メイの家族
「あ!見えましたね。あれが兎人族の集落です!」
質問を続けようとしていた俺は、目の前の風景に口を閉ざしていた。今は尋ねるよりもやる事があると思ったからだ。
集落は思ったよりも遥かに強固な防備がなされていた。集落を囲う壁は非常に高く、石のような素材で作られている。門は木のようだが、見るからに重厚な作りで、表面に照りがあることからおそらく防火か何かのコーティングがされているようだ。火を使う魔物でも居るのだろうか。
「待て。そこのお前」
門に入ろうとすると、門番に止められた。当然か。むしろ止めなければ何のために居るのかというレベルだ。
「兎人族ではないようだが……メイ、説明してくれるか?それに服が汚れているようだが……」
「はい。彼はーーー」
メイが俺についての説明をする。魔物に襲われているところを助けたこと。おそらく『探訪者』であること。名前は朝日ということ。など。
俺が抱きついたことに関しては触れなかった。ありがたい。ここまで送らせてポイということは無さそうで安心した。
「……なるほど。にわかには信じ難いが……」
門番は俺をじろりと見る。おそらく『探訪者』のくだりについて言っているのだろう。
『探訪者』というのはそれだけ稀な存在なのだろう。それに、疑わしい存在でもありそうだ。身分の分からない人間はとりあえず自分が探訪者だと言っておけばいいし、門番はそれで通す訳にはいかない。
残念だがここでさよならかな、と思っていると。
「しかし、メイを助けてくれたことは本当のようだ。礼を言う」
意外にも門番はぺこりと頭を下げた。耳がこちらに向けられる。
「……いいのか?」
「メイが懐いているのは本当のようだからな。聞いたかもしれないが……この子は身寄りが無いんだ。だからこそ、集落の者は皆この子を気にかけている。ある意味一番大切にされている存在と言ってもいい。この子を助けてくれたことは私個人としても感謝すべきことなのだ」
どうもこの集落は仲間意識が強いらしい。大丈夫なのかとは思うが、とはいえ好都合だ。
ーーー途中で発された、あまり好ましくない言葉はここでは聞き流すことにする。
「すまない。感謝する」
「ああ。行くところはーーーとりあえずメイの家に行くといい。急いでないなら長老の家にも行ってくれ。メイが案内してくれるだろう」
「わかった」
「それにしても……」
しげしげと門番は俺を見る。先程とは違う、興味のような目だ。
「君はサンライトーーーメイの兄に似ているな」
「……メイにも言われたよ」
「しばらく風当たりは強いかもしれないが、無事に勅命が終わったらここに来ないか?メイの兄としてなら歓迎する」
「考えておくよ」
メイを助けたからか、あるいはよほど兄とやらに似ているのだろう。門番はやたらと俺に好意的だ。
ともかく、好意的に越したことはない。ここでこの世界についてのことを学ばせてもらうとしよう。
ーーー
「ただいまー」
「お邪魔します」
メイの家の玄関は俺の家にどこか似ていた……が、玄関はどこも同じようなものだろうと思い直す。
バイアスがかかっているのだろう。
俺の同一存在が住んでいた家であるということから。
「お茶でいいですか?」
「ああ……すまない」
リビングと思われる場所へ案内されて、椅子に促される。ほどなくしてメイからお茶が出された。貴重なものだったら悪いな、と思いながらありがたく口をつける。
「広い家だな」
「……昔は四人居ましたから」
少し無神経だったかな、と言ってから気付く。メイはちらりと部屋の隅を見た。そちらを見ると、おそらく仏壇のようなものであろう棚が目に入った。
「俺の世界では線香というものを上げるんだがーーー」
「……こちらではそういったものはありません。何かしてくださるのであれば、祈ってあげてください」
言われるまま、俺は仏壇の前に座る。
すると、思ってもみないものがあった。
家族写真だった。
いつのものかは分からないがーーーおそらく三年ほど前のものだろうと直感した。
メイの顔が、俺の知る妹の顔によく似ているからだ。
メイの兄は、パッと見は俺にはあまり似ていなかった。当時の俺よりも少し背が高く、髪も短い。そして筋骨隆々な男性だった。
しかし、顔を見ると。確かに似ている。
おそらくは、この世界の厳しい暮らしが体型を変えたのだろう。言われてみればメイも幾分か痩せ型だ。
「写真があるのか」
「そちらではシャシンと言うのですか?こちらではピクトと……そういう魔法があるんです」
メイは遠い目をしている。昔を思い出している目だ。きっと俺も同じような目をしている時があるのだろう。
「……家族は、魔物に殺されたと聞いたが」
「はい……二年前、魔物に殺されました」
「その割には門番は……その、集落全体で君以外に家族を失った人があまり居ないような口ぶりだったが」
家族を皆失ったからメイが大切にされている。
逆に言えば、メイ以外には家族を皆失った者が居ないということだ。俺はそれを妙に感じていた。
「……」
しばしの沈黙。それに耐えかねてメイを見ると、彼女は無表情で、少し震えていた。
「すまない。思い出したくなかったらーーー」
「……何故なんでしょうね」
メイは無表情のまま、体を震わせたまま、ぽつりと言った。
「私は体格に恵まれているわけではありません。筋力に秀でているわけでもありません。でも、集落で一番足が速いのは私です。何故だかわかりますか?」
「何故って……」
「二年前からずっと、魔物に襲われ続けているからです」
メイは涙を流していた。話を止めようとするが、俺はふと彼女の手に気がついた。
涙を流しながら、震えている手。
彼女の手は、涙を拭うでもなく、ただ机の上で握りしめられていた。
気付いた。
これは、怒りだ。
「二年前、集落が今ほど防衛を強化していなかった時。ある日突然、群れを成して魔物が集落に攻めてきました。そして魔物たちは他の住民には目もくれず、私をーーー私の家族を襲ってきました」
握りしめられた手から血が伝う。
俺は彼女の手を取ることも出来ず、ただその手をじっと見ていた。
「父と兄は勇敢に戦いました。私と母を守ってーーーでも、結局皆死んでしまいました。残ったのは結局、最も安全な場所に入れられていた、幼い私だけ」
ぎり、と奥歯が鳴った。
俺のものか、メイのものかはわからない。
「私を守るために集落の戦士も亡くなりました。今でも……今でも私は魔物に狙われ続けて、そんな私を守るために誰かが傷を負っている!毎日女神様に祈りました!誰かが私を狙ってるならやめさせてって!父さんと母さんとお兄ちゃんを殺した奴を殺してって!出来ないならいっそ……私を、殺してって……」
「……そうか、だから君は」
「……そうです……私は今日、死ぬ気で森へ行きました」
集落に着いた時から思っていた。彼女はああも愛されている。なのに、足が速いからといって彼女を薬草採りに一人で行かせるだろうか。
そして、着いてからも彼女は誰に薬草を渡しにも行かない。
嘘だったのだ。
彼女は、集落の人を守るため、誰にも知られずひっそりと自殺を選んだ。
「助けてもらった時、文句を言ってやろうと思っていました。余計なことをするなって。でも……アサヒさんが兄に似ていて。そんな人が泣き崩れて。少しだけ、嬉しくて……」
「……すまない」
「いえ……忘れることなんてありませんから」
「そうじゃないんだ」
俺は、メイの顔を真っ直ぐに見据えて言った。
「君の家族が殺されたのは、俺のせいなんだ」
がたん、と椅子が倒れる音がして、俺は胸ぐらを捕まれ、立ち上がらされた。
メイの血が、俺の胸元に付いた。




