21. 姫の社交演習日誌Ⅱ
ペアごとに順番にフロア中央へ。リヴィアとオスカーの番になり、周囲の視線が自然と集まる。
見た目は礼儀正しく、物腰も悪くない。
それが、オスカー・シュタインに対する僕の印象だった。というか、それ以上でもそれ以下でもなかった。
でも今、その“印象薄い彼”が、僕の婚約者と並んでダンスを始めていた。
「それでは、お願いします」
リヴィアがそう言って、オスカーに手を差し出した。
次の瞬間、オスカーの挙動が明らかにおかしくなった。
「え、えぇ……」
リヴィアの返しは、早かった。滑らかに手を取り、彼の動線に自然と絡むように一歩進み出る。
見た目には何の違和感もない。ただ、見ている者が少しでも社交を知っていれば分かる。
——彼女が、完全に主導している。
「どうぞ、お足元にお気をつけて」
そう言って、さらりと……さらりと逆エスコートした。
本来男性側がするはずのエスコートだが、完全にリヴィアが相手をリードしてる。綺麗に、優雅に、完璧に。
たぶん、オスカーはリードするつもりだったのだ。
けれど、リヴィアの所作があまりにも洗練されすぎていて、気づいたときにはもう“手を取られていた”側にいた。
教室内が静まり返る。
(ちょ、待て待て待て待て。なんでオスカーが“姫”扱いされてんだよ!
そこは俺の役目だろ!? いや、姫じゃないけど!!)
思わず拳を握った。視線を外そうとして、でも外せなかった。
彼女の所作が美しすぎて、目が離せないのだ。
……いや、それは違う。今の僕はリヴィアの舞ではなく、オスカーの位置に嫉妬してるんだ。してるに決まってる。
「うわ、ノエル、顔やばい」
隣のユリオが小声で言った。そんなのわかってる。
「……お前、落ち着け。思ってるより顔に出てるぞ。……口角、引きつってる」
「知ってる」
「いや、知らないやつの返事だろそれ……」
僕の視線の先では、リヴィアが軽くステップを踏みながら、オスカーに笑顔を向けていた。
(あんな……あんなに微笑まないでくれ。普段と同じ笑顔でも、隣に誰かがいるだけで、意味が変わって見えるんだ)
しかも。
リードされているはずのオスカー、途中からどんどん顔が赤くなっていってる。
(……なんか……あいつ、ほんのり嬉しそうにしてないか?)
視界の端で、オスカーがふとリヴィアに目をやり、かすかに笑った。
戸惑っているのに、リヴィアの導きに素直に従っているような、少しだけ頼っているような。
(おい……それ以上“いい雰囲気”出すな……)
拳を握った。理由は一つ。
(なんで僕じゃないんだ、そこに立ってるのが……!)
曲が終わり拍手が起きる。
二人が踊り終えて、またオスカーがリヴィアにエスコートされてこちらにやってきた。
そのとき、名簿を見た教授が、次の名前を読み上げる。
「ノエル・アーデン——アメリア・グレイスフォード」
その瞬間、背筋がぴんと伸びる。
「さあ、ノエル。私と貴方の番ですわ」
振り返ると、アメリアが静かに立ち上がり、優雅な笑みを浮かべていた。
「どうぞ、王子様。リヴィア嬢に負けてはなりませんものね?」
「……ええ、光栄です。どうぞ、アメリア」
僕は立ち上がり、姿勢を整える。内心ではまだリヴィアとオスカーの距離感がぐるぐるしていたけれど、それを振り払うように一歩、前へ出た。
アメリアは自然にドレスの裾を整え、僕の前に立った。視線が交差し、僕はそのまま手を差し出す。
「お足元に、お気をつけて」
そう言った瞬間、アメリアがわずかに微笑んだ。
「まあ。気遣いは及第点ですわね。立ち姿も——相変わらず、さまになっています」
「手厳しいな……」
「ふふ。ほら、始まりますわよ?」
音楽が流れ出す。
僕たちはその調べに合わせて、ゆっくりと一歩、また一歩とステップを踏み出した。
脚は自然に動いた。手の動きも、リードの流れも、頭で考えなくても身体が覚えていた。
王宮式の舞踏礼法は、リヴィアと婚約した後、必死に練習した。
いつか、リヴィアと踊れる日を夢見て。今日こそ、その日だと思ったのだが——
軽く旋回し、手を引き、リズムを刻む。アメリアの動きも滑らかで、合わせるのに苦労はなかった。
アメリアはレオンの婚約者ということもあり、これまで何度か一緒に踊った経験もあったので、慣れたものだった。
「なるほど……初等部で“王子様”と呼ばれていたのも、少しは納得がいきますわね」
「そこ、もう少し素直に褒めてくれてもいいんじゃ……」
「謙遜の余地を残すのが、品のある評価ですの」
口では毒舌を重ねながらも、彼女の表情はどこか楽しげだった。
そうして数歩進んだところで、ふと、視線の先に立つ一人の少女が目に入った。
——リヴィアだった。
踊り終えた彼女は、所定の位置に戻っており、オスカーと、肩を並べて話をしていた。
穏やかな顔。あの柔らかな微笑み。
うなずき、少し言葉を返して、またうなずく。
なんだ、それ。
——なにその、楽しそうな雰囲気。
(え……ちょっと待って。話、弾んでる? オスカーと?)
言葉には出していない。でも、脳内の僕はすでに机をひっくり返しそうな勢いだった。
(くそ……呑気に踊ってる場合じゃない!いや、踊らないと単位が出ないけど!)
しかも、オスカーがリヴィアに耳打ちするように近づいている。
(それ以上近づくんじゃない!!)
心の中は大荒れになっていた。
「ノエル。今、ステップが半拍ずれていましたわよ」
アメリアの声に、意識が現実に戻る。
彼女の目が、すっと僕の足元から視線を戻してきた。
「すみません……少し、集中が……」
「踊っているパートナーそっちのけで、他の女性の方ばかりを見ていては、王子様とは言えませんわね?」
苦笑交じりに、だけどその言葉はしっかりと刺さった。
何も言い返せなかった。
ダンスはまだ続いているのに、気持ちだけがどこか遠くに置き去りにされたような気がした。




