8. 伝達事項
数日後。
今日も、僕たちは図書室の片隅で向かい合っていた。
「ここ、もう少し流動抵抗の低い術式に切り替えた方がいいかもしれませんね」
「……はい、そう思います」
リヴィアはいつも通り、淡々と資料を広げ、魔術理論の検討を進めている。隣にいる僕も、返事をしながらペンを走らせる。
こうして一緒に作業する機会は、放課後のたびに続いていた。
課題の進捗は順調だった。けれど──それだけだった。
講義中も、放課後も。リヴィアは変わらず丁寧で、優しくて、距離を取らないわけじゃない。
けれど、それ以上に近づくこともなかった。
僕が謝った日から、何も壊れていない。でも、何も変わっていない。
(……きっかけすら掴めないな)
手元のノートを広げながら、ため息を飲み込む。魔術理論の議論は自然にできる。作業もスムーズだ。
けれどそれ以上、私的な話題にはなかなか踏み込めない。
いつも、きちんとした距離を保ったまま。
僕の声も、手も、あとほんの一歩、彼女に届かない。
相変わらず、僕とリヴィアは他人のままだった。
(……どうすれば、もっと仲良くなれるんだろう)
そんなことを考えていた、まさにその時だった。
「よっ、ノエル。課題順調に進んでる?」
いつの間に図書館に来ていたユリオが、軽快な調子で話しかけてきた。
レオンも後ろからついてきた。
「いきなりなんだよ……順調だよ。二人揃ってどうしたんだ?」
「そろそろ俺たちにもリヴィア嬢をご紹介いただけないかなーと思ってさ!」
隣ではレオンが肩をすくめるように微笑んでいる。
リヴィアは少しだけ微笑んでから、静かに口を開いた。
「ノエル様のご友人、でしょうか?」
「ええ、ご紹介します。初等部からの友人の、ユリオ・ベルナールと、レオン・ヴァレンティアです。」
「初めまして、リヴィア嬢。ユリオ・ベルナールと申します。
ノエルにはいつも世話になってます」
ユリオが丁寧に挨拶する。レオンも続いて深く頭を下げた。
「初めまして、リヴィア・ラヴェルナと申します。」
リヴィアも、深く一礼し、控えめに微笑んだ。
「噂に違わず、お美しいですね!いやぁ、ノエルがうらやましい!」
「おい!」
「ユリオ、失礼だぞ。どうもリヴィア嬢。
レオン・ヴァレンティアです。よろしくお願いします。
留学先から帰ってきて早々、貴族院へ入学されたと伺っています。
何か困ったことがあれば、相談に乗りますよ。」
レオンは優等生らしい口調でリヴィアに話しかけた。
「ありがとうございます。
それでは一つ相談なんですが……留学していたおかげで、同世代の女性の知り合いがいなくって。
これから社交演習や舞踏会が行事としてあると伺っていて、
その際に女性の知り合いがいれば心強いんですが、どなたかご紹介いただけないでしょうか?」
「なるほど。それはお力になれると思います。
ちょうど私の婚約者や知人も同学年におりますので、そちらでよければご紹介できますよ。」
「ありがとうございます!」
リヴィアが嬉しそうに笑顔で答えていた。
「いやぁ、ノエル。見たか? あの笑顔」
ユリオが、わざとらしく肘で小突いてくる。
「やめろ、聞こえる……!」
僕は小声で抗議しつつも、目はついリヴィアに向いてしまう。
彼女は礼儀正しく、穏やかな口調でレオンと簡単な話を続けていた。
(……あんなふうに、自然に笑えるんだな)
そんな当たり前のことに、胸の奥が少しだけきゅっとなる。
それでも、これまでの張り詰めた空気ではなくなったことに安堵した。
この雰囲気を作ったのが自分ではないことが悔しいが、心の中でレオンに礼を言う。
「ところで」 ユリオが話題を切り替える。
「今日は伝達事項があってな」
「伝達事項?」
思わず聞き返すと、ユリオがうなずいた。
「来週の課題発表のあと、魔導具の初期実験があるだろ? その時に、魔石を持ってこいってさ」
「──ああ、なるほど」
納得の声を漏らしたところで、レオンと話を終えたリヴィアも話題に入ってきた。
「初期実験で使う魔石を、自分たちで用意するのですか?」
「ああ。なんでも、学院の在庫が底をついてたらしい。
今から発注しても間に合わないってさ」
レオンが苦笑交じりに答える。
「魔石がないと魔導具も起動できないし、実験どころじゃないからな」
「そういうこと。忘れたら単位なし! 先生、容赦ないよなー」
ユリオが大げさに肩をすくめた。
「わかりました。ありがとうございます、レオン様、ユリオ様」
リヴィアが丁寧に頭を下げた。
「じゃあ、僕たちが実験する時の魔石は、僕が準備しますよ。
実家から大量にもらっていて、余ってますから。」
「いいんですか?」
「ええ、こう言う時に使うために送られてきているものですから。
それだけじゃなく、特性が不明だから貴族院で研究してこいって言われているものもありますしね。」
「流石、魔石の産地は羽振りがいいですね!俺らにも分けてほしいなー!」
「お前は自分で用意しろ。」
リヴィアは、そのやり取りを見て、ふふっと小さく笑った。
その笑みがあまりにも自然で、あまりにも柔らかくて。
気づけば、僕はそっと手元のノートに視線を落としながら、胸の奥がほんのりと熱くなるのを感じていた。