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101. 嫉妬(リヴィア視点)

ノエルと話そうと決めて、王都に戻った。

貴族院からは、今年も式典の実行役員を任せるとの通達。初回の打ち合わせは夏休み明け初日の午前だという。


会議室に入ると、ノエルはまだいなかった。ほどなく扉が開き、彼が来る。

いつもの覇気がなく、少し落ち込んでいる――喧嘩の後の顔だ。わたしが彼にとってどれほど大きいのか、逆説的に思い知らされる。胸が温かくなるのを感じて、同時に申し訳なくもなる。

けれど、ふとノエルと目が合った瞬間、気まずさが先に立ち、わたしは視線を逸らしてしまった。


(こんな状態で、話せるのかしら……)


何を伝えるべきか、まだ心が整っていない。

「義務で結婚するつもりはない」と言えばいい? ――それだけでは足りない。もっと根の部分で、言葉にして渡すべきものがある気がする。

会議は昨年とほぼ同じ段取りで進み、班ごとの顔合わせと意識合わせへ。


今年は講義がないぶん時間には余裕がある。研究と両立は大変でも、去年の反省を生かして無茶はしない――そう決めている。


(……ノエルとも約束したし)


卒業舞踏会の夜、「もっと強くなる」「無茶はしない」と誓い合い、ノエルに「好きだ」と言われたことを思い出す。


(――“好き”、ね)


その言葉が胸のどこかに引っかかって、指先がかすかに強張った。やがて打ち合わせはお開きに。ノエルへ視線を向けた瞬間、息が詰まる。

一年生の女子が彼の手を握っていて、ノエルは――わずかに表情を緩めていた。

ほんの少し。けれど、彼を見慣れたわたしには、それが分かってしまう。


(……どうして、その表情を、その子に?)


胸の奥で小さな棘が生まれる。今このまま話したら、感情をぶつけてしまう。

わたしは即座に「後にしよう」と決め、部屋を出た。



食堂へ向かうと、扉の前でセリーヌに出会う。


「リヴィア! あの後どうだったの?」

「セリーヌ……」


親友の顔を見て、心が少し落ち着く。さっきの光景は見間違いだ、と自分に言い聞かせる。

ノエルがわたし以外に懸想するなんて――あり得ない。

彼は女子生徒に人気だ。上の学年の多くは味方にできたとしても、下級生までは手が回らない。それだけのこと。そう思い直そうとした、そのとき。


食堂の扉が、もう一度開いた。


「リヴィア、どうしたの?って……あら?」


セリーヌの声に視線を向ける。息が喉で止まった。

先ほどの一年生と“腕を組んだ”ノエルが立っている。組む、というより、胸に彼の腕が埋まるほどの密着。

この国の貴族は貞淑が重んじられる。婚約者同士でも場を選ぶ距離だ。ましてや学友同士が許されるはずがない。


(どうして――それを、ノエルは許しているの?)


「ノエル、何をなさっているのですか?」

「ええと、リヴィア、これは……」

「ずいぶん、仲がよろしいのですね」


声は平らに保った。けれど、掌の内側では爪が半月を刻んでいる。

ノエルから漂う甘いムスクが鼻を刺し、喉の奥がきゅっと苦くなる。


「ノエル様、この方はどなたですか?」

「オデット、リヴィアは――」

(オデット? ……もう、呼び捨てしているの?)

