90. ガールズトーク2(リヴィア視点)
セリーヌは宣言通り、翌々日には出発した。
用意されたのはラヴェルナ家製の最新式の馬車。父アランが気を利かせたらしい。速度補助の魔術式が刻まれており、馬に負担をかけずに走れる。
通常なら三日かかる道程も、二日で目的地に着けるという優れ物だった。
二日目の今日。明日には避暑地に到着する。
揺れは驚くほど少なく、まるで地面の上を滑っているようで――時折、本当に馬車に乗っているのか不安になるほどだ。
(……父様の新作は、やっぱりすごいわね)
そう感心しながらも、リヴィアは隣に座るセリーヌの横顔を盗み見る。
この旅で、彼女の「本心」を確かめようと決めていた。けれど、観察を重ねても――セリーヌはいつものセリーヌだった。
魔石やノルゼアについて、それとなく話題を振ってみても、特に怪しい反応はない。
ただひとつ、旅先を選んだ「ある人」については、頑なに明かそうとしなかった。
道中はいくつかの街に寄り、観光も楽しんだ。
リヴィアにとって、少女時代からの遠出はほとんどない。セレスティアへの留学は特別だったから、こうして友人たちと旅をするのは初めての経験に近かった。
北西へ向かう道は、ラヴェルナ領とはまるで景色が違う。
針葉樹の森を抜けると、城壁に囲まれた街が現れる。
分厚い石壁は威圧感すらあり、魔物の脅威がこの地方にどれほど根深いかを物語っていた。
「北部の街は、どこも似た造りね」
セリーヌが窓から外を眺め、軽く呟いた。
「セリーヌは他の街にも行ったことがあるの?」
「ええ。留学する前にね、北部のエルセリアに寄ったの」
「神殿都市……ですか?」
「そう。信仰心はゼロだけど、一度は大神樹を見てみたくて」
「でも一般公開されていないでしょう?」
「まあね。でも神殿の巨大さは圧巻だったわ。結界の輝きは神殿全体を覆っていたもの」
「……さすが神殿都市」
会話に相槌を打っていると、不意にアメリアが口を開いた。
「……わたくしは、王都から一度も出たことがなくて」
「え? 意外ね」
「五歳で婚約してから、次期公爵夫人の教育に追われていましたから。それに……」
アメリアはほんの少し声を落とす。
「……レオン様が、どこにも行かれなかったので」
「ふふ、確かに観光なんて興味なさそうだものね」
セリーヌが笑う。
「それなのに、今回はよく来ようと思ったわね?」
「……少し、距離を置かなければならないと思ったんです」
リヴィアは思わず息をのんだ。
アメリアがレオンとの関係を口にするなど滅多にないことだ。
彼女にとって最優先は常に公爵家、そしてレオンであったはずなのに――。
「何があったんですか?」
「……それは――」
続きを聞くより早く、馬車がぎしりと止まり、扉がノックされた。
「お嬢様方、ご指定の目的地に到着しました」
「アメリア、後で詳しく話してね?」
「……話すべきなのかしら」
セリーヌの軽い調子とは対照的に、アメリアの呟きは重く沈んでいた。
外に出たリヴィアは、宿に着いたのだろうと思っていた。
しかし目の前にあったのは立派な洋裁店。思わず足を止め、隣を見ると、アメリアも同じように目を丸くしていた。
どうやら――犯人はセリーヌらしい。
「セリーヌ?」
「だって、リヴィアとアメリアの服装、硬すぎると思うのよね」
胸を張ってそう言うセリーヌに、リヴィアは反射的に自分の服を見下ろす。
半袖とはいえ足首までの丈のスカートに、簡易コルセットを締めた典型的な貴族令嬢の装い。
「硬すぎる」と言われる筋合いはない……はずだった。
「これしか持ってきてないし、この国では普通の服装よ?」
「この国の“貴族”では、でしょ? 今回は女の子だけの旅なんだから、もっと弾けてもいいと思うの」
「弾けるって……」
「だからこその、ここ!」
言うが早いか、セリーヌは洋裁店に突撃する。
リヴィアとアメリアも半ば引きずられる形で中に入った。
店内では上品な店員たちが待ち構えていた。
「お待ちしておりました、お嬢様方。本日は軽装のお召し物をご希望と伺っております」
「ええ、急な注文でごめんなさいね」
「いえ、美しいお嬢様方にお仕立てできるのは光栄でございます」
セリーヌは慣れた様子で挨拶を交わし、店の奥へ進む。
「ちょ、ちょっとセリーヌ! いつの間に来ることにしていたの?」
「昨日あなたたちの服を見てすぐ。早馬で連絡しておいたの」
「……全然気づかなかったわ」
リヴィアは呆れながらも、こういう抜け目を改めて実感し、思わず警戒してしまう。
「さあ、選ぶわよ! 買わないなんて許さないから」
悪魔のような笑みを浮かべるセリーヌに背中を押され、リヴィアとアメリアは観念した。
数刻後――。
リヴィアとアメリアの旅支度は、丸ごと入れ替えられていた。
「こんなに要らない」「終わったら着ない」と何度も訴えたが、セリーヌの勢いに押し切られたのだ。
