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10. 目覚めとお姫様抱っこ

視界が、ゆっくりと明るくなっていく。

ぼんやりとした光の中、布の匂いと誰かの小声が耳に届いた。


(……ここは、保健室か)


起き上がろうとした瞬間、背中にじんと鈍い痛みが走った。


「……っつ」

「おっ、起きた!」


ユリオの顔が急に覗き込んできて、思わずのけぞりそうになる。


「ちょ、近い……」

「いやいや、こっちは心配してやってんだぞ? あんな派手に机にぶつかっておいてさ」

「……そんなにやばかったのか」

「机ごと。ゴーン、ってな。結構な音だったぜ」


横目で見ると、レオンが無言で頷きながら椅子にもたれていた。

彼の視線の先には、リヴィアがいた。いつものように背筋を伸ばしていたけれど、どこかぎこちない。


「リヴィア嬢、改めてありがとうございます。真っ先にノエルを担いでここまで──」

「ち、違います。私は……ただ、その、当然のことを……!」


珍しく、リヴィアの声が少し上ずった。

顔を伏せかけた彼女の頬が、わずかに赤く染まっているように見える。


「……ちょっと待って、今なんて?」


僕は聞こえた言葉が信じられなくて、思わず聞き返した。


「だから、お前を保健室まで運んでくれたのはリヴィア嬢だって言ってるんだよ。感謝しとけっての」

「いや、本当にすごかったぞ。即座に身体強化魔術を発動して、ノエルを軽々と担ぎ上げて猛ダッシュ。

あの速度と魔力制御は、普通じゃなかった」

「しかも、お姫様抱っこだったからな。なあ、ノエル姫?」


ユリオがニヤニヤしながら揶揄うように言った。


「まじかよ……!」


がっくりと項垂れた。

またしても、リヴィアに紳士対応をされてしまった。


「すみません……ご不快でしたよね。でも、あの時は他に方法が思いつかなくて……」


「いえ、リヴィア嬢を責めてるわけではないんです。ただ、自分の不甲斐なさに項垂れてるだけで……

むしろ、助かりました。本当に、ありがとうございます」

「いえ……こちらこそ。暴発のときに庇われる形になってしまって。

私がもっと何かできていれば、こんなことにはならなかったはずなのに……」


その言葉で、咄嗟にリヴィアを抱きしめてしまったあの瞬間を思い出す。


「……その、あの時。突然抱きしめてしまって、すみません。咄嗟に体が動いて……不快にさせてしまったのでは」

「い、いえ……。でも、庇われるような形になってしまって……本来なら、わたしが──」

「いやいやいや、そんなこと言い出したら無限ループになるからやめよう? 二人とも」


ユリオがバシッと手を叩いて割って入ってくる。


「なんだこの謝罪会見。婚約者同士って、もっとこう、ツーカーでいちゃつくもんじゃねぇの?」

「おい、ユリオ。そこまでにしておけ。人には人の距離感がある」


レオンがさらっと言ったが……それ、フォローなのか? いや、たぶんフォロー……なのか?


「でもさ、冗談抜きで、一旦何が起こったんだよ? 二人とも、真っ先に課題は終わってたよな?」


ユリオが椅子の背もたれに腕をかけながら、少し真面目な顔で尋ねた。

僕も一拍置いて、気持ちを切り替えるように真顔になる。


「ああ。課題自体は割とすぐに終わったんだ。で、時間が余ったから――例の青い魔石でも試してみようって話になって。いつも通り魔導具に魔石をセットして起動したら、ああなった」


