19. 決意(リヴィア視点)
「……っつ」
低く、小さな声が聞こえた。
顔を向けると、ベッドの上でノエルがわずかに身じろぎ、ゆっくりと瞼を開けていた。
「おっ、起きた!」
ユリオ様の声がはしゃいで響く。
(……よかった!)
心の中で、何度も安堵の声を繰り返した。
私は、ノエル様の表情と動きから、体に異常がないか細かく観察していた。
背中をかばう動作はあったものの、それ以外の反応は──大丈夫そうだった。
そのとき、レオンが言った。
「リヴィア嬢、改めてありがとうございます。真っ先にノエルを担いでここまで──」
「ち、違います。私は……ただ、その、当然のことを……!」
思わず声が上ずる。反射的に否定してしまったことに、自分でも驚く。
(落ち着いて。リヴィア。いつも通り、淑女として)
でも、冷静ではいられなかった。
「……ちょっと待って、今なんて?」
「いや、本当にすごかったぞ。即座に身体強化魔術を発動して、ノエルを軽々と担ぎ上げて猛ダッシュ。あの速度と魔力制御は、普通じゃなかった」
「しかも、お姫様抱っこだったからな。なあ、ノエル姫?」
「まじかよ……!」
ノエル様の狼狽ぶりに、私の顔はさらに熱くなる。
あれは……あの場では、あれが最善だと判断しての行動だったが、
緊急時とはいえ、やはり他の方に依頼すべきだったのだろうか。
「すみません……ご不快でしたよね。でも、あの時は他に方法が思いつかなくて……」
「いえ、リヴィア嬢を責めてるわけではないんです。ただ、自分の不甲斐なさに項垂れてるだけで……
むしろ、助かりました。本当に、ありがとうございます」
その誠実な声に、胸の奥が静かに緩んでいく。
(……よかった)
けれど、それと同時に、私もまた──伝えていなかった言葉を思い出す。
「いえ……こちらこそ。暴発のときに庇われる形になってしまって。私がもっと何かできていれば、こんなことにはならなかったはずなのに……」
「……その、あの時。突然抱きしめてしまって、すみません。咄嗟に体が動いて……不快にさせてしまったのでは」
「い、いえ……。でも、庇われるような形になってしまって……。本来なら、わたしが──」
「いやいやいや、そんなこと言い出したら無限ループになるからやめよう? 二人とも」
ユリオがバシッと手を叩いて割って入ってくる。
けれど、私の内心は、まだずっと──
(そう。あの時、ノエル様を守るべきだったのは、私だったのに)
その思いだけが、静かに、深く、胸の底で渦を巻いていた。
そんな中、ユリオがふと少し真剣な表情で言葉を切り出す。
「でもさ、冗談抜きで、一旦何が起こったんだよ? 二人とも、真っ先に課題は終わってたよな?」
「ああ。課題自体は割とすぐに終わったんだ。で、時間が余ったから――例の青い魔石でも試してみようって話になって。いつも通り魔導具に魔石をセットして起動したら、ああなった」
「齟齬ありませんか? リヴィア嬢」
「ええ、ありません」
そして、改めてあのときの状況を頭の中で整理しながら、口を開いた。
「魔導具を起動した直後、術式に反発するような魔力の乱れを感じました。その瞬間、一気に膨大な魔力が出力されて、暴発に至ったように見受けられます」
まるで魔石そのものが、“外に放出されること”を前提にしていたかのようだった。普通の魔石では、あり得ない挙動。
ノエル様が穏やかに応じる。
「さすがリヴィア嬢。よく観察していらっしゃいましたね」
その言葉に、私はほんの一瞬だけ視線をそらした。
(……褒められるようなことではない)
魔力の異常は確かに感じた。でも、それを“事前に止められなかった”という悔しさが、どうしても消えない。
「いえ……それで咄嗟の行動が遅れてしまっては、意味がないでしょうし……」
レオンが、静かな声で言葉を重ねる。
「その観察眼は大したものだ。ぜひ、大事にしてほしい」
私は一瞬、息を呑んだ。
それは……正面から自分の力を肯定されたような響きだった。頬が、ほんのわずかに熱を帯びる。
「……ありがとうございます」
ようやく、そう絞り出すことができた。
そんな中、ユリオがふいに目を細めて言った。
「そうすると、今回の原因はほぼあの青い魔石ってことか? なんか、やばくないか、それ」
「やばいって、何が?」
「いや、魔石の持ってる魔力量って、基本的にサイズに比例するじゃん。でも、あの青い魔石、別にでかくなかったろ? 魔導具にぴったり収まる程度だったぞ。あのサイズで、あれだけの魔力を吐き出すとか、理論的におかしいだろ」
私は頷きながら、慎重に言葉を選ぶ。
「確かに、そうですね……。ラヴェルナ家でも魔石の加工は多く扱っていますが、あのサイズであれほどの出力がある例は聞いたことがありません」
レオンが腕を組みながら、ぽつりと呟く。
「仮に、あの魔石自体にそんな魔力が内包されてたとしたら……結構な問題になるな」
(魔石の規格が、通用しない)
その現実が、じわりと胸に重くのしかかってくる。
「安易にあの魔石の特性を判断するのは危険だな……とりあえず、もう少し調べてみることにするよ。実家から送られてきたものでもあるし、今回の件もあって先延ばしにもできないからね」
ノエルの言葉に、ユリオが少し困ったように肩をすくめた。
「でもさ、調べるって言っても、どうやって?
