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7. すれ違い

講義の鐘が、静かに学院中に響いた。


「あ、そろそろ終わりですね」


リヴィアが手元のノートを閉じながら、穏やかに言った。


「……今日、ここまでですね」


僕も書きかけのメモをまとめながら、ふと隣を見やる。せっかく今日ここまで話せたのに──

このまま流れ解散、はちょっと、もったいない。

意を決して、声をかけた。


「えっと、リヴィア嬢」

「はい?」

「……もしよければ、放課後、少しだけ時間をもらえませんか?今日の課題の続き、一緒に整理できたらと思って」


言い終えてから、少しだけ胸がざわついた。別に、変な意味はない。ただ、純粋に課題のため。うん、課題のため──たぶん。


リヴィアは、ほんの一瞬だけ目を瞬かせた後、ふわりと微笑んだ。


「もちろんです。私も、もう少し整理しておきたかったので」

「よかった……!」


安堵で力が抜けそうになるのをこらえて、僕は笑った。


「では、放課後、図書館の自習室で」

「はい。よろしくお願いしますね。」


リヴィアは、そっとノートを抱え直して、椅子から立ち上がる。


「それでは、また後ほど」

「はい、また後で」


ほんのわずかに、二人だけの秘密の約束みたいに聞こえたのは、たぶん、僕の気のせいだ。

講義室の扉の向こう、春の光が優しく差し込んでいた。




講義室を出たところで、待ち伏せしていたユリオにあっさり捕まった。


「なあノエル。魔石と魔導具の理論、マジでむずくね?」


開口一番、それかよ、と思いながら僕は歩を緩める。


「まあ……簡単ではないな」

「“魔力流動の整合性”とか、“術式負荷の分散管理”とか……単語だけで頭痛するんだけど」

「少なくとも、その辺は必修だから、避けて通れないぞ」


ぼやくユリオに、レオンが呆れた顔で肩をすくめる。


「教本読めば一応、基礎は全部載ってるだろ。図解もあったじゃないか」

「図解があったら理解できるとは限らねぇんだよ、レオン先生……」


やれやれと笑いながら、僕はカバンからノートを取り出した。


「ほら、基本まとめたノート。要点だけ整理してあるから、よかったら写せ」

「神か……ノエル神か……!」


感動した顔で手帳を受け取るユリオを見て、レオンがぼそりとつぶやく。


「にしても、今日はやたら機嫌いいな、ノエル」

「……別に普通だろ」

「いや、普通にしては優しすぎるし、顔が柔らかすぎる。講義中もずっと目がキラッキラしてたぞ」

「……目の錯覚だ」

「俺は見た。魔石の図を前にうっかりにやけてたノエルを」

「魔石ににやけるわけないだろ!」


一応全力で否定したけど、二人の目には明らかに「はいはいわかってます」感が浮かんでいた。


「ま、いいや。どうせ放課後、課題やるんだろ?」

「……ああ」

「まあ、がんばれ、術式設計の鬼」

「魔石暴走させるなよー?」

「……あのな」


ツッコミながらも、なぜか顔が熱くなるのを止められなかった。



そして放課後。図書館の自習室へ向かう足取りは、自然と速まっていた。


(……今日こそは、もっと話せたらいいな)


図書館の自習室に向かう途中、僕はふと足を止めた。

──見覚えのある、淡い金の髪。


リヴィアだ。

すでに席に着いて、誰かと話している。

相手は、見たことのある男子生徒だった。確か、魔術理論の上位組に入る優秀な生徒だ。


「こちらこそ、教えてくださってありがとうございます」


リヴィアは、控えめに、けれど自然な笑顔を向けていた。

──その笑顔は、あの日、僕に向けたものと変わらなかった。

一瞬、胸の奥がちり、と音を立てた気がした。


(……特別でも、なんでもなかったんだな)


そう思った瞬間、自分でも驚くほど、心が冷えるのを感じた。

リヴィアにとっては、誰にでも優しく、誰にでも丁寧で、誰にでも微笑む。僕にだけ、というわけじゃない。


理解していたはずなのに、現実を突きつけられると、思っていた以上に堪えた。


男子生徒は僕に気付いた後、リヴィアに一礼して、軽く手を振ると去っていった。リヴィアは男子生徒と分かれた後、僕に向けて同じように柔らかな笑みを向けてくる。


深呼吸を一つ。今は、感情に流される時じゃない。今日は課題を進めるために来たのだから。

気持ちを押し込め、できるだけ自然な足取りでリヴィアに近づく。


「お待たせしました、リヴィア嬢」

「ノエル様。お待ちしておりました」


できるだけ平静を装いながら、リヴィアが引いてくれた椅子に腰を下ろす。

すでにエスコートされ慣れてきているのは否定しない。


「彼とは何を?」

「ノルゼアの文化について質問を受けていたんです。

この国とはかなり文化が違うので、気になっていたとのことで。」


また心の中にモヤが生じるのを感じた。

本来なら、その話をするのは僕であるはずなのに。


「では、先ほどの続きから始めましょうか」


リヴィアは、何も変わらない様子で席に着いた。

僕も隣に腰掛け、ノートを開く。

しかし、頭の片隅では、さっきの光景がまだ消えていなかった。

──僕が、勝手に期待して、勝手に落ち込んでいるだけ。


(そもそも、五年前──)


思い出す。初めて会った日。幼すぎた自分の、無神経な言葉。どれだけ彼女を傷つけたか、成長した今なら痛いほどわかる。


婚約者として嫉妬する権利も、僕にはまだない。


「リヴィア嬢」


机に向かう手を止めて、僕は彼女をまっすぐ見た。


「……改めて、言わせてください。五年前、無神経なことを言ってしまったこと──本当に、申し訳ありませんでした」


一呼吸。リヴィアは、ほんの一瞬だけ瞬きをした。

そして、少し間を置いて、いつも通りの微笑を浮かべた。


「……そのようなこと、もうお気になさらないでください、ノエル様」


その言葉は、穏やかだった。けれど──どこか、すうっと距離を取るような、よそよそしさを含んでいた。


「私の方こそ、当時は……至らぬ点が多く、失礼いたしました。どうぞお心に留め置かれませんよう」

リヴィアの声はあくまで礼儀正しく、柔らかかった。

それなのに、まるで手の届かないガラス越しに話しかけられているような、そんな感覚だった。


それでも、リヴィアにもう一度謝りたくて、僕は言葉を絞り出そうとした。

「いや──」

「では、課題に入りましょうか」


そんな隙も与えず、リヴィアは何事もなかったかのように魔術理論書を開く。


「……はい」


僕も、ぎこちない手つきでノートを広げた。

けれど、さっきまでの柔らかな高揚感は、もうどこにもなかった。



必要最低限の作業を終えた頃、リヴィアはきちんと整った字で筆記を締めくくると、席を立った。


「本日はありがとうございました、ノエル様」

「……こちらこそ」

「それでは、失礼いたします」


すっと頭を下げたあと、リヴィアは図書室を後にした。

その後ろ姿を、僕はただ静かに見送るしかなかった。


──手を伸ばせば、届きそうなのに。

けれど、決して、触れてはいけないような。

そんな痛みが、胸の中にじわりと広がっていった。


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