9. 期待と魔石
魔術理論応用の講義が始まる前から、教室はいつもよりざわついていた。
今日は、生徒各自が持参した魔石を使って簡易術式を展開する特別授業だ。
僕も、先日用意していた魔石をいくつか鞄から取り出す。
その中に、澄んだ青に光る、小さな魔石もあった。アーデン領の新しい鉱脈で採れた、未分類の魔石だった。
「おっ、それ、前話していた他と違う魔石か?」
隣からユリオが身を乗り出してくる。
「ああ。実家から『性質を調べてこい』って渡されてさ。
実家じゃ解析してる余裕がないらしい。」
そう答えながら、僕は魔石を机に置いた。
それを見たレオンも、興味深そうに覗き込む。
「……普通の魔石と、色だけじゃなくてちょっと感触違うな。脈打ってるみたいだ」
「だろ? 俺も最初、見たとき違和感あった」
魔力がただ“封じられている”だけじゃない──そんな不思議な気配が、確かにそこにあった。
そんなやりとりをしていると、近くを通った教授が足を止めた。
「ほう、それは……。珍しい魔石だな。」
教授が興味深そうに魔石を覗き込み、顎に手を当てる。
「面白い。今日の演習で使ってみなさい。」
許可が出たことで、ふと気づくと、こちらへ向かってくる気配があった。
「ご一緒できること、嬉しく思います。ノエル様」
リヴィアが、いつもの完璧な笑みとともに歩み寄ってきた。
「こちらこそ、リヴィア嬢。よろしくお願いします」
僕は自然に立ち上がり、椅子を引いてエスコートした。
──よし、今日はエスコートできた。
心の中でガッツポーズをした。
一体何に対するガッツポーズなのか、自分で突っ込むのはやめた。
魔石をそっと中央に置き、リヴィアと向かい合う。
隣のテーブルでは、レオンとユリオが早速準備を始めていた。
リヴィアが机の上にそっと置いた魔石に、自然と目が引かれた。彼女の動きはいつもながら落ち着いていて、どこか儀式めいて見える。
「今回は、ご用意いただきありがとうございます」
「いえ、当然のことです」
声を交わすたびに、どこか背筋が伸びるのを感じる。言葉は丁寧なのに、リヴィアの目はまっすぐで、ごまかしがきかない。
彼女は青い魔石に目を留め、首をかしげた。
「その魔石は……なんだか他の魔石と違いますね?」
「ええ、そうなんです。先日、実家から解析しろと送られてきたものでして。せっかくなので試しに持ってきました。ご覧になりますか?」
差し出すと、リヴィアは迷いなく手を伸ばし、魔石を受け取った。
「では、せっかくなので……」
魔石をそっと手のひらにのせ、リヴィアは目を細めて観察を始める。
「これはなかなか興味深い魔石ですね。通常の魔石の色が薄い水色なのに、こちらは深みのある青色で、しかも中心に行くにつれてその色が濃くなっています」
彼女の視線は真剣そのもので、どこか懐かしい研究者のようにも見えた。
「そうなんです。しかも、持ってみるとほんのり暖かいんです」
「確かに……暖かいというか、なんだか魔力が漏れ出ている感覚がしますね」
その言葉に、僕は少し驚いて身を乗り出す。
「漏れ出ている?」
「ええ、留学先で魔力検知の訓練をしたことがありまして。なんとなくですが、魔力の流れが感じ取れます。通常の魔石は魔力を閉じ込めていますが、この青い魔石は常に外へ流れています」
手の中の石を見つめる彼女の目が、どこか憂いを帯びていた。
「加工がうまくできていない可能性は……?」
「なくはありませんが、おそらく石そのものの性質でしょう。原石でも魔力が漏れることはほとんどありません。そもそも魔石は内部に魔力を溜め込む性質があり、魔道具ではそこから魔力を引き出す術式が組み込まれています。
ちょうど今回の課題で扱う部分ですね」
説明の間も、リヴィアの手の中で魔石がかすかに光を返していた。穏やかに脈打つような光が、彼女の横顔を照らす。
「なるほど……」
「加工の方法については、ラヴェルナの得意分野なので、実家に送れば詳細はわかるかもしれませんが……」
リヴィアは丁寧に魔石を返しながら、言葉を選ぶように続けた。
「何もわからない状態でただ送るのは失礼だと思いますし、もう少し解析してからお願いするかもしれません。そのときは、よろしくお願いします」
僕は視線を下げ、魔石を指先でつまみ直す。
たとえ将来婿入りすることが決まっているとしても、まだ僕はアーデン家の人間だ。軽々しく頼りすぎるわけにはいかない。
「ええ、問題ありません」
リヴィアは優しく微笑んだ。
*
通常の魔石を使った最初の演習は、特に問題なく終わった。
術式の安定性も申し分なく、リヴィアの構成設計も正確そのもので、僕たちの成果は上々だったと思う。
「時間、まだ少し余ってますね」
リヴィアが隣でそう言いながら、淡く笑う。
「ですね。……せっかくですし、あの青い魔石、試してみませんか?」
僕がそう提案すると、彼女は一瞬だけ迷う素振りを見せてから、小さく頷いた。
「ええ。やってみましょうか。私も気になります」
僕たちは先ほどと同じ術式をベースに、魔石だけを青いものに差し替えて再展開を始めた。
リヴィアが魔力の流れを設計し、僕がそれを調整しながら、魔導具の内部に流し込んでいく。
最初は、うまくいっているように見えた。
魔石の内部の魔力が吸い込まれていく感触も、他と違うとはいえ、危うさはなかった。
──けれど。
「……っ?」
術式の中心で何かがぶつかるような気配がした、刹那のことだった。
次の瞬間、魔導具が激しい音を立て、まばゆい光を放った。
「リヴィア!」
本能で動いた。
目の前にいたリヴィアに腕を伸ばし、そのまま強く引き寄せる。
驚いたように体をこわばらせた彼女を抱きしめ、僕はその背で衝撃を受け止めた。
蒼白の奔流が眼前を裂き、逃げ場のない衝撃が、背中を叩きつける。
「っ──!」
痛みよりも先に、彼女を傷つけてはいけないという思いが胸を突き抜ける。
ぐっと力を込めて、リヴィアをさらに抱き締めた。
「ノエル様……?」
耳元で、震える声がした。
やがて、魔力の嵐が静かに収まり、僕は彼女をそっと解放した。
リヴィアは僕の腕の中から身体を起こしながら、何とも言えない顔で見上げていた。
その目は、驚きとも、戸惑いともつかない色を湛えていた。
「リヴィア、怪我は!?」
「……はい、大丈夫です」
「よかった……」
彼女の返事を聞いたとたん、身体の奥から力が抜けていく。
気がつけば、目の前が少し揺れていた。
「ノエル様! ご無事ですか!?」
「ノエル! 大丈夫か!?」
レオンや他の生徒たちが駆け寄ってくる声が遠くで響いた。
けれど、頭がふわふわして、思うように返事ができない。
リヴィアが、はっとしたように顔を上げ、僕を見つめた。
「そ、そうです……ノエル様、保健室……」
彼女が何か言いかけて、口をつぐんだのを見て、
その戸惑いを浮かべた顔に、僕はなぜか関係ないことを思った。
──……可愛いなぁ。
「あなたに、怪我がなくてよかった……」
そう呟いたのが最後だった。
意識は、ゆっくりと、闇に沈んでいった。