表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
86/104

86. ヘタレの烙印

宿に到着すると、ユリオご希望の温泉宿は、思った以上に人で賑わっていた。貴族向けの宿は数が少ないうえ、シーズン中とあってどうやら満室らしい。


建物自体はかなり大きく、付き添いを含めた大所帯でも宿泊できるように設計されている。家具はアンティークで揃えられ、落ち着いた雰囲気を漂わせていた。

宿には三人部屋や一人部屋はなく、二人部屋を二部屋予約してある。

部屋割りは後で決めようということになり、フロントで案内を受けようとしたその時――


「どうして部屋が予約されていないのかしら?」

「大変申し訳ございません。本日は満室でして……ご予約では二名様と伺っておりました」


フロントで揉めている声が耳に入る。

領内で貴族とのいざこざがあればアーデン家に報告が来る。放置するのも面倒事の元だろう。ノエルは二人を待たせ、声の方へ向かった。


「でも、私たち三人なのよ。なんとかならない?」

「本当に申し訳ございません……明日には、一部屋開くのですが」


フロントに詰め寄っていたのは、三人の女性。

後ろ姿だけで見覚えがある気がした。――いや、間違えようがない。

こちらに気づいた一人が振り返る。


「え、きゃあ! ノエル!?」

「リヴィア?」


リヴィアは小さな悲鳴を上げると、サッとセリーヌの後ろに隠れてしまった。

(え、なんで化け物を見るみたいな反応!?)

ノエルは胸をえぐられるような気分になる。


「どうしてここに……?」

「あら、あなたこそどうしてここにいるのかしら?」


セリーヌが首を傾げる。


「どうしてって……いや、それは僕の台詞ですよ」


いたのは、セリーヌとリヴィア、そしてアメリア。

そういえば、レオンが「アメリアは旅行に出ている」と言っていた。それがまさか、この二人と一緒だったとは――完全に想定外だった。


「ノエル、どうした?」


背後からレオンとユリオが追いついてくる。


「レオン様?」

「……アメリア」

「あーっ、セリーヌ! 偶然だねー!」


ユリオは歓声を上げてセリーヌに駆け寄る。

レオンも、表情を崩さないままアメリアの傍へ歩み寄った。


「ちょ、ちょっとセリーヌ! ノエルには会わないって言ってたじゃない!」


リヴィアが慌ててセリーヌに訴える。


(いや待て、僕そんなに避けられる存在……!?)


ノエルはズシンと衝撃を受けた。


「私は何も知らないわ。……たぶん、そこでニヤニヤしてる男が勝手にやったんでしょうね」

「セリーヌがアーデン領に行くって聞いたから、もしかして会えるかなーって思って」ユリオが即答する。

「宿まで聞いてたくせに何が“会えるかなー”よ。ストーカーじゃない」

「そ、そんなぁ……!」


セリーヌの容赦ないツッコミに、ユリオは肩を落とした。

だが、やっていることはまごうことなきストーカーである。


「だって! セリーヌと一緒に旅行したかったんだよー!」


宿のロビーにユリオの情熱的な叫びが響き渡り、ノエルはこめかみを押さえた。

(ああもう……頭が痛い)


「レオン様は、どうしてこちらに?」

「……ユリオに誘われて、だな」


アメリアが静かに問いかけに対し、レオンにしては珍しく歯切れが悪い。

その答え方だけで、ノエルは悟った。どうやら、最初から共犯だったらしい。何も知らなかったのは自分だけ――。


「お前ら……はかったな?」


ノエルが睨むと、ユリオがあっけらかんと答える。


「だってノエルに言ったら、絶対リヴィアに連絡するじゃん! 内緒で来るにはお前を巻き込むのが一番早かったんだよ!」

「事前に連絡するのは、礼儀として当然だろうが」

「そんなことしたら、セリーヌに断られるんだよぉ!」


その言い草からすると、すでに一度断られていたらしい。だからこそ、偶然を装ってここまで来たというわけだ。


「レオン様も、知っていていらっしゃったのですか?」

「……ああ。すまない。女性だけでの旅と聞いて、心配だった」

「まあ、私の場合は急でしたし……ご心配をおかけして申し訳ありません」

「いや。無事ならそれでいい」


普段通り淡々と答えるレオンに、アメリアはそれ以上追及せず柔らかく微笑んだ。二人の間には、他人が口を挟めない空気がある。

そんな中、ノエルの視線は自然とリヴィアへと向かう。彼女はいまだにセリーヌの後ろに隠れたままだ。


(……やっぱり、先日の口論のせいで嫌われたのか? 顔を見るのも嫌というほどに?)


胸が締め付けられる。


「リヴィア。どうしてそんなに隠れているんですか……?」

「……恥ずかしくて」

「恥ずかしい?」


怪訝に首を傾げ、改めてリヴィアを見やる。

その瞬間、心臓が大きく跳ねた。

今日は制服でもドレスでもなく、夏らしい軽やかな装い。

薄黄色のワンピースは滑らかな生地で、彼女の細い体のラインを柔らかく映し出す。膝丈のスカートから伸びる白い手足は陽光に照らされ、きめ細やかな肌が眩しく見えた。

(な、なんだ……この破壊力……!)

