ロンドンタワーハムレッツ
翌日の昼過ぎ、美沙紀はロンドンタワーハムレッツ地区のテムズ川に面したバーのテラス席で昼食をとっていた。
数百メートル先にはタワーブリッジが見える。
美沙紀は定番のフィッシュ&チップスを食べながら、買い付ける予定になっている時計のリストをチェックしていた。
1940~50年代のパテック、オーデマ、バセロンなどの定番が大半を占めているが、いずれも程度が極上との事で期待が持てる。
今回も充実した取り引きになりそうだった。
また今回は初めて、店主の秘蔵中の秘蔵コレクションがストックされている部屋に入れてもらえる事になっており、それも非常に楽しみだった。
アンティーク時計業界では名の知れたバイヤーである美沙紀でさえ、お目にかかった事のないマボロシ級の逸品に会える貴重な機会になるだろう。
会計を済ませると、美沙紀は近くで開催されているマーケットに向かった。
この日、その店の店主がマーケットに出店していたからだった。
美沙紀がその店主と初めて会ったのもマーケットだった。一見すると、どこにでもいるフリマの出店者にしか見えず、時計も無造作に数本程度販売されているだけなので、少々時計をかじった程度ではその店の真の実力に気付く事は出来ないだろう。しかしながら百戦錬磨の美沙紀は、時計の品揃えから、その店の真のポテンシャルをいち早く見抜いたのだった。
その店主も、美沙紀の時計に関する目利きの鋭さを評価し、信頼してくれていた。
美沙紀はマーケットの入口に到着すると、
店のトレードマークである白いロータスエスプリの模型を探した。
先程、FILM4で放送していた、007シリーズ 「私を愛したスパイ」で登場したボンドカーだった。
この模型も今では希少な物らしく、この日も時計そっちのけで売らせようと店主に交渉している者がいた。
「元気そうね。ジェイムズ。」
美沙紀が、店主である初老の男に声をかけた。
「おお、キョウコ、よく来たな。」
ジェイムズは、年代物だが上質なフレームの丸メガネ越しに、嬉しそうに響子を見つめた。
「どう、商売の方は?」
「まあまあだな。もともと、マーケットで稼ぐつもりもないしな。」
「ふーん。余裕ね。 でも、それにしては商品を厳選してるわね。このモバードのシリンダーケースのクロノなんて、最近じゃここまで状態の良い物はなかなか見かけないわよ。」
「ははは。早速買い付けかね。相変わらず商売熱心だな。まあ、良いか。こちらも一休みしたかったところだ。店に移動するとしよう。」
「しばらく、店に戻るからな。マーケットの方は任せるぞ。」
ジェイムズは後ろを振り返ると、一緒に店をやっている彼の妻に言った。
そして、美沙紀を連れて店を後にした。