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25. 東屋でのティータイム(リヴィア視点)

ラヴェルナ邸の東屋には、秋風がゆっくりと流れ込んでいた。紅く色づき始めた木々が、日差しに淡く透けて揺れている。

テーブルの上には、葡萄のタルトや栗のプティフール。香ばしくも華やかな果実の紅茶からは、湯気が細く立ち昇っていた。

……なのに、リヴィアの手元のティーカップは、三口目から動いていなかった。


「紅茶、冷めてしまいますわよ」


アメリアの声は、やわらかく、けれど的確だった。


「えっ……あ。すみません、ちょっと……」

「ええ、“ちょっと”どころではありませんでしたけれど。——リヴィア?」


アメリアは微笑みながら、紅茶の縁に指を添えた。


「婚約者同士で、ふたりして目の前のレディを置き去りにするなんて、少々無作法ではなくて?」

「すみません。……婚約者同士で?」

「そこは気にしなくてもよくってよ」

「ええと、すみません。私はただ——魔石の解析が気になっていて」


リヴィアが、そっとカップを持ち上げた。


「ふふ。もちろんそれもあるでしょうけれど。……それだけ?」


アメリアは葡萄のタルトを一口運びながら、さりげなく視線を向ける。

その目は、ほんの少しだけ、探るような優しさを含んでいた。


「ねえ、せっかくだからノエル様の話をしましょうか」

「……え?」


リヴィアは思わず聞き返してしまう。


「あなた、ノエルのこと、気になっているのでしょう?」

「それは……婚約者ですから」

「本当に、それだけかしら?」


ノエルとリヴィアの間にあるのは、本当にそれだけだ。

国によって決められた婚約者という称号だけだ。


「少なくとも、ノエルの方は違いますわよ。あの方、あなたに“だけ”特別でしょう?」


アメリアは紅茶を一口含みながら、涼やかな声でそう告げた。

リヴィアは言葉を失い、そっとカップを置いた。指先に力がこもっていたことに、ようやく気づく。

ただの婚約者以外に、一体何があるというのだろうか——頭の中が、少しずつざわめいていく。


「あなたたち、どうしてまだ婚約しているの?」


アメリアの言葉は柔らかく、それでいて本質を突くような鋭さを帯びていた。


「……それは、国から決められた婚約だからで……」


リヴィアは小さく答える。視線はカップの中、揺れる液面の奥に落ちていた。


「昔は愛人を囲うことも許容されていたけれど、今は一夫一妻制。たとえ血筋が重んじられる貴族でも、本人が望めば婚約の解消は認められる時代ですわ。ご両親も、アーデン家も、それを否定することはできないはずよ。……それなのに、どうして婚約は続いているのかしら?」


アメリアは、あくまで冷静に、紅茶の縁をなぞるように言葉を重ねていく。


「私から婚約を破棄するなんて……そんなこと、できません」

「ではなぜ、ノエルの方から破棄を申し出ないのかしら?——考えたこと、あります?」


リヴィアは答えられなかった。手元のカップをそっと引き寄せながら、心の中で自問する。


(……なぜ、ノエル様はこの婚約を続けているのかしら?)


初対面の彼の態度を思い返す。あれほど嫌っていたように見えたのに。あのとき婚約が破棄されていても、おかしくなかったのに——。

思考がぐるぐると巡り始めたとき、アメリアがさらりと話題を挟んだ。


「念のため言っておきますけれど、私とノエルはただの友人ですわよ。初等部からの、ね。

それも“婚約者経由”の付き合いですし、レオン様がいない場で個人的に話したこともありませんの。

……ですから、誤解などしないでくださいね?」

「え、ええ。そこは……心得ておきます」


言いながら、リヴィアの頬がほんのりと熱を持った。思考の片隅で考えてしまった“可能性”を、そっと胸の奥へ押し込む。


「別に、あなたたちの婚約に文句があるわけじゃないの。ただ——“今のノエル”に、もう少し目を向けてあげてもいいのではないかと思ったのです」

「今の……ノエル様、ですか?」

「ええ。あなた、ノエルの顔をちゃんと見たことがあるかしら? あの方、あなたの前ではとても“貴族の男”とは思えないほど、顔が緩み切ってるのよ。好きでたまらないって顔してるわ」

