6. 魔術理論の講義
次の魔術理論の講義になり、机の上に広げた資料にリヴィアと僕は向かい合った。
「初等部のおさらいになりますが、まず魔術の基礎定義から整理しましょう。
私も留学していて、しばらく国に不在だったので知識のすり合わせをしたいです。」
リヴィアが真剣な声で切り出す。
「魔術とは、個人が保有する魔力を、理論構造に沿って制御・変換し、特定の効果を引き起こす技術です。」
彼女の口調は端的で、わかりやすい。僕は自然と頷きながら、補足を加えた。
「魔術に必要なのは二つ。魔力そのものと、その流れを設計・管理する『術式理論』です。この世界に“火の魔法”とか“水の魔法”みたいな分類は存在しない。あるのはただ、どのように魔力を流し、どんな現象を引き起こすか──それだけ。」
「……はい。術式とは、魔力の流れに“形”を与えるための構造設計。流し方、収束点、放出形態までを細かく定義するもの、ですね。」
リヴィアの答えに、思わず笑みがこぼれる。
「完璧ですね。まるで教本に載せたいくらいだ。」
リヴィアは少しだけ頬を染めたように見えたが、すぐに真面目な顔に戻った。
「基礎段階で重視されるのは、魔力の“安定流動”と“圧縮・拡散”制御。魔力の出力時に圧縮しすぎれば暴走の危険があるし、拡散しすぎれば術式が成立しない。」
「だから術式設計では、必要最低限の流れで最大効果を生み出す“効率”が重視されるんですよね。」
僕が続けると、リヴィアも静かに頷く。
「そして、魔術を使うには魔力が必要。その魔力は、人や魔獣の体内に内蔵されている。
今回の課題からは少しずれてしまいますが、神殿では神の祝福として扱われていますよね。」
「ええ。魔力はこの世界に生きるすべての人に宿っている。神殿では、“魔力とは命の証であり、魂の光”と教えられています。」
僕は手元の魔術理論書に指を滑らせながら、言葉を続けた。
「だから魔術は、単なる技術じゃない。神の祝福を制御し、活かすための、“祈りに似た営み”とも言われています。」
「魔術を学ぶことは……神に与えられた力を、正しく使うことでもあるのですね。」
「でも、扱うためには膨大な知識と訓練が必要になる。
一般に、平民は魔力が低く、高位貴族になればなるほど魔力量は多くなりますから、
必然的に貴族の方が魔術を扱う力が求められます。」
「だからこそ、魔術は貴族たちの“教養”であり、“力の証”になった。」
リヴィアが、静かにつぶやいた。
「そうですね。
ただ、毎回に術式展開するのは理論を学んでも効率が悪い。
そこで活躍するのが、特定の術式理論を道具でできるようにした魔導具になります。
そして、その安定供給を補助するのが──魔石。」
二人の視線が、机上の簡易魔石サンプルに落ちる。
「魔石は、魔力を蓄え、必要に応じて術式に供給するための媒体になりますから。ただし、取れた後のそのままの魔石の原石は、流し込む魔力が術式設計と不整合が起きやすいので、
一般的に流通しているのは加工後の魔石を魔導具には使用します。」
「……加工後の魔石は、流動特性が安定していますから。ラヴェルナ家でも、標準化技術の研究は重視されていました。」
「加工技術はラヴェルナ家の得意分野ですもんね。
今回の課題は、『魔石を利用した術式展開の基礎理論と、魔力流動・制御の分析』ですので、
主に魔導具の仕組みを調べて提出すると言う理解でいいんでしょうね、おそらく。」
「そうだと思います。」
リヴィアとそう合意し、二人とも一息ついた。
ふう、と一息ついたタイミングで、僕はさりげないふうを装って切り出した。
「そういえば、リヴィア嬢って……留学先のノルゼアでは、どんな生活をしてたんですか?」
まるで本当に何気ない雑談みたいに聞いた。
