コーヒーの香り
1時間後
黒いマンションの玄関にあった郵便受けから、601号室を選び出し、大切に持ってきた黒い封筒を投函した美沙紀は、元町商店街まで戻ってきて、喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
水出しコーヒーの上質な香りを深く吸い込む。すばらしい香りだった。
美沙紀は、自分の心がコーヒーの香りに満たされて、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるのを感じていた。
ゆっくりと周囲を見回してみる。席はほぼ満席だったが、店内は心地よい静けさに満ちていた。本来なら、花火大会が始まっている時間だが、外からも特別賑やかな音は聞こえてこない。どうやら悪天候の為に順延になった様だ。
美沙紀は一番窓に近い、カウンター席の端に座っていた。
この店は、カウンターに座った客に限り、棚に飾られているカップから好きな物を選べるシステムになっているのが楽しい。
目の前でカップにコーヒーをそそいでいるマスターの鮮やかな手つきを見ながら、ゆっくりと大きく深呼吸する。
ばかみたい・・
美沙紀は、人知れず口元を緩めた。
それは決して卑屈な笑みではなかった。
今日1日の行動を冷静に思い返した自分に対する、素直なリアクションだった。
今時、呪いなんて小学生でも信じないだろう。いい歳をして情けない・・
こんな話、恥ずかしくて誰にも言えない。
美沙紀は、この話を教えてくれた友人にも元町を訪れた事は黙っておこうと決めた。