なんてことない魔導具に入れただけで、あの威力だったんだろ?」
「……実家に帰れば、多少の設備はあるけど、今は講義も詰まってるし、しばらく戻れそうにないんだよな」
その場でノエルは頭を抱えていた。
そのノエルの様子を見て、私の胸の奥で、はっきりとした決意が芽生えていた。
(もう……あんなふうに、ノエル様が傷つくのを見たくない)
魔石が暴発したあの瞬間、目の前が白く染まる中で、彼は何のためらいもなく私を庇ってくれた。自分が傷つくことを承知で、私を守ろうとしてくれた。
それがどれほど怖くて、どれほど……嬉しかったか。
でも、本来なら逆だったはずだ。魔力の乱れを一番に感じ取れたのは私だった。
ノルゼアでの訓練で、幾度となく魔力の流れを読む鍛錬をしてきたのに、気づいていたのに──私は、動けなかった。
だから、今度こそ。
次に危機が訪れたら、今度は私が、ノエル様を守る番だ。
(……だったら、この件から退くなんて、あり得ない)
魔石の性質は、どう考えても通常のものとは異なっていた。魔力の脈動、流出の速度、術式との反発。
どれを取っても異質で、放っておくにはあまりにも危険すぎる。
そして何より──その解析に必要な設備と知識が、ラヴェルナ家にはある。
(だから、私がやるしかない)
それは、義務でも、責任でもない。ただ一つの、強い願いだった。
(今度は、私がノエル様を守るの)
そう思えたから、迷いなく言葉にした。
「私も……協力します。私の家でなら、解析できるかもしれません。魔石加工用の設備も揃っていますし、貴族院からも近いですから」
「……よろしいのですか? これ以上関われば、面倒になるかもしれませんし、解析中に危険が生じる可能性もあります」
「ええ、それは承知しています。でも、既に関わってしまった以上、他人事とは思えません。それに……ノエル様がやるなら、私もやるべきだと思いますから」
「じゃあ、あの青い魔石については、今度ラヴェルナ家で解析ってことで決定だな!ノエル、久々の婚約者様のお宅訪問だぞ〜! 気合い入れていけよー!」
ユリオの冗談に、ノエルが頭を抱える。
「プレッシャーをかけるなって……」
その姿に、思わず口元が緩んだ。
気づけば、自然と笑みがこぼれていた。
あの暴発以来、どこか張りつめていた心が、ほんの少しだけ緩んでいた。
その後、魔石の回収のために部屋を後にした。
教授から不本意な事実を聞いたが、決意は変わらない。
まずは魔石の解析からだ。そのために、実家との交渉をする必要がある。
(お父様、ノエル様が来ることを許してくださるかしら)
留学中にどんなやり取りがあったのかはわからないが、少なくとも一度帰ってきてから一度もノエルのことを聞かれていない。
リヴィアに対して興味がないのか、それとも婚約者がいることを忘れているのか。
いずれにせよ、交渉は難航しそうな予感がしていた。




