87. ヘタレの試練
鉱山の見学は明日の予定だし、すでに日は傾き始めている。
ノエルとリヴィアは、とりあえず女子部屋と男子部屋を拠点にして、寝るときだけ同室に入ることで合意した。
なお、ちゃっかり者のユリオが宿の従業員を丸め込み、夕食はリヴィア達と合同で取ることになっている。
それまでの時間、部屋に備え付けられた温泉に入ることになった。
もっとも、知らないもの同士で風呂に入り合う習慣はフェルナディアにはないため、部屋付きの露天風呂に入る形式である。
ユリオは「準備がある」とか言って妙に手間取っていたので、ノエルとレオンが先に入っていた。
ノエルはレオンに聞きたかったことを突っ込むことにした。
「レオン、最近アメリアに過保護じゃないか?」
「過保護って、普通じゃないか?」
「いや、別にアメリアの旅行くらいでわざわざこんなことしなかったろ」
「……」
そう、これまでのレオンの対応を考えると、ノエルを騙してまで旅行中の婚約者に押しかけるようなことは、これまでのレオンには考えられなかった。
黙っているレオンに続けて聞く。
「それに、今まで絶対あんな発言もしてないだろ」
「……アメリアと同室になったら、手を出しそうになるのは事実だからな」
「その結果僕がリヴィアと一緒なんですけどね……?」
「その件については、悪かったと思っている」
「ほんとかよ」
そう言いつつも、はぐらかされた回答を催促する。
「アメリアと何があったんだ? 恋人にでもなったのか?」
「アメリアはもう婚約者だから、恋人なんて肩書きはいらんだろ」
リヴィアと恋人になりたいという願望を抱いているノエルとは対照的だ。
「それは……そうかもしれないけど、何かはあったんだろ」
「……そうだな。誤解が一つ解けたからかもしれん」
「誤解?」
ノエルが深く追及しようとしたとき──隣の浴室から楽しげな声が聞こえてきた。
「思ったより広いお風呂じゃない?」
「こうして一緒に入ると、ノルゼアにいた時を思い出すわね」
「セレスティアには大浴場があったものね」
セリーヌとリヴィアの声だ。
どうやら、彼女たちも隣で入浴しているらしい。
「お二人は、こういう形式のお風呂に慣れていらっしゃるのね」
「ノルゼアはフェルナディアよりも入浴文化が盛んだから、結構慣れてるかも、って」
そこで、セリーヌの声色が変わった。
「わぁ、アメリア。豊かね〜」
(……豊かって、なんだ?)
「余計な肉がついているだけでしてよ。もう少し減ってほしいくらいですわ」
「あら、男性は大きければ大きいほどいいっていうじゃない?」
(あ、これは聞いちゃダメなやつだ)
ノエルは隣のレオンを盗み見る。案の定、渋い顔でこちらを見返してきた。完全に「聞いてはいけない案件」認定らしい。
「着るドレスを選ばなければならなくて面倒なだけですわ。それにレオン様は……興味なさそうですし」
「さっきの様子ではそうでもなかったけどねー」
「……きっと冗談ですわ」
「冗談なんて言う性格だったかしら?」
話題に出された本人に、ノエルが小声で耳打ちする。
「レオンさん、興味ないって言われてますけど」
「……あるに決まってるだろ。男だぞ」
「ですよね」
女性陣の話はさらに続く。
「セリーヌの方こそ引き締まってて羨ましいわ」
「私は出て欲しいところが出てないのよ。そういう意味ではリヴィアが一番バランスいいわよね」
「ちょっとセリーヌ、何見てるのよ」
「ええ、本当に。細いように見えて、意外とあるんですもの」
「ちょっと、二人とも……!」
(いやこれ、ただの拷問だろ……)
ノエルは思わず顔を覆った。
婚約者の体型談義など、絶対に想像してはいけない。だが耳から勝手に入ってくるのだから始末が悪い。
しかもこのあとリヴィアと同室で寝るのだ。余計な妄想を抱えたまま挑むには、あまりに試練が過ぎた。
「……もう、上がるか」
「そうだな」
二人で謎の合意を交わし、風呂を出ようとしたその時だった。
「おーい! やっと準備できたぞー!」
ドアを開けてユリオが入ってきた。手にはなぜか黄色いアヒルの人形。
「えー!? 二人とももう上がんの? 早くない?」
「お前、声がでかいって!」
慌ててしーっと口に指を立てたが、もう手遅れだった。
女性陣に丸聞こえだろう。
「ちょっとー! せっかくアヒルちゃん持ってきたのに!」
ユリオの叫びを背中で聞き流しながら、ノエルとレオンはそそくさと浴室を後にした。
*
「聞き耳していらしたのかしら?」
夕食の時間になり、セリーヌだけ先にやってきた。開口一番がこれである。
「……いいえ、なんのことでしょう」
「なんのことかわからんな」
ノエルとレオンは、事前に打ち合わせていた通り全力で惚けた。
「まあいいわ。――ムッツリスケベさん達」
「む、ムッツリ……」
ノエルは苦笑で済んだが、公爵家嫡男のレオンはショックを受けたらしく、声が裏返っていた。
(兄上の照れ顔よりレアかもしれん……)
ノエルは、内心そんなことを思う。
そこへ、ガチャリと扉が開き、リヴィアとアメリアが入ってきた。
二人ともお風呂上がりなのか、髪がしっとりしていて頬がほんのり紅潮している。
(風呂上がりの破壊力が……)
ノエルは慌てて天を仰ぎ、鼻血が出ていないことを確認した。
「ほら、やっぱりムッツリスケベじゃない」
セリーヌが即座に突っ込んできた。
やがて料理が並び、夕食が始まった。
ユリオとセリーヌのおかげで、場は明るく賑やかだ。ノエルも、リヴィアと喧嘩別れしたことが嘘のように自然に話せていた。
(……これは、ちょっとありがたいな)
なんだかんだで大変なことになっているが、リヴィアとの距離が少しでも近くなっていることには感謝する。
「あなた達、明日はなにをする予定なの?」
「ノエルの家の鉱山に行くんだよ!」
ユリオが元気よく答える。
「鉱山?」
「魔石鉱山だってさ。この温泉地からはちょっと遠いけど、日帰りで行けるはず」
「おいユリオ……!」
ノエルは慌てる。セリーヌに鉱山の話をするのは不用心だと思っていたからだ。
「ノエル、それなら私も同行していいですか?」
「え、リヴィア?」
「研究に関わることでしょうし。ぜひ見てみたいんです。ダメですか?」
リヴィアが真っ直ぐに見つめてくる。
(……強い……!)
ノエルはすぐに視線から逃げ、弱々しく答えた。
「ダメ……じゃないです」
リヴィアは嬉しそうに微笑む。
「リヴィア、明日は湖に行く計画だったじゃない」
「ごめん、セリーヌ。私なしで行ってくれる?」
「じゃあ、僕がセリーヌ達と行くよ!」
「俺も同行しよう」
ユリオとレオンが、即座に挙手する。
「俺ら、元から鉱山に行きたいわけじゃなかったしな!」
「お前ら……来る前は“社会見学”って言ってたろ」
「なにそれ? 知らないな」
完全にしらばっくれる二人。
もともとセリーヌ達と合流するつもりだったことは明白だった。
「じゃあ、明日は四人で湖ね」
セリーヌがそうまとめ、明日の予定はあっさり決まってしまった。
*
夕食も終わり、外はすっかり夜の帳が下りていた。
明日は早くに出発しなければならない。そこで、一同は「今日は早めに休もう」と自然に合意した。
ノエルは一度、ユリオたちの部屋で寝る準備を整え、それから自分の寝室へ向かうつもりでいた。
女性陣と「おやすみなさい」と挨拶を交わし、それぞれの部屋へ散っていく。
そのとき。
いよいよ“運命の時”が迫っていると腹を括ったノエルの前に、リヴィアがすっと歩み寄ってきた。
「じゃあノエル……また、あとで」
耳元に落とされた小さな囁きに、心臓が跳ね上がる。
リヴィアは頬を赤らめながらも、くるりと背を向けて小走りで部屋に消えていった。
残されたノエルは、その場で石像のように固まる。
(ま、待て……“また後で”って、なにを想定してるんだ……!?)
(いやいや、深い意味は……ない、はず……! 多分……!)
頭を抱えながら自問するも、当然答えは出てこない。
ただ一つだけ確かなのは――
(……耐えられるのか?)
ノエルは夜の廊下にひとり、深いため息を落とした。




