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92. 採掘現場

眠れぬまま夜を明かしたノエルは、馬車に揺られていた。向かいに座るリヴィアは、清々しい表情を浮かべている。


「アーデン領は本当に涼しくて快適ですね」

「高山地帯なので、冬は厳しいですけど」

「確かに、雪が深く積もりそうです」


そんな他愛のない会話を交わしながら、馬車は鉱山へと進んでいく。

一晩中煩悩と格闘していたノエルの精神はすっかり疲弊していたが、リヴィアの表情はよく眠れたのか晴れやかだった。


「ノエルは、眠れなかったのですか?」

「……ええ、まあ」

「枕が変わると眠れなくなっちゃうこと、ありますものね」

「……そうですね」

(いや、そういう理由じゃないんだけどな……)


心の中で否定しつつも、口には出せずに苦笑する。

今日のリヴィアは、鉱山に入ることを考えてか露出を控えた装いだった。膝下丈の濃紺のスカートに、爽やかな白のシャツ。髪は邪魔にならぬよう一つにまとめられ、白く細い頸が際立っている。その姿は凛々しさを引き立て、どこか神々しさすら漂わせていた。


(何を着ても似合うなんて……女神か)


寝不足の頭は妙な感想にまで至ってしまう。


「ノエル、眠いなら少し休んでいてもいいですよ」

「いえ、大丈夫です……」


そう言ったものの、疲労には抗えず、ノエルはほどなくして眠りに落ちていた。



「ノエル、着きましたよ」


柔らかな声と、手のぬくもりに揺すられて、ノエルは目を開けた。

視界の端には、彼の手にそっと重ねられたリヴィアの手。その向こうから、心配そうに覗き込む彼女の顔がある。


(……え、なにこれ。どういう状況だ?)

「……っ、す、すみません!」


慌てて体を起こすと、どうやら眠っている間にリヴィアの肩にもたれていたらしい。

頬が熱くなるのを自覚しながら、思わず問いかける。


「あれ……リヴィア、向かいの席に座ってましたよね?」

「はい。でも、ノエルが倒れそうになったので、隣に移ったんです」

「で……僕は、そのまま寄りかかって寝ていたと」


なんという失態。しかも婚約者相手に。


「重かったですよね? 本当にすみません」

「いえ。むしろ……安心しました。ぐっすり眠れているようでしたから」


涼やかな微笑みに、返す言葉が喉に詰まる。

確かに、頭は驚くほど軽くなっていた。眠気はまだ残るが、心の奥にあった重さがどこか和らいでいる。


「到着したようです。参りましょうか」

「……はい」


リヴィアが先に馬車を降りる。

濃紺のスカートと白いシャツの装いが陽光に映え、爽やかさと凛とした気品を同時に纏っていた。差し出された手に、ノエルは戸惑いながらも手を重ねる。ただそれだけの仕草なのに、胸の鼓動が落ち着かない。


(寝たら冷静になれるはずだったのに……逆に眩しさが増してる……)


自嘲するように心で呟きながら、彼も馬車を降り立った。



鉱山は休鉱日とあって、辺りは静まり返っていた。

迎えに出てきたのは、この鉱山の管理を任されている平民の男一人だけだった。


「お聞きしていたのは男性お一人でしたが……」

「もう一人追加でもよろしいでしょうか?」

「はい。ただ、中は足場が悪く暗いので……お嬢様には少々厳しいかと」

「大丈夫です」


きっぱりと答えるリヴィアに、案内人は目を瞬かせたあと、苦笑まじりに頷いた。


「それと……先日、一部の魔石が魔力に反応して爆発するため、気をつけるようにと御触れがありました。我ら平民は魔力を持たぬゆえ問題ありませんが、貴族の方はお気をつけください。つい先日も、鉱山内で軽い爆発がありましたので」

「被害は出なかったのですか?」

「ええ、幸いにも、流された魔力が微量だったとのことで」

「それはよかったです」


おそらく、御触れ自体はノエルの報告を受けて父ヘルマンが出したものだ。

平民でも微量に魔力をもつものはいるため、採掘者の中に誰かがいたのだろう。

かつて魔石の暴走に巻き込まれ、全身を打ちつけられた時の感覚が甦った。


「こちらが鉱山の入り口です」


二人は案内され、坑道へと足を踏み入れた。



中はひんやりと湿った空気に包まれていた。

壁に等間隔で設けられた魔導灯がかろうじて通路を照らしているが、その光は心もとない。闇が頭上から覆いかぶさってくるようで、しんとした静けさが耳を圧迫した。

最初はリヴィアがノエルの手を引いていた。

しかし進むうちに、彼女の指先がじわりと強張っていくのをノエルは感じ取る。


(……暗いところが苦手だって、言ってたな)


