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1. 最悪の出会い

どうして、こんな茶番に付き合わされているのか。


親の横に立たされて、形式的な笑顔を貼り付けたまま、俺は黙って座っていた。

どれだけ背筋を正しても、この場の空気が肌に馴染むことはない。足元には絨毯、壁には豪華すぎる絵画。ラヴェルナ家の迎賓室は、俺にはどこか落ち着かなかった。

それはたとえ、将来は自分がここに住むこととなるとしてもだ。


婚約――それも、政治のための。


この婚約には、この国の魔石の流通・加工をより強化にしたいと言う、国の意思が働いているらしい。

伯爵家の次男として生まれた自分は、どうやら最終的にはどこかの家に婿入りすることが決まっているらしい。

貴族なら当然の話、なのだろう。だが、納得できるほど俺は大人ではなかったし、従うほど素直でもなかった。


どうせ相手も、同じ気持ちだろ。

形式だけの挨拶をして、はい終了。そんな無意味な儀礼にしか思えなかった。


コンコンと扉を叩く音がして、静かに開いた。

入ってきたのは、一人の少女だった。



……思考が停止した。



本当に、時間が止まったのかと思った。あまりに突然で、何が起きたのか理解が追いつかなかった。


少女がこちらに向かってくるだけなのに、

不思議と視線が逸らせなかった。


歩くたびに柔らかい亜麻色の髪が揺れ、光を受けて静かに艶めく。控えめなワンピースの色合いですら、まるで春の庭の一部みたいだった。

彼女はその綺麗な薄紫色の瞳でまっすぐ俺を見て、柔らかく微笑んだ。

その仕草が、あどけなさを残しているにもかかわらず、ことさらに美しく見えた。


「ノエル様、はじめまして。リヴィア・ラヴェルナと申します。よろしくお願いいたします」


一拍遅れて、心臓が跳ねた。

この一瞬で、俺の中の何かが変わった。そんな気がした。


「……ノエル・アーデンです。こちらこそ、よろしくお願いします」


どうにか声は出せたけれど、喉が張りついて息がしづらい。

まずい。これは、予想してなかった。



両親に、「ふたりで庭でも散策なさい」と言われたとき、断るという選択肢はなかった。


リヴィアと並んで歩く。目線の高さが、ほとんど同じなのが妙に気になった。同年代の女子と並ぶのに、ここまで見上げずに済んだことはほとんどなかった。


俺の方が、少し低いかもしれない。

そんな劣等感がよぎって、思わず視線をそらす。けれどまた、気づけば盗み見るように彼女の横顔を見ていた。

風がそっと流れ、リヴィアの髪が揺れる。その度に心がざわつくのが、どうしようもなかった。


こんなの、俺らしくない。

そんなふうに思い始めたとき、リヴィアが静かに口を開いた。


「……ノエル様は、どんな女性がお好きなのでしょうか?」


声は穏やかで、あくまで礼儀正しい問いかけだった。


それなのに、俺の心は揺さぶられた。

まさか、そんなふうに聞かれるなんて思っていなかった。礼儀だと分かっているのに、どこか期待している自分がいた。


――いや、違う。

俺だけが、勘違いしてるだけかもしれない。礼儀を“特別”と受け取った自分が、馬鹿みたいに見えてきた。


「……なんでそんなこと聞くわけ?」


「え?」


喉の奥が熱くなり、気づけば声が出ていた。


「……そうやって、取り繕った顔されるのが、一番うっとうしいんだよ。

礼儀とか気遣いとか、上辺だけで“いい子”ぶるなよ、気持ち悪い。

どうせ、お前もこの婚約なんて、迷惑だって思ってるんだろ?」



言った瞬間、体の奥から冷たさが這い上がってきた。


リヴィアは何も言わなかった。ただ、ほんの少し戸惑ったように目を伏せ、小さな声で「ごめんなさい」とか微かに言っているのが聞こえた。


怒るでもなく、哀しむでもなく、ただ静かに目を逸らしたその仕草が、自分のしでかしてしまったことを自覚させた。


自分が拒絶したその一言が沈黙を生んだまま、

ふたりで屋敷へ戻る道のりは、ひどく長く感じられた。




数日後。


父が書類に目を通しながら、ふと思い出したように口にした。


「ラヴェルナ嬢は、来月から隣国に留学に行くらしい。期間は五年だ。

かなり厳格な女学院で有名だ。途中で帰ってくることは、まずないだろう」


その言葉を聞いた瞬間、世界が音を失った。

手の中の書類がぐしゃりと潰れる。

自分でも気づかぬうちに、息が止まっていた。


もう会えないかもしれない。そう思った瞬間、胸の奥がじわじわと痛み出す。


謝るつもりだった。

ちゃんと話したいと思ってた。

でも、それがもう叶わないかもしれない。そう思うだけで、どうしようもなく寂しくて、悔しくて、情けなかった。


(……あのとき、なんであんな言い方しかできなかったんだ)


彼女は丁寧に言葉を選んでくれたのに。俺は、感情に任せて、突き放すことしかできなかった。


礼儀も、余裕もなくて、ただ拗ねて、彼女の優しさすら疑って――そんな自分が、たまらなく恥ずかしかった。


あの日出会った彼女の姿が、声が、脳裏から離れない。

これは恋だと自覚するのに時間はかからなかった。


(もう一度だけ会えたら……今度こそ、ちゃんと)


もう二度と、彼女を傷つけたりはしない。もしまた話せたなら、今度は――ちゃんと、笑ってほしい。

婚約者として、彼女の隣にいたい。


(……五年か)



それは、子どもの俺にとっては永遠にも思える時間だった。けれど、彼女がそこにいるのなら、待つ理由としては十分すぎる。


胸の奥に火が灯された瞬間だった。気づけば、拳を強く握っていた。


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