別に、めちゃくちゃ知りたかったわけじゃ──いや、あるけど。あるけども。
リヴィアは、少し考えるように首をかしげた。
「生活自体は、フェルナディアとそう変わりませんでしたよ。朝に授業、昼に研究、夜は自主課題……という感じで」
「うん、普通にハードですね……」
「ただ、ノルゼアは自由な気風なので、自分で課題を選ぶ機会が多かったです。『好きなテーマで論文を書きなさい』とか」
「好きなテーマって……え、自由すぎません?」
僕の脳内に、「猫と魔術に関する研究」とか「美味しいスープと魔力回復効率の相関」とか、どうしようもない論文タイトルがいくつか浮かぶ。
リヴィアはくすっと笑った。
「さすがに、多少の指針はありましたよ。……ちなみに、私は『術式簡素化による魔力消耗低減の実証』について書きました」
「めちゃくちゃ真面目だった」
「他の方は……『優雅な所作と魔力流動の関係』とか、ちょっと変わった研究もありましたけど」
「優雅な所作……?」
「はい。舞踏会で魔力制御が乱れないか、とか」
「ノルゼア、意外と奥深いな……!」
なんとなく真面目そうで自由な感じだとばかり思っていたけど、
自由な中にも「貴族っぽさ」をちゃんと意識しているあたり、妙に感心してしまう。
ふと、疑問に思ったことを聞いてみた。
「あれ、でも留学先は確か女学院でしたよね。
年齢的にも社交界デビューもまだでしょうし、どうやって研究をまとめたんですか?」
「それはその……実は私が男性パートを踊って、その実験に付き合ってたんです」
「男性パートを!?」
「身長も同学年の方達と比べて高かったですし、研究していた子とも仲が良かったんです。だからある意味成り行きで、ですね。」
リヴィアは、少しだけ頬を染めたようにして、続けた。
「その、当時は……男性役もできた方が、研究が進めやすかったので……仕方なく、です。」
「……へえ、でも、すごいですね」
僕は何とか平静を装って答えながら、心の中では妙な想像をしていた。
──リヴィアが、僕の手を取って、軽やかにステップを踏んでいる姿。
(……見たい)
そんな考えが脳裏にちらついて、慌てて頭を振った。
リヴィアは、ふと真剣な顔に戻って言った。
「でも、今は女性パートもちゃんと踊れますので。安心してくださいね」
「……っ」
不意に向けられたそのまっすぐな言葉に、胸が跳ねた。
“僕と踊る未来”を、少しでも意識してくれたってことだろうか。
いや、きっと違う。
きっと違うけど──でも、期待してしまう自分が、どうしようもなくいた。
「……あ、ありがとうございます。……本当に」
本当にってなんだよ。
自分で自分に心の中で突っ込みながら、僕は必死で平常心を装った。
リヴィアはそんな僕の内心など知らない様子で、すっと魔術理論書に目を落としていた。
淡々とした手つきでページをめくるその横顔が、やけにまぶしく見えた。
リヴィアは、僕の動揺など露ほども気づかないまま、すっと魔術理論書に目を落とした。
静かにページをめくる横顔。整った指先。やわらかく揺れる髪。
余計な力みのない動作なのに、なぜだろう、どうしてこんなに目を引くのか。
(……いや、違う。今は理論の話をする時間だ。落ち着け、僕)
必死に自分を戒めながらも、視線はどうしても彼女に引き寄せられる。
「……ノエル様?」
ふと顔を上げたリヴィアと目が合った。
無垢な瞳。小さく傾げた首。
何も知らないその仕草が、さらに追い打ちをかける。
「い、いえ、なんでもありません!」
慌てて理論書に目を戻したけれど、頭の中はすでに文字どころではなかった。
(頼むから、これ以上無防備に微笑まないでくれ……!)
僕の小さな叫びは、もちろん誰にも届かなかった。