[令和妖怪譚] 赤シャグマ PARTⅢ
その1
赤シャグマたちは介護の現場でも、保育の現場でもとても喜ばれた。その愛くるしい容貌に加え、献身的なサービスがお年寄りや乳幼児たちのハートに響いたものと思われた。
赤シャグマたちは幾世紀にも及ぶ妖怪ライフの中で、これほど社会貢献をしたことはなかった。
気に入って家に棲みつき、裕福にしたとしても、ゼニカネは決して人間の心を豊かにしない。なんど臍を噛んできたことか。
二一世紀に至ってようやく、赤シャグマたちの積年の苦労が報われる時代が到来したのである。
しかし、毎日がルンルンだったわけではない。
お年寄りに関して言えば、物価の高騰が生計を圧迫している。光熱費は否が応にも口座から引き落とされる。非情にも年金は横ばいなので、食費を節約するしかない。
見るからに、テーブルの上の料理の数は減った。食べることしか楽しみがない、という高齢者が多い中、赤シャグマたちは何とかやりくりして、心のこもった料理の提供に努めているのだ。
懐が寂しくなり、赤シャグマたちに手渡される毎月の謝金も減った。この謝金はほぼそのまま、こども食堂に寄付していたので、こども食堂のメニューも貧相になってきた、と聞いた。負の連鎖は続く。
☆
はつゑがため息をついている。
「あら、どうしたの。元気ないじゃないの。久しぶりに女子会やって景気づけようか」
妻は社会情勢など超越している。天然の明るさが、なんともうらやましい。
「今も、はつゑちゃんから話を聴いてたのよ。やっぱり、この物価高はお年寄りも子供も直撃してるみたいだよ」
私は妻に話しかけた。
「ううん。おじいちゃん、これからが本題なのよ」
はつゑが身を乗り出した。これまでは、ほんの序の口ということか。
「あのね、保育所のスタッフがどんどん辞めていくのよ。仕事がきつい割にお給料が安くて、生活できないと言って。アタイたちは保育士さんの保育業務に対する補助だけやってればいいけど、保育士さんは保育・教育業務のほかに書類を作成したり、もう大変そう。家に持ち帰ることなんか普通なのよ。アタイたちがいるので、とても助かってるとは言ってくれるけど、保育士さんたちヘトヘトよ。ここだけの話、うつで心療内科に通院している人なんかザラよ」
赤シャグマのいる保育所でこうなのだから、ほかの保育所は推して知るべし。誤嚥などの事故は、起こるべくして起きていると言えなくもない。
☆
「役所を退職した人が後任の所長で来てて、スタッフを補充してほしいって要望は出してるみたいなの。でも、いい人は応募して来ない。定員を満たすために資格さえ持っていれば、仕方なく採用するから、職員のレベルはどんどん低下するのよ。アタイたちが見ても、明らかに向いてないな、と思う人もいるもの」
はつゑの話では、よく、ほかの子のおもちゃを取り上げて泣かしてしまう子がいる。保育士が叱る。しつこく追及するので、最後にはべそをかく。教室は泣き声の大合唱となる。その繰り返しだという。
「はつゑちゃんは、そんな場合どうしてるの」
妻が興味を示した。
「アタイはね、『一緒に遊んでいい?』『そのおもちゃ、貸してくれない?』とか言って、実際に遊びに加わってみせるの。その子も、次からはみんなと仲良くできてるよ」
はつゑがやると、説得力があるだろう。
「そんな子はね、おうちでの様子も気になるけど、親との話し合いにはアタイたちは参加できないの。『もう、乱暴なことばっかりするんですよ』とか、ダイレクトに言うので、子供は親に言いつけられないか、ヒヤヒヤしてるみたいなんです」
私も問題児とされただけに、その子の気持ちは分かる。今はいざ知らず、昔は「誰それに言いつけるから」と脅されたものだ。
はつゑがなんだかベテラン保育士に思えてきた。
その2
「赤シャグマちゃんたち、ご活躍のようですな」
市長が久々に顔を見せた。
「新しい所長から、いろいろ聞いてますよ」
市長は歯の浮くようなお世辞を連発した。これは市長の常とう手段だ。何か腹蔵するものがある。
「ところで、また、お願いがございまして。あくまでも、所長が言うにはですよ。赤シャグマちゃんたちに、保育所の方針に従ってほしいということです。長年の経験には敬意を表しますが、保育士さんがせっかく指導しても、赤シャグマちゃんたちの不用意な対応で元の木阿弥。この間も、懲罰で外に立たせていた子と遊んでいたらしいじゃないですか」
ユキから聞いてはいた。
ある子が昼寝の時間に眠くないので、友達の足の裏をくすぐっていたところ、担任に見つかってしまった。ユキは立たされたと相モデルになって足の裏のくすぐりあいをし、基本を教えていた。そこを担任の目に留まったのだった。担任の気持ちが理解できないわけではない。
☆
「それから、保育士に悪知恵を授けないでほしいのです。若い保育士が給料のことをぼやいたら、団体交渉をそそのかし、挙句の果ては武力闘争さえ、けしかけたということですよ。代官をつるし上げて、年貢を下げさせた祖先でも、いたんじゃないですか」
