メイと朝日
「……落ち着きましたか?」
手を離した俺に、メイがおずおずと尋ねてくる。助けて貰ったとはいえ、初対面の男に急に抱きつかれたのだからいい気はするまい。
それでも忌避感を見せていないのは、俺がよほど深刻に見えたということだろうか。
「ああ、すまない」
「いえ……その、助けていただいてありがとうございました」
「いや……大したことじゃない。気にしないでくれ」
若干の罪悪感を感じながら俺はそう答える。実の所、最悪見捨てるつもりでいたのだ。彼女の顔を見た今こそそんな考えは無くなったが、むしろだからこそ罪悪感がつのる。
「こちらこそすまない。その……みっともないところを見せてしまって」
「あはは……正直なところ戸惑いましたが……手篭めにされるかも、とか思っていたくらいなので大丈夫です」
「……そうか」
妹に似た顔でどことなく悲愴にそう言われると、こちらとしてもやるせなさが襲ってくる。
「ところで、気になっていたんだがその……」
「はい?」
「……それは何だ?」
俺の視線は彼女の顔よりも上の方。
頭の上にある2つの耳に注がれていた。
「それ……?ああ、もしかして獣人族に会うのは初めてですか?私は兎人族と呼ばれる種族で、兎の特徴がいくつか残っています。この耳もそのひとつですね」
「獣人族……なるほど、そんな種族が居るのか」
「あれ……あの、もしかして、ええと……」
「ああ、すまない。朝日だ」
「アサヒ様ですね。アサヒ様は『探訪者』の方ですか?」
「『探訪者』?」
聞きなれないワードに眉を顰める。
「あ、すみません……『探訪者』というのは、異世界から女神様の勅命を受けてこの世界にいらっしゃる方のことです」
「ああ……」
心当たりはある。
俺をここに飛ばした奴は女だったし、そもそも俺の腰には『聖域の武器』がある。おそらくはあそこが聖域とやらなのだろう。
勅命も受けた。「夕夜を殺せ」というのがそれだろう。
「おそらくそうだと思う。奴は女神とは名乗らなかったが……」
「やはりそうでしたか!実際にお会いしたのは初めてです!」
少し興奮気味にメイがそう言う。女神が関係しているくらいだし、『探訪者』とはある種伝説的なものなのだろう。
などと考えていると、どこからか狼の遠吠えが聞こえてきた。
「……とりあえず安全なところに移動するか。送ろう」
「すみません、そうでした……ありがとうございます」
「村か何かあるか?」
「ここから30分くらいの場所に兎人族の集落があります。そこまでお願いできますか?」
促された方向に向かって進む。少し悩んだが、結局道が分からないのでメイに先行してもらうことにした。魔物の襲撃は心配だが、後ろで音もなくメイが襲われているということもなくなる。罠などもないだろうし、こちらの方が安全とも言える。
「それで、メイは何故こんな所に居たんだ?」
「村で病人が出たので薬草を摘みに来ました。私の脚は集落でもかなり速い方なので安全だと……」
「あの魔物からは逃げられなかったのか?」
「魔物に勝てるほど速くはありません。兎人族は脚が速いのが特徴ですが、それはあくまで『人と比較して』ですから」
話を聞く限り、獣人族は人間よりも優れた種族のように感じる。人間よりも優れた点を持っていて、こうして話していても特に知能が劣っている様子も見られない。
「獣人族は人間よりも優れた種族なのか?人間と比べて劣っている部分が無さそうに見えるんだが」
「あはは。そんなことはありませんよ。運動能力は基本的に獣人族の方が高いですが、例えば寿命は平均して10年ほど短いです。高名な学者様も人間に多いですし、種族ごとにメリットもデメリットもいくつかあります」
「そうなのか。例えば兎人族はどうなんだ?」
「兎人族は足が速く、耳が良いのが最大の特徴ですね。その代わり臆病な方が多く、全体的に小柄です。あと……これはメリットともデメリットとも言えるんですが、その……」
「なんだ?」
「……種族として、性欲がとても強いです」
……妹の顔からそんな言葉が出てくるのは複雑な気分だ。
「……」
「ちっ……違うんですよ!あくまで種族の特徴であって、個人差もありますし……!」
顔を赤くしてぱたぱたと手を振りながら言い訳を始めるメイ。あまり話を広げるな。こっちだってもう打ち切りたいんだ。
「それに、私はまだ幼いのでまだそういった欲求は無いです!」
「……ちなみに、何歳なんだ?」
「……今年で13になります」
一番興味ある時期じゃないか。
とは口に出さないでおく。いくらなんでも妹と同じ顔をした少女にセクハラをするのは個人的にも嫌だ。
……それにしても、12歳か。
「……そういえば、アサヒ様はおいくつなんですか?」
「……15だ。今年16になる」
3つ差。
生きていれば、メイと同い年、か。
同い年、同じ顔、そして同じ名前。流石にそろそろ偶然では済まされなくなってきた気がする。
もしかして少女は別世界の妹だとか、そういう存在なのだろうか。
それともただの偶然……?
「……メイ、兄は居るか?」
「はい?……兄は居ました。けれど、二年前に魔物に……」
動悸がした。
「あ、そういえばアサヒ様は兄にどことなく似ていらっしゃいますね」
確定だ。
少女は妹の同一存在。
そして、彼女の兄は俺と同一存在なのだろう。
俺の世界ではメイは夕夜に殺され。
この世界の俺は魔物にーーーひいては夕夜に殺された。
偶然であるはずがない。
「……アサヒ様?」
「いや……」
聞きたいことはいくらでもあった。
しかし、俺は口を閉ざした。
気づけば、俺たちは兎人族の集落に到着していた。