そう言ってから、隣のリヴィアに視線を向ける。


「齟齬ありませんか? リヴィア嬢」

「ええ、ありません」


リヴィアはしっかりと頷き、それから少し考えるように言葉を紡いだ。


「魔導具を起動した直後、術式に反発するような魔力の乱れを感じました。

その瞬間、一気に膨大な魔力が出力されて、暴発に至ったように見受けられます」

「さすがリヴィア嬢。よく観察していらっしゃいましたね」


僕がそう返すと、リヴィアはほんの少しだけ戸惑ったように視線をそらした。

彼女は以前、魔力の流れが“なんとなく分かる”と話していた。その感覚で何かを読み取ったのだろう。


「いえ……それで咄嗟の行動が遅れてしまっては、意味がないでしょうし……」


言葉の端に、悔しさが滲む。

でもそれを打ち消すように、レオンが低い声で言った。


「その観察眼は大したものだ。ぜひ、大事にしてほしい」


静かな声に、リヴィアが少しだけ目を見開いて、そしてうつむいた。

なんだか……仲良くないか? このふたり。


「そうすると、今回の原因はほぼあの青い魔石ってことか? なんか、やばくないか、それ」


ユリオが目を細めて言う。


「やばいって、何が?」

「いや、魔石の持ってる魔力量って、基本的にサイズに比例するじゃん。

でも、あの青い魔石、別にでかくなかったろ? 魔導具にぴったり収まる程度だったぞ。

あのサイズで、あれだけの魔力を吐き出すとか、理論的におかしいだろ」

「確かに、そうですね……」


リヴィアが少し考えながら頷いた。


「ラヴェルナ家でも魔石の加工は多く扱っていますが、あのサイズであれほどの出力がある例は聞いたことがありません」


レオンも腕を組んだまま、ぽつりと呟く。


「仮に、あの魔石自体にそんな魔力が内包されてたとしたら……結構な問題になるな」


魔石というのは、元々魔力を持たない者が魔法を扱うための“代替燃料”だ。

その魔力量は、基本的に石の大きさに比例するというのが常識だった。


だからこそ、大型魔導具には大型魔石を、小型魔導具には小さなものを――という運用がされてきた。


(でも、もしもあのサイズで大型魔石以上の出力があるとしたら……)


それは、単なる変異では済まない。

生活面でも、軍事面でも、あらゆる分野での“革命”になりかねない。


「安易にあの魔石の特性を判断するのは危険だな……

とりあえず、もう少し調べてみることにするよ。実家から送られてきたものでもあるし、今回の件もあって先延ばしにもできないからね」


「でもさ、調べるって言っても、どうやって?

なんてことない魔導具に入れただけで、あの威力だったんだろ?」


ユリオの指摘に、僕は思わず頭を抱えた。


「……実家に帰れば、多少の設備はあるけど、今は講義も詰まってるし、しばらく戻れそうにないんだよな」

「うーん……」


言葉が詰まる。手立てが浮かばない。


そのときだった。


リヴィアが、少し黙ったあと、静かに口を開いた。


「私も……協力します。

私の家でなら、解析できるかもしれません。魔石加工用の設備も揃っていますし、貴族院からも近いですから」


その申し出に、一瞬、息をのんだ。


「……よろしいのですか? これ以上関われば、面倒になるかもしれませんし、解析中に危険が生じる可能性もあります」

「ええ、それは承知しています。でも、既に関わってしまった以上、他人事とは思えません。

それに……ノエル様がやるなら、私もやるべきだと思いますから」


(……え、ちょっと待って。今、なんて言った?)


心臓の鼓動が、わずかに跳ねた。


「じゃあ、あの青い魔石については、今度ラヴェルナ家で解析ってことで決定だな!

ノエル、久々の婚約者様のお宅訪問だぞ〜! 気合い入れていけよー!」


ユリオが茶々を入れてきた。


「プレッシャーをかけるなって……」


項垂れながら答えると、リヴィアが小さく「ふふっ」と笑った。

その笑顔を見たのは、久しぶりだった気がする。


「そういえば、あの青い魔石って今どこにある? 回収してくれたか?」


僕はふと思い出して質問した。


「……あ」


一同の声が揃った。


「魔導具と一緒に、教授に回収されているかと……すみません、気が回っていませんでした」


リヴィアが申し訳なさそうに答えた。


「いえ、大丈夫です。みんな、それどころではなかったですし。

僕が無事の報告も兼ねて、後で返してもらいに行きます」


「いいえ、ノエル様は今日一日は保健室で安静に、とのことですので、私が取りに行ってまいります。

同じチームで実験していた私であれば、教授にも納得いただけると思いますし」


僕が何か言いかけるより早く、リヴィアはすっと立ち上がった。

その動きはいつものように無駄がなく、けれどどこか、心なしか柔らかさを含んでいた。


「では、行ってまいります」


静かにそう言って部屋を出ていく背中を、僕たちは誰も言葉を挟まずに見送った。


部屋の中に残ったのは、落ち着いた空気と、魔石の謎、そして──

さっきよりほんの少しだけ、近づいた距離感だった。



リヴィアが扉の向こうに消えてから、少しの沈黙が落ちた。

その空気を破るように、僕は声をかけた。


「なあ、レオン」

「なんだ?」

「ラヴェルナ家に行くとき、お前の婚約者のアメリアも一緒に来てくれないか?」


レオンがわずかに眉を動かした。


「なぜだ?」


僕は視線を伏せ、言葉を選ぶように続けた。


「僕は……これ以上、この件にリヴィアを巻き込みたくない。

でも、設備を借りる以上、完全に無関係ってわけにはいかない。

せめて解析の間だけでも、アメリアにリヴィアを引き留めておいてもらえたら……と思って」


しばらく間があって、レオンが静かに問い返す。


「……お前、それでいいのか?」

「……ああ。もうリヴィアを危険に晒したくないんだ」


その言葉に、別の方向から横槍が入った。


「お姫様抱っこされるのも、もうゴメンってか?」

「うるさいぞ、ユリオ」


ちらりと睨むと、ユリオは悪びれもせず肩をすくめた。

レオンはふっと小さく笑ったような気がして、やがて短く答えた。


「わかった。アメリアには俺から話してみる」

「……ああ。頼む」


そうレオンに依頼しながら、先ほどリヴィアがくれた言葉を、胸の奥にそっとしまい込んで、気づかないふりをした。


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