夕夜は今
「月城夕夜は今、異世界で魔王として君臨しています。花村朝日。彼を殺してください」
女神は俺をまっすぐに見つめて、言った。
「彼が居る世界は、力こそ正義。剣と魔法を用いて幾多の魔物を退けなければまともに生き残ることも出来ない。そんな世界です。その分、あなたがいた世界よりも人の命は軽い。そんな世界で、彼は楽園を作ろうとしています」
「楽園……?」
「人がいなければ、争いもない。ただ弱肉強食のままにのみ殺し、殺される。そんな、楽園」
馬鹿げた話だ。しかし、夕夜らしい。そう思った。
奴は、猿の手のような男だ。
人の願いを曲解し、最悪の結果を用意する。
思えば、昔俺が「人が居なくなれば争いはなくなる」なんてことを言った気がする。いかにも中学生らしい極端な発想だが、夕夜は本気にしたのだろう。
同じだ。俺の家族を殺した時と。
「まだ……同じことを続けているのか……!」
「……彼はどうやってか、魔物を使役することに成功しました。魔物は数が多い上、強大です。既に彼の居城の周辺は破壊されてしまいました。一刻も早く彼を止める必要があります」
魔物をとりまとめ、その頂点に立つ存在。
故に魔王。
するとそれを倒しに行く俺は勇者ということになるのか。
「……ただの人殺しになるはずだった俺が、勇者か」
「引き受けて下さいますか?無理にとはーーー」
「やる」
俺は女神の言葉を最後まで聞くことなく、言い切った。
「手段は選ばない。危険は厭わない。夕夜を殺す。ーーーそのためだけに、今まで生きてきたんだ」
「……ありがとうございます。一応、あなたに力を授けます。彼を殺すための力を」
女神の目の前に光が浮き出る。促されて、俺は手をかざした。
光の中に何かの感触がある。思わず掴み、そして引き抜く。
右手だけをかざしていたはずが、気づけば左手にも何かを握っている。見ると、それはナイフだった。右手に紅、左手に黒の一対のナイフ。こんなもの握った覚えはないのだが、しかし生まれてからずっと傍にあったような、そんな不思議な馴染みを感じた。
「それは聖域の武器。この聖域でのみ作られる、使い手の心を映し出した武器です」
使い手の心、か。
改めて手の中のナイフを見る。肉厚で大振りの刃は、人の肉どころか骨をも容易く断ち切るだろう。模様があると思っていたが、しばらく眺めてそれが血を流すための溝であることに気がついた。
なんとも毒々しい。
人を殺すための武器。それが俺の聖域の武器。
「よろしければ名前をつけてあげてください。あなたの心を写し取ったそのナイフに。聖域の武器はそうして完成します」
言われて考える。
これはおそらく、俺の復讐心の結晶だ。
夕夜を殺す。ただそれだけを求めて生み出された道具だ。
紅は俺の怒りを。黒は俺の苦しみを象徴している。
だから、俺はこう名付けることにした。
「紅は『ヴェンデッタ』。黒は『フネラーネ』。そう名付けるよ」
「……そうですか。では、あなたを異世界に連れていく前に一つだけ伝えておきます」
女神はどこからか杖のようなものを取り出し、俺に向けた。周りを見ると、魔法陣のようなものが俺を覆っている。
「聖域の武器は、そのままでも強力な武器ですが、使用者の成長によってより強力な姿に進化します。『復讐』と『葬送』。その二つの武器がどのように成長するのか、見守ってあげてください」
「見守るつもりはない。役に立たなければ捨てるだけだ」
そう吐き捨てると、女神は困ったように笑った。
「あなたはそれを捨てることはできません。あなたの『復讐』を捨てない限りはね」
その記憶を最後に、俺はまた意識を失った。