私は仰天した。はつゑは確かに若手保育士の給料の不満は聴いてやったようだ。
「そんなにひどいの。昔なら百姓一揆が起きかねないね。でも今は令和の時代、みんなで相談して、要望してみたら」
といっただけなのに。まあ、過激な言葉が含まれていたことは否めない。
「それから、赤シャグマちゃんのファッションなんですが、髪の毛を黒く染めるとか、和服をワンピースか何かに変えるとかできないものでしょうか。子供たちがマネしたがって困る、というクレームが保護者から出てるのですよ」
☆
たいていのことには目をつむれた。しかし、どうしても譲れない一線はある。
「それは、どうでしょう。赤いおかっぱと着物は、赤シャグマのトレードマーク。いわば、アイデンティティに関わるものです。私は口が裂けても、彼女たちに伝えることはできません」
「そうは、おっしゃいますが、悪い影響を与えているとすれば、極力排除していくのは保育所側の努めです。私も間に立って苦しいんです。そこを何とか…」
私は座を立った。
その3
おふみが介護センターからの帰り、保育所の裏を通りかかると、中から副所長の声が聞こえた。所長は外出しているのか、所長室の明かりが消えていた。
体制が一新された後、所長と共に就任してきた中年女性だ。どこかの保育所で主任をやっていたらしい。所長はお飾りなので、実質的なボスだ。
誰かスタッフに文句を言っている。話の内容は髪の毛とか和服とかであり、相手は赤シャグマに違いない。今日の当番はおよしだった。
「市長が何か言いに来たと、おじいちゃんが言ってたけど、このことかな」
およしは千足村で、おばあちゃんからよく小言を言われた。おばあちゃんはおよしの行儀が悪いと言って、囲炉裏の火箸でおよしを叩くこともあった。
おばあちゃんは飢饉の年、自ら進んでひとり山奥に入って行った。お父もお母も泣いて見送った。およしはなんで泣いているのか分からなかった。
秋も深まり、木枯らしの吹く季節に、おばあちゃんは単物という軽装になっていた。おばあちゃんは山から帰らなかった。あれは口減らしだったのだ。
☆
「あなた、聞いてるの!」
副所長の甲高い声が、およしを現実に引き戻した。
「その髪、なによ! よく、そんなヘアカラー買うお金があったものね」
およしも元は黒髪だった。全然お腹が空かない体になり、気が付くと、髪が真っ赤に生え変わっていた。
「その服も。そういうのは、奇をてらうっていうの。似合ってるとでも思ってるの」
副所長は人の急所を突く、つまりは人の心にダメージを与える術に長けている。これで何人の部下を、再起不能にしてきたことだろう。
☆
保育所の裏で、おふみはなおも耳を傾けていた。
前方を横切る一団があった。数人の保育士と子供たちだった。
真っ赤なウィッグをかぶり、紙で折った急ごしらえの和服を身に着けていた。間に合わなかったのか、災害時用のヘルメットを赤く塗ってかぶり、「火の用心」の法被を着用している子もいた。
一団は
「パワハラ反対! 先生ガンバレ!」
と叫びながら、中庭を行進し、所長室へと向かった。
所長室は占拠され、窓にカーテンが引かれた。
うろたえる副所長を横目に、およしは所長室の仲間に合流した。
その4
市長が血相を変えて飛んできた。
「だから、言わんことじゃない。一部保育士が子供たちを人質に立てこもっているのです。これは令和の一揆ですよ、一揆!」
市長は私を無理やりクルマに乗せた。責任を取らせたいのだろう。あいにく、私にはそんな力はなかった。
☆
保育所に着くと、パトカーが数台停まり、非常線が張られていた。警官が無線であわただしく交信している。野次馬の中には保護者たちの心配そうな顔もあった。
「市長! 人質の安全は確保されてるのですか」
「うちの子に何かあったら、出るところに出ますからね」
「今の所長は市長の後援会長らしいじゃないですか。任命責任はどうなるのですか」
市長は非難の矢面に立たされていた。
☆
マスコミの動きは速かった。テレビカメラが回され、レポーターのまわりは黒山の人だかりとなった。映り込みを期待し、さまざまなポーズをとるおっちょこちょいも目に付いた。
長期戦になると見たのか、毛布が運び込まれ、給食職員が炊き出しを始めていた。中に赤シャグマが数人混じっていた。介護サービスの仕事を終え、応援に回ったものだ。
☆
交渉の準備は整ったようだった。
所長室のドアの左右に銃器を手にした警官が配されていた。隊長がメガホンで呼びかけた。
「君たちは包囲されている。何か要求があるのなら、聞く用意はある。まず、人質を解放しなさい」
ドアが開いた。
隊長が目配せした。市長に促され、私は所長に伴われて、所長室に入った。
「あっ、赤シャグマ先生のおじいちゃんだ」
子供たちから拍手が拍手が起きた。
