アーデン領を取りに来る。貴重な資源を持って行かれてはたまらない」

「最終的には王家に判断を仰ぐべきだ。ノエル、内密に王家へ相談できるか?」


ふと、イリオスの顔がよぎる。セリーヌの件で連絡を求めていた。研究の相談程度なら差し支えないはずだ。


「可能だと思います」

「よし。王家への連絡はお前に任せる。我々が動くと大きい。今の王家は神殿一辺倒ではない、判断も公平だろう」

「はい」

「レオニス、鉱山周辺の警備を強化しておけ」

「承知しました、父上」


区切りがつくと、ヘルマンは改めてリヴィアへ向き直る。


「ラヴェルナ嬢、すまんな。愚息と我が領地の事情で迷惑をかける」

「いえ。私にとっても、ノエル様のことは人ごとではございません」

「今回の件は、できればラヴェルナ家にも内密に」

「心得ております」

「ノエル、慎重に動きなさい」


クラリッサの声色が硬くなる。


「この件が神殿に漏れれば、狙われるのはあなたとリヴィアさん。神殿は何としてでも鉱山を取りに来るでしょう」

「……はい」

「最悪、あなたたちの婚約を解かせて、神殿派の家へ嫁がせる――そんなやり口もあり得るわ」

「婚約解消……」


リヴィアの声が細くなる。


「絶対、そんなことにはさせません」


ノエルははっきりと言った。振られた身であろうと、婚約の結末は彼女の意志であってほしい――それは、望みの乏しい彼に残された、最後の足掻きに思えた。燭火がわずかに揺れ、決意の言葉を縁取った。



会話と食事がひと段落し、それぞれはそのまま解散となった。



食事を終え、リヴィアとともに食堂を出ようとしたとき、背後から明るい声が飛んだ。


「リヴィアさん! この後、私の部屋に寄って行かない?」

「え? 伺ってもよろしいのですか?」

「ええ、ぜひ。フィーに会っていってほしいの! あなたも家族になるのだから」

「嬉しいです。じゃあ、ぜひ」


そのまま一行は別館へ向かう。レオニスとノエルも後ろについた。廊下の絨毯は夜の灯で深く沈み、窓の向こうに庭の黒い影が流れる。

歩きながら、ノエルは先ほどの父の話を反芻し、隣の兄に声を落とす。


「……兄上は、魔獣が魔力に引き寄せられることは知っていたのですか?」

「ああ。初陣の前に父上に叩き込まれた」


魔獣が魔力に引き寄せられる――つまり、平民より魔力を多く持つ貴族は、狙われやすい。普段の暮らしで魔獣に遭うことは稀だが、アーデン領では秋から冬にかけて

出没が増える。その討伐は、領主の責務だ。


「やはり、貴族の魔力に寄ってくるのですか?」

「ああ。すごいぞ、奴らは。他の平民の兵士には見向きもせず、真っ直ぐ来る」

「怖くは、なかったのですか?」

「もちろん怖い。けど、領主の務めだ」


レオニスの声色に、覚悟の温度が滲む。ノエルが憧れた背中だ。


「ノエル、お前もしっかり鍛錬は怠るな」

「……はい」

「いざというとき、大事なものを守るために必要な力だ。お前にも――大事なものがあるだろう」

「……そう、ですね」


ノエルは前方を歩く二人――ミレイユと並ぶリヴィアに視線をやる。将来はまだ霞んでいる。それでも、婚約者である間はもちろん、たとえそうでなくなっても、守りたいと思う存在であることは変わらない。


「ノエル、リヴィア嬢と……あまりうまくいってないのか?」


兄が、ノエルにしか聞こえない声で問う。


「……先日、振られまして」

「振られただと?」

「詳しくは、言いたくありません」


(“もうキスはしない”なんて、兄上には死んでも言えない)

不甲斐ない弟だと悟られたくなかった。


「振った相手の実家に挨拶に来るか、普通」

「義務感でも結婚をしてくれるのかなと……」

「うーん……」


レオニスが眉間に皺を寄せ、少し考える。


「俺の気のせいでなければ、リヴィア嬢はお前を好いているように見えるけどな。ちゃんと話したほうがいい」

「……」


わかっている。ただ、その一言が喉でひっかかった。

そんなやり取りのうちに別館へ着き、先日と同じ部屋の扉が開く。


「フィー! ただいま!!」


さっきまで隣にいたはずのレオニスが、弾かれたように走っていく。メイドの腕に抱かれたフィオナは、近づいてくる父を見て笑い、手を伸ばした。レオニスが受け取ると、腕にすっぽり収めてぎゅっと抱きしめる。


「フィーはいつも可愛いなぁ! パパとちゅーしよう!」

「レオニス、やめてちょうだい」


ミレイユがすかさず制し、半ば呆れた目でこちらへ振り返る。


「ごめんなさいね、リヴィアさん。だらしないところを見せてしまって」

「いえ……大丈夫です」

「アーデン家の男は皆こうらしいから、きっとノエルもこうなるわ」

「ノエルが……ふふ、確かに、想像できます」


リヴィアがこちらを見て笑う。

(想像できるのか!?)

ノエルは動揺を隠しきれない。そんな様子など気にも留めず、女性陣の会話は進む。


「さあ、こちらがフィオナよ」

「わぁ……小さくて、かわいい……。フィオナちゃん、リヴィアおばさんですよー」


リヴィアは一歩ずつ距離を詰め、声の高さを自然に下げ、呼吸を合わせる。恐る恐るのようで、動きは手慣れている。


「抱っこしてみてもいいですか?」

「どうぞ」


レオニスからフィーを受け取ると、腕の内側で頭をしっかり支え、揺れを最小限にして抱き上げる。フィオナがくつ、と喉を鳴らして笑った。


「この間のノエルとは、雲泥の差ね」


ミレイユが感心したように漏らす。


「妹たちと歳が離れていたので……小さい子の相手は、割と慣れているんです」

「なるほど。ふふ、フィーも安心して笑っているわね」

「私も“フィーちゃん”って呼んでいいですか?」

「ええ、もちろん」

「フィーちゃん、よろしくね。可愛いですねぇ」


リヴィアは小さく揺らし、頬を寄せる。粉ミルクの甘い匂いが、ふっと空気に溶けた。――母と子、の絵面だ、とノエルは息を呑む。

(天使と……聖母か)

この光景を、目に焼き付けておきたい。


「ノエル、もう少し顔をなんとかしろ」


いつの間にか横に来ていたレオニスが、小声で刺す。


「そんなにベタ惚れなのに……お前ときたら、なあ」


さっきの会話を思い返しているのだろう。

確かに、宿での再会以降の彼女の柔らかさと、“キスはしない”の捻れを、ノエルはまだ解けずにいる。要するに、話し合いが足りないのだ。


(でも――リヴィアの口から“真実”を聞くのが怖い)


彼女と歩けない未来に手を触れるのが、怖くて仕方ない。昨年の式典、背を向けて去っていく夢を何度も見た。


しかし――


ノエルは小さく息を吸い、リヴィアがフィオナの頬を指先でつついて笑わせる横顔を見つめた。

この光景を現実に、未来の日常にしたいなら、その一歩は自分が踏み出すしかないのもまた、事実だった。


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