「名前で、呼んでいるのですね」


自分でも意外なほど乾いた声が出た。胸の底で熱がせり上がる。

わたしの名を呼ぶときと同じやさしい低さで、他の娘の名が響く――その事実だけで、視界の輪郭が少しきつくなる。


「オデット、早く離れてください」

「いやです! ノエル様、わたしと一緒に昼食を食べてくださる約束でしたでしょう?」


ノエルが慌てて引き剥がそうとするほどに、彼女はさらに密着を強める。

心のどこかで、理屈が一瞬で焼け落ちる音がした。


「そういうことじゃなくて――」

「ノエル」

「……はい、リヴィア」

「たとえ義務の婚約であろうと、これは良くありません。節度をお守りください」


言葉は整えて出す。けれど、胸の内では――“わたしの人に触れないで”――と、もっと幼い言葉が喉元までこみ上げていた。


「違うんです、リヴィア」

「この状況で、何が“違う”と?」


これ以上ここにいれば、余計な言葉まで零してしまう。だから、切る。


「……今日は研究室には行きません。では、また」


踵を返す。足取りは静かに、速く。掌を開けば、爪の跡が白く残っていた。胸の真ん中は熱いのに、指先だけがひどく冷たい。



あれからというもの、ノエルとオデットは、ことあるごとに一緒にいると聞いた。

聞くだけでなく、わたし自身もしょっちゅう目撃した。

視界に入るのは、いつも腕を組む二人。

ノエルの腕に、彼女の胸がこれでもかと食い込み――その度に、オデットは勝ち誇ったように一瞬だけこちらを見やる。

嫌がるそぶりは確かにノエルにある。けれど、強く引き剥がそうとはしない。その“ためらい”が、胸の内側をじりじり焼いた。

気づけば、ノエルが一人でいる時でさえ、顔を見たくない一心で、必要最低限の用件だけを投げて背を向けるようになっていた。


(……どうして、あんな距離を許すの)


疑問は消えない。

先日の「義務」発言が胸に残った棘となって、オデットへの苛立ちよりも――ノエルへの怒りを大きく育てていく。


加えて、実行役員の打ち合わせ直後から、ノエルとオデットが恋仲だという噂は即座に広がった。

おまけに“それを邪魔する婚約者のリヴィア”という尾ひれ付きで。

前者は知らない。でも後者は完全な虚偽だ。むしろ、最近はまともに会話もしていないのに。


ノエルが否定した、という話も聞かない。沈黙は、肯定より残酷だ。

(リヴィアが“義務”で隣にいるなら、蔑ろにしても構わない――そう思っているの? それとも、わたしに向けていたあの表情を向けるほど、彼女が魅力的に見えるの?)


ふと、自分の体を見下ろす。オデットほど豊かではない胸。したいかしたくないかは置いておいて、ノエルの腕をあそこまで埋めることはできないだろう。

彼女のように“見せる”ことに長けているわけでもない。低い背に可愛らしい容貌、甘え方も心得ている彼女は、庇護欲をくすぐるのだろう。


リヴィアとて、ノエルには甘えてきたつもりだ。けれど、それが伝わらず「義務」と言わせた。――その不器用さが、この結果を招いたのだろうか。

考えれば考えるほど、心はどす黒く染まる。ノエルに対して、ここまで黒い感情を抱いたことはない。初対面で傷つけられたあの時でさえ。


(この気持ちは、何? わたしの性根が、あの時より醜くなったの?)


ノエルや、家族や友人からの思いを受け取って少しずつ回復してきた自己認識が、再び地に落ちていくのを感じる。



「リヴィア、今日もひどい顔ねぇ」


隣で昼食をつつくセリーヌが、容赦のないひと刺しを入れてくる。


「あの浮気男、まだあの娘とつるんでるの?」

「……」


セリーヌの辞書に、いつの間にか“浮気男”の見出しが増えたらしい。

庇いたいのに、今の状況では擁護の言葉が喉で崩れて、わたしは沈黙した。


「呆れるわ。あれだけ『リヴィアを大事にする』って宣言してたくせに」

「……そんな宣言、してたかしら」

「してたの。で、リヴィア。そんな男のために嫉妬してるなんて、時間の無駄。もう婚約破棄しちゃいなさいよ」


嫉妬――その語で自分の気持ちを言い当てられ、はっとする。

そう、わたしは嫉妬している。まだ、彼が好きだから。

ノエルの、あの柔らいだ表情は、わたしだけが知っているはずの顔だった。

それが一瞬でも他の娘に向くのを、どうしても許せない。


「……嫉妬で、頭がおかしくなりそう」


自分で言葉にすることによって、さらにすんなりと心に嫉妬という言葉が落ちてきた。


「そのまま言ってやれば?」

「……こんな時、セレスティアではどうしろっていってたっけ」

「浮気男への対処法? 魔力を込めて全力で一発殴る、だったかしら」


セリーヌが面白くなってきたと言わんばかりに、ニヤリと笑っていう。

セレスティアは女子生徒しかいなかった。だからこそ、団結力は強く、裏切り者には報復を。それが文化だった。

全女性の敵となる浮気男への対処法は、その文化の中で受け継がれたものだった。


「……よし。一発、入れてくる」

「それでこそ、私のリヴィア!」


半ば怒りに任せた言葉――でも、悪くない。殴って、胸の熱をいったん外に出して、それから話す。順番はその方がいい。

フォークを置く。握った拳に、爪が半月を刻む。


わたしは拳を固め直し、研究室へ向かった。

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