所長が外の様子を説明した。大騒ぎになって、保育士たちは恐縮していた。リーダーらしい保育士がとりあえず、要望書を手渡した。
一、 給料を全産業平均に引き上げること
二、 職員の定員数の確保に努め、資質向上を図ること
三、 所内に協同体制を確立すること
四、 職員間の意思疎通を日常的に図ること
五、 今回の行動参加者を処分しないこと
最後に年月日のほか、保育士三人、幼児八人の氏名が自著されていた。
よくできた要望書だった。
所長は渋々了解した。
市長は忌々し気に私をにらんでいた。何か勘違いしているのではないか。
☆
マスコミに肩透かしを食らわすかのように、騒ぎはあっけなく解決した。
せっかくなので、給食職員さんの差し入れを中庭でいただくことになった。
子供たちも保育士もお腹が空いていた。もちろん私もご相伴にあずかった。赤シャグマたちは見ているだけだった。
その5
「それは、かわいそうよ。あんまりよねえ」
妻は赤シャグマたちに同情している。
赤シャグマには紅茶を出し、自らはショート・ケーキを口に運ぶ。
☆
私はこの間の騒ぎがどう論評されているか、マスメディアをチェックしていた。思ったとおりだった。
「四国の山奥で信じられない事件が勃発しました。保育士らが子供たちを人質に保育所に立てこもり、待遇改善を要求したのです。保育士の給料が安いことは広く指摘されているところです。しかし、実力行使に出るのはいかがでしょう。人手不足ではありますが、採用に当たって、保育者にふさわしい人物かどうか、慎重に見極める必要がありそうです」
などと言うのが幅を利かせていた。
映像で使われた要望書は、保育士の氏名を黒塗りにし、幼児の氏名は跡形もなく削除されていたようだ。これには、能天気な妻も憤慨していた。
ただ、次のようなものもあった。
「ここ三〇年あまり、日本はコストカット社会でした。派遣やアルバイト社員を増やして身軽になり、企業は利益の内部留保に奔走しました。低成長の時代になって、税収が減り国や地方公共団体も契約職員を増やして急場をしのいできました。ヒト・モノ・カネのうち、特にヒトにはコストをかけなかったのです。加えて、少子高齢化社会が到来し、人材不足が顕在化しています。今回の事件は、これらの問題をあぶり出したものと、私は考えます。決起した保育士さんたちの声に社会全体が耳を傾けないと、新たな『失われた何十年』かが幕開けします」
正鵠を射ている、と拍手した。
しかし、この解説者はメディアに露出しなくなった。快く思わないムキもいたのだろう。
☆
女子会で、およしの故郷・千足村を訪ねることになったらしい。まさか、同郷の私に黙って決行するわけにはいかないので、妻のクルマに同乗することになった。
下界の喧騒をよそに、千足村は静寂に包まれている。ここでは、時間が停まっていた。
「何百年ぶりやろか」
およしが記憶をたぐっている。
「ここに確か、谷があって水が流れとったはずや。魚がいっぱいおったの覚えてる。アタイ、魚獲り、うまかったんだよ」
古来、千足村の人々を潤してきた命の水だった。それが涸れていた。
「およしちゃんがいた頃は、杉や樫やくぬぎや、いろいろな木が生えていたでしょ。水もあちこちに涌いていた。ところが、見てごらん。『国土緑化運動』が進められて、山は杉の木ばかり。村人が減って森林の手入れする人がいなくなったものだから、山は荒れ放題。ふだんは谷の水が涸れているけど、一雨降れば土石流となって流れ下るのよ」
赤シャグマたちは悲鳴に似た声をあげた。
どこの村でも起きている現象だ。生まれ故郷の惨状を思って、心を痛めたのだろう。
「おじいちゃん、どうして、そんなに杉の木ばかり植えたんやろか」
はつゑだった。
「さあ、どうしてだろうね」
私は説明しかけて、止めた。
「お上が号令かけたら、わき目もふらず突っ走る国民性かな」
とは言えなかったのだ。
お上の話など出すと、赤シャグマたちのせっかくの行楽を、台無しにしそうだった。
☆
「アタイの家はな、村の一番奥にあったのよ」
およしは、廃屋になった私の生家あたりを見上げた。
可能な限り、崩れた屋敷跡に近づいて見た。
「うん、こんな感じやったなあ。お父とお母は飢え死にし、アタイは赤シャグマになった。空き家にとなり村のおじさんが移り住んだって、風の便りに聞いたことあったなあ」
「あらあ、本当なら、おじいちゃんと同じルーツじゃない。初めて会った時から、おばあちゃんはそんな気がしてたのよ」
妻がおよしを抱き上げた。
思うに、祖先が農民だと「千足村の百姓・権蔵の娘・およし」とか「千足村の百姓・勝三の息子・シゲル」とか十把一絡げにされた時代があった。ルーツをたどることなど難しい。およしと私のようなケースは極めてレアと言うほかなかった。
私はこの先、およしの記憶の中で永遠に生きることになる。
もちろん、はつゑも、キヨも、ユキも、おのぶも、おみよも、おふみも、私たちのことは忘れないだろう。