「……っえ?」


リヴィアは、思わずカップを取り落としそうになった。すぐに持ち直したが、動揺は隠しきれない。


「もし私があれを隣でされたら……絆されずにはいられませんわ。まあ、レオン様はああいう顔を私に向けたことがありませんから、絆されようがないんですけどね」


その語尾には、ほんの少しの自嘲が混ざっていた。


「……ノエル様が私のことを好きだなんて、そんなこと……ないと思います」

「そう言えるのは、あなたがノエルを“ちゃんと見ていない”証拠ですわ。

そもそも、魔導具が暴発したとき——命がけであなたを庇う理由って何かしら? 単なる義務感だとでも?」


アメリアの言葉に、リヴィアは思わず言葉を詰まらせた。


(ノエル様が……私を……)


ノエルの顔を思い出そうとして、しかしうまく浮かんでこなかった。それほどまでに、彼の“感情”を意識せずに過ごしていたことに、リヴィアは今さら気づいた。


話題を変えたくて、リヴィアは問いかけた。


「アメリアは、レオン様とは婚約して長いんですか?」

「ええ、もう十年以上になりますわ。五歳の頃には、婚約が決まっていましたもの。恋愛に憧れなんてなかった時期ですから、お互いに『そういうもの』として受け入れていました」

「……アメリアは、レオン様のこと……お好きなんですか?」


リヴィアの問いに、アメリアは少しだけ視線を空に逸らした。


「そうね。尊敬していますし、彼も私の努力に応えてくれる。互いに、同じ未来を支えるパートナーとして誇れる存在だと思っています。

……けれど、“好き”とか“愛してる”とか、そういう言葉で語れる関係ではないのかもしれないですわね」


言葉を紡ぐ間の静寂に、東屋の木々がさらさらと音を立てた。


「……本当は、憧れているのかもしれないわ。あなたみたいに、想われてみたいって。……でも、求めてはいけないと思っていたのよ」

「どうして……?」

「私たちは、恋愛よりも大事なものがあったのよ。」


紅茶を一口飲み、アメリアは続けた。


「なんでもできる人っていないのよ。全部を完璧にしようとすればするほど、いろんなところにボロが出てしまうものよ。何かを完璧にしたいなら、何かを手放さなければならないからよ。それが、私達にとっては、お互いへの恋愛感情だっていうことね」


「……なんだかよくわかりません。私は、全てを完璧にしなければ、と思ってきました。そうしなければ、家族も、領地も、守ることなんてできないと」


思わず溢れた本音に、アメリアがやわらかく笑った。


「それは、あなた自身がそう信じ込んでいるだけじゃなくて? きっと、あなたの周囲はそんなに完璧を求めてなんていないわ。……ねぇ、リヴィア。あなたにとって“大事なもの”って何?」

「……家族、でしょうか」

「どうして?」

「わかりません。ただ、家族には……一番、失望されたくないと思っていて」


アメリアは頷き、カップをソーサーに戻した。


「だったら、大事にしなさい。でもね、あなたが“失望させたくない”と思っているように、きっとご家族も、“頼ってほしい”と願っているわよ」


リヴィアはそっと顔を上げた。その瞳の奥に、わずかな揺らぎが浮かんでいた。


「……どうして、そう思うんですか?」

「直感、かしらね。それに——」


アメリアは、微笑を含ませて言った。


「ラヴェルナ家の現当主は“娘馬鹿”だって、社交界ではちょっとした噂なんですのよ。あっという間に娘の話を始めるって、有名ですわ」

「……えっ……?」


思わず目を丸くするリヴィアに、アメリアがくすりと笑った。


「ふふ、本当に鈍いのね。ノエルのことも、ご家族のことも、もっとよく見てみたら?

多分、あなたが思っている以上に、あなたのことを大切に思ってる人、たくさんいるわよ」


リヴィアは、照れたように俯いた。


「……善処します」

「ええ、それでこそ。——さあ、この話はここまでにしましょう」


アメリアは背筋を正し、急に勢いを増した声で言った。


「それより、ノルゼアの話を聞かせてくださらない? ずっと楽しみにしていたのに、あなたったら気もそぞろで、全然聞けていませんでしたもの!」

「は、はい……」


怒涛の勢いで始まった質問の波にリヴィアは少し押されつつも、心地よい陽の光が降り注ぐその午後、彼女の胸には、ひとつの疑問がやさしく残っていた。


(ノエル様だけじゃなくて、家族も……私のことを)


自分が見ていた“世界の輪郭”が、ほんの少しだけ変わって見えた気がした。

——東屋のカップから、もう一度、湯気が立ち上っていた。


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