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006:聖女/