昨夜の会話を思い出し、ノエルは自然に歩調を合わせて立ち位置を入れ替えた。

彼女の手を包み、進む方向を示すように軽く導く。リヴィアは驚いたように一瞬息を呑んだが、すぐにそのまま従った。

まだ力はこもっていたが、彼女の歩みは徐々に落ち着きを取り戻していく。魔導灯の淡い光に照らされて、互いの影が坑道の壁に寄り添うように揺れた。

「元々ここは金属鉱山でしたが、掘り進めるうちに魔石が集中して出る場所が見つかったのです。入口からは少々歩きます」


案内人は足音を響かせながら、薄暗い坑道を進みつつ説明を続ける。


「魔石が取れ始めたのは、ここ数年でしたか?」

「二、三年ほど前からでしょう。最初は正体が分からず、捨ててしまっていたのです」

「確か……領主の視察で発覚したのですよね?」

「はい。気づけなかった我々は、その際謝罪しました」

「平民の方に魔石の見分けは難しいですから。仕方のないことです」


リヴィアの穏やかな声に、案内人は安堵の笑みを浮かべた。

やがて、通路が大きく開けた空間に出る。


「ここが例の魔石が最初に見つかった場所です」

「随分広い……まるでドームのようですね」

「魔石が採れる方向へ掘り進めていった結果、この形になりました」

「取れなくなったところで採掘はやめているのですか?」

「ええ、そこから先掘り進めても取れないのは、他の場所で確認済みですので」


ドーム状の空間だからか、より声が響いてくる。


「この場所の近くでは、より良質な魔石が採掘されるのです。通常よりも大きな魔石が取れておりまして」

「通常よりも、大きな魔石ですか」

「はい。一緒に撮れる魔獣の骨も大きいので、より大きい個体が多かったのではないかと」



「さらに奥へご案内します」


案内人は、先に進み始める。


「リヴィア、大丈夫ですか?」

「ええ。灯りもありますし……ノエルが手を握ってくれているので」


小さく答える声に、ノエルの胸が不意に熱を帯びる。


(何それ……可愛すぎるだろ)


手の中の温もりを意識しすぎないようにしながら、さらに暗く狭い坑道を進んだ。




「こちらが現在の最深部です」


案内人が足を止めた。

そこには、深い青の魔石が一本の線を描き、柱のようになって天井に向かって続いていた。線の外側は薄い色の魔石に変化しており、まるで大地に走る脈動のようだった。


「……この真ん中の色。以前、計測で通常の百二十倍の値を出した魔石と同じですね」

「外側に行けば行くほど薄いので、以前の分析にそうと外側ほど魔力量が少なくなりそうですね」

「そうですね。外側にいくにつれて、魔石の内包する魔力量も少なくなっていそうです」


リヴィアが魔石から漏れ出る魔力量の差を確認しているのだろう。


「この線は、通常もっと上まで続いているのですか?」

「はい。後1メートルほどでしょうか。そのあとは、先ほどの空間のようにドーム上に広がっています」


案内人が丁寧に答える。どうやら、これを掘り進めていくと先ほどのような空間になるらしい。


「ここから、ドーム上に……」


リヴィアがじっと魔石を見つめ、低く囁いた。


「この形……円柱状で、上に行くにつれて広がっている。……ノエル、木に似ていると思いませんか?」

「木……? 外に生えているような?」

「はい。円柱上の幹があって、そして上方にドーム上に枝葉が広がるように見えるなと」

「でも、木が魔力を持っているなんて、聞いたことありませんが」

「実は私、一つだけ心当たりがあるんです」


彼女の声音が、少しだけ震えた。


「……神樹なのではないでしょうか」

「神樹……?」


神樹とは、神殿で祀られている木だ。

基本は聖職者のみしか入ることができない神殿の奥にあり、結界を張って厳重に管理されていると聞いている。


「リヴィアは、神樹を見たことがあるんですか?」

「実は、去年の式典の時に一度だけ見たんです。式典の際に禊を受けるために中に通されて。その時に、神樹を見たんです。神樹は、薄く青く光っていて幻想的でしたが、それ以上に驚いていたのは、魔力の流れがあったことです」

「神樹が魔力を持つなんて、知りませんでした」

「その時はあまり気にしていなかったんですが、これを見ると、そうなんじゃないかと思って……」

「では……これは本物の神樹……?」

「なぜこんなところに埋まっているのかは、私にも分かりません」


二人が言葉を失って立ち尽くしていると、遠慮がちに案内人が声をかけた。


「あの、おぼっちゃま方、そろそろよろしいでしょうか? だいぶ深くまで来てしまったので、引き返さないとお約束の時間に間に合わなくなってしまいます」


約束の時間、というのは今日宿に夕食の時間までに到着できるために、御者に指定された時間だった。

ハッとして顔を見合わせるノエルとリヴィア。危うく時間を忘れるほど、この光景は圧倒的だった。


「観察は十分できましたし……今日は戻りましょう」

「ええ、そうしましょう」


二人は頷き合い、案内人に従って再び地上を目指した。

天へと伸びる青の柱は、まるで眠りから目覚める巨木のように、静かに大地を震わせていた。

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