39. 宣言
旧聖堂は、神殿本堂の裏手にある、今では使われていない古の礼拝堂だ。苔むした石壁と、剥落した神像の破片が、その歴史の深さを物語っている。ノエルは扉を押し開け、中へと足を踏み入れた。
薄暗い空気が、肺に重くのしかかる。
──リヴィア。
彼女の気配は、確かにこの奥にある。
祭壇の裏にある石像の下、ノエルは言われた通りの場所に手を伸ばした。彫像の台座に埋め込まれた隠し鍵を外すと、ごつごつとした地下への階段が現れる。
足音を殺して駆け降りる。その先には、魔力で封じられた厚い扉があった。
(ここだ……)
ノエルは掌を翳すと、無言で封印を解析し、魔力の結界を解く。緻密で複雑な術式は、拘束と静音、そして外界との感覚断絶──まるで人ひとりを“物”のように閉じ込めるための、精密な監禁結界だった。
「……最低だな」
呻くように呟き、彼は最後の術式を断ち切る。
扉が、ゆっくりと軋む音を立てて開いた。
最後の封印を解除した瞬間、冷たい空気が一気に吐き出された。扉が軋むような音を立てて開き、奥の空間に、彼女はいた。
その両手には、淡い光を放つ鎖が絡んでいた。魔力を吸収する、封印の拘束具──。
冷たい魔力の残滓が、彼女の肌から熱を奪っていた。
「リヴィア!」
ノエルは駆け寄り、彼女の肩をそっと抱きとめる。意識はある。だがその瞳は、まだ朧げに霞んでいた。
「ノエル……様……?」
うっすらと開いたリヴィアの瞳が、彼の姿を映す。
「すみません、また……ご迷惑を……」
「迷惑なんか、思ったことないよ」
鎖を外す鍵が、扉と共に置かれていた。ノエルはそれを使って、慎重に封印具を解いていく。拘束が解かれると同時に、リヴィアの身体が力を失い、ノエルの胸に倒れかかる。
「私は……大丈夫です。すみません……」
「やめてくれ、そんなふうに言わないで。それより、どこか怪我はしていない?オスカーに変なことされていない?」
遮ったノエルの声が、わずかに震える。堪えていた感情が、言葉の隙間から滲み出る。
沈黙。
震えるに彼女の背中をそっと撫でた。その静けさの中で、リヴィアがぽつりと呟く。
「……どうして、助けに来てくださったのですか? 私は、あなたを困らせてばかりで、きっと……また、失望させてしまった。こんな私に、救われる価値なんて……ないのに」
頬がかすかに引きつり、唇はわずかに震えていた。その瞳には、どこか幼さすら残る自嘲の色が浮かんでいる。
ノエルは、それに胸を痛めながらも、静かに言葉を紡ぐ。
「違う。君がどんなふうに思っていようと、僕は……ごめん、まだ僕の気持ちをちゃんと伝えていなかった。」
ノエルは深く息を吸った。言葉を、想いを、もう隠すことはできなかった。
「僕は、リヴィア。……君のことが、好きで好きで、たまらないんだ」
リヴィアの目が、瞬間的に見開かれる。その表情には明らかな戸惑いが滲んでいた。唇が何かを言おうとしたが、声は出なかった。
「……え?」
「初めてリヴィアに会った日から、ずっと……リヴィアの声を聞くたびに、触れるたびに、胸が苦しくなるくらいに。ただそばにいられるだけで、嬉しくて、幸せで……少しでも君が離れると、不安で、息が詰まりそうになる」
言葉にするたび、ノエルの胸にじわりと熱が灯る。
それはうまく整理できる感情じゃない。ただ、どうしようもなくリヴィアを大切に思う気持ちだった。
「君が完璧じゃなくてもいい。優秀でも、そうでなくても、君が君でいるだけで、僕にはそれで十分なんだ」
リヴィアは、息を飲んだまま、何も返さない。だけど、逃げなかった。その視線は、真っ直ぐにノエルを見ていた。
「……今すぐ、答えなんていらない。でも、これだけは信じてほしい。君がどれだけ自分を否定しても、僕は……君を肯定し続ける。君がたとえ僕を信じてくれなかったとしても、何度だって言う。
“好きだ”って、“君が欲しい”って」
──長い静寂が流れた。その空間を切り裂いたのは、ノエルの軽やかな言葉だった。
「……さあ、こんなところから、早く出よう。明日の舞台までに、少しでも休まなきゃ」
そう言って、彼はリヴィアをそっと抱き上げた。
「お、おろしてください……! 自分で歩けます!」
「いやです。リヴィアに触れられる滅多にない機会を、僕から奪わないでください」
「……な、なんですかそれ」
リヴィアは呆れたように眉をひそめながらも、ほんの少しだけ、肩を預けてきた。
その微かな変化に気づいたノエルは、小さく息を吐き、そっと微笑む。
──もう、格好つけるのはやめた。取り繕うのも、ためらうのも。これからは、言葉でも態度でも、何度だって伝えていく。
(……覚悟してて、リヴィア)
その静かな決意とともに、ノエルは彼女を抱く腕に、ほんの少し力を込めた。