不意を突かれたように、言葉がこぼれる。


「……かわいい」


沈黙。

リヴィアは耳まで真っ赤になって俯いた。


「なあに、ジロジロ見ちゃって。やらしいわね」


セリーヌの冷ややかな声が飛んでくる。ノエルは慌てて目を逸らし、後ろめたさから咳払いで誤魔化した。


「……アメリアも、その……似合ってる」

「あら……ありがとうございます」


レオンの思いがけない言葉に、アメリアは頬を染め、品よく笑む。


「セリーヌもかわいいね!」


空気を読まないユリオの声が場に響く。

セリーヌは一瞬、呆れたように目を細めたが、言葉を返す代わりにユリオの頭を軽く小突いた。

その場には、ほんのり甘い空気をまとった二組と――互いに視線を合わせられず、気まずい空気をまとったノエルとリヴィアが残ったのだった。



「それで、どうして先ほど宿の人とお話を?」


ノエルが尋ねると、セリーヌが肩をすくめた。


「ああ、そうだったわね。三名で予約したはずなんだけど、二名分しか受け付けられていなかったのよ」

「きっと、わたくしの追加分の変更が反映されなかったのでしょうね」


アメリアが補足する。


「それで急いで一部屋確保しようとしたんだけど、今日はもう満室で……」


ノエルは宿の従業員に確認する。


「そうなんですか?」

「大変申し訳ございません。本日はご予約のお客様でいっぱいでして……」

「他の方との調整もできないのですか?」

「はい。皆さま貴族のお客様ですので、こちらからは……」

「近くに他の宿は?」

「こちらの宿以外は、平民向けのみでして……」

「それじゃあ、宿を変えるわけにもいかないな」


ノエルは小さくため息をつく。貴族と平民の宿では勝手が違いすぎる。妙齢の女性を平民用の宿に泊めるなど、絶対にできない。

従業員が困り顔で助けを求めてきて、ノエルも同情しかけたその時。


「……あなたたち、この宿に泊まるんでしょう?」


セリーヌが切り出す。


「え? まあ、そうですけど……」


嫌な予感が背筋を走る。


「悪いけど、今日だけ相部屋、できないかしら?」

「はあっ!?」


思わず声が裏返った。


「幸い、婚約者同士が二組もいるんだもの。なんとかなるでしょ。明日にはもう一部屋用意できるって言ってるし」

「いやいや、なんとかって……!」

「じゃなきゃ、私たち泊まるところがないのよ。お願い」


セリーヌの視線に押される。未婚の男女が同部屋なんて、あり得ない。


(文化の違いなのか?!)


ノエルはレオンへ助けを求める。


「悪いがノエル、頼んだ」

「頼んだって! お前とアメリアで組めばいいだろ!」

「……自信がない」

「は? 自信って何の?」

「手を出さない自信だ」

「な、何をおっしゃってるんですかレオン様!」


アメリアが顔を真っ赤にして叫ぶ。


「事実だ。婚姻前に手を出されたくはないだろう?」

「……っ、それは……!」

「じゃあ、ノエルとリヴィアが相部屋ってことでいいわね?」

「ま、待て!」

「ヘタレなお前なら手を出すこともないし」

「それは同意だわ」


レオンとセリーヌの息の合った掛け合いが続く。

二人に外堀を埋められ、ノエルは視線をリヴィアへと向けた。彼女は真っ赤な顔で目を見開いている。


(……これは、完全にアウトなやつだ)


「ちょっと待て! 相部屋以外の選択肢もあるだろ!」

「ユリオ、お前が責任持って外の宿に行け」

「え、なんの責任?」

「平民用でもお前なら平気だろ!」

「平気だけど! セリーヌと同じ宿に泊まれる機会を逃すとか絶対に嫌だ!」

「嫌だ、じゃないだろ……」


ユリオは案の定、断固拒否。こうなったら経験上、説得は不可能だ。

ノエルはユリオの説得を諦め、レオンに視線を移す。が、明らかに貴族なレオンを平民街に放ったらどうなるか。

あまり良いことが起こる未来は見えなかった。

領主の息子として、それは看過できるものではなさそうだ。


「……わかりました。僕が平民宿に泊まる」


項垂れるノエル。リヴィアと同室で心が揺れかけたが――耐えられる自信がない。

そのとき。セリーヌがリヴィアの耳に何か囁いた。リヴィアははっと顔を上げ、小さく息を呑むと、震える声で口を開いた。


「ノエル、わたしは……大丈夫なので。ここに泊まってください」


(……は?)


一瞬で頭の中が真っ白になる。婚姻前に男女が同室など、この国では非常識もいいところだ。だがリヴィアのその言葉は――まるで合意を示すようで。


「いや、でも……」

「ノエルは、何もしないって……信じていますから」


……なにも、しない。

その瞬間、ノエルの額に「ヘタレ」の烙印が押された気がした。信頼の証なのか、それとも男として見られていないのか。


「ふふ……やっぱりヘタレね」


セリーヌが口元を隠し、くすくす笑う。案の定、仕掛けたのはこの女だった。


「おいおい、ここまで淑女に言わせて断るのか?」

ユリオが茶化す。


「ぐっ……わかりました」

「決まりね!」


観念したようにノエルが答えると、セリーヌはと楽しげに宣言し、宿の従業員へ部屋割りを伝えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