しかも、持ってきた服は全部馬車に積み込まれ、実家へ返送済み。逃げ場は完全に断たれている。
それでも、三人で色違いの服を選んだ時には、リヴィアもつい嬉しさを感じてしまった。
……中には、普段より露出の多いお揃いの寝間着まで含まれていたのだが。
(……これ、絶対セリーヌの趣味よね)
頬を赤く染めながらも、体に馴染む柔らかな生地の心地よさには思わずうっとりする。
丈は短いけれど、窓から見える平民の少女たちの服装の方がよほど大胆だ。大丈夫、問題ない――そう自分に言い聞かせる。
別にノエルに会うわけでもないのだ。
最初こそ抵抗を覚えたものの、次第に心が弾み、結局リヴィアも新しい装いを受け入れていた。
こうして三人は、ようやく宿へ向かうのだった。
*
宿に着いたあと、夕食と入浴を済ませた三人は、そろってベッドに腰を並べていた。
先ほど洋裁店で買わされた――いや、買わされたと言うしかない――お揃いの寝間着姿。
露出が多くて最初は気恥ずかしかったが、三人同じなら不思議と気にならなかった。
「それでアメリア、馬車の話の続き。何があったの?」
「……忘れてなかったんですのね」
「当然でしょ!」
「話してもいいものかしら……」
「いいのよ、私たちだけの内緒にするから!」
セリーヌがぐいぐい詰め寄る。元々セレスティアで散々恋バナをし慣れているセリーヌは、アメリアに対しても遠慮はなかった。
少し強引すぎる気もしたが――リヴィアも正直気になっていたため、止める気にはなれなかった。
「じゃあ……実は、レオン様と……キスを」
「……ええ!? いつ!?」
「お誕生日の日です」
「どっちから?」
「……あちらから」
「信じられない! あの堅物が!?」
セリーヌのツッコミが鋭い。
恋バナの空気にリヴィアは思わず頬を赤らめる。セレスティア時代を思い出すような懐かしさが胸に広がっていた。
「それから、ことあるごとにキスをされるようになりまして。さすがに、貞操の危機を感じましたので……少し距離を置きたくなって」
「……レオン様って、意外と情熱的なんですね」
リヴィアは驚きを隠せなかった。
淡白にしか見えなかったレオンに、そんな一面があったなんて。
(もしかして……最近ちょっと甘くなった気がしたのは、そのせい?)
「セリーヌいかがなんですか? ユリオとは」
「言っておくけど、彼とどうこうなろうっていう気持ちは私にはないわよ」
「でも向こうはそう思っていないでしょ? それに、一緒に出かけたりしてるって聞いたわ」
リヴィアとアメリアの追及に、セリーヌがため息をつく。
「平民街に行くときに付き合ってくれるのが彼くらいだからよ。……それだけ」
「平民街に? ずいぶん気軽ね」
「好きなのよ。気楽だし」
「じゃあ、正直なところ――ユリオのこと、どう思ってるんですか?」
アメリアが直球を投げた。
「……どうこうなる気はないわ。本当に。そもそも私の家は厳格で、他国の、しかも家格が下の人間なんて論外だし」
「そう……」
「それにね、彼とは“理想”が似すぎてるのよ。息が合うけど、同じ方向を見すぎてぶつかる。ずっと一緒にはいられないわ」
「理想が似てたらいいじゃない、って思うけど」
「似すぎは毒になるのよ」
そう言ってピシャリと会話を切り上げた。
「で、リヴィアは? ノエルとは、その後キスしてないでしょうね?」
「え……? ええ。ノエルにも“もうキスしない”って伝えました」
正直に答える。
「ノエル、御愁傷様……」
「ふふっ、くく……! ああ、面白すぎる!」
セリーヌがベッドの上で転げ回って笑った。
「わ、私……間違った?」
「いいえ! それでこそリヴィアだわ!」
まだ笑いながらも、セリーヌの目は優しかった。
「でも、ちゃんと話し合った方がいいですわよ」
アメリアは呆れ混じりに釘を刺す。
やがて笑い声も落ち着き、三人で窓の外を眺めた。
大きな満月が街を淡く照らしている。
「……綺麗ね」
セリーヌが呟く。
「卒業したら、もうこんな旅もできないのね」
リヴィアがぽつりと返す。
「またすればいいじゃない」
「でも、セリーヌはノルゼアに帰るでしょう?」
「さあ、どうかしら。でも、またすればいいのよ」
「……そうね」
アメリアも微笑み、三人の視線が重なる。その一瞬だけ、リヴィアは胸の奥の疑念を忘れた。
――この人が、私を騙しているなんて。
やっぱり、考えられない。
セレスティアでの孤独を塗り替えてくれた親友。
笑ってくれるだけで救われた大切な存在。
(……私には、セリーヌを疑うことなんてできない)
王都に戻ったら、ノエルに伝えよう。セリーヌを信じる、というリヴィア自身の気持ちを。
理解してもらわなければならない。
そう、心に決めながら――リヴィアは月明かりに照らされる夜を見上げていた。
そして翌日。リヴィアは、思いの外その決心を話す機会に恵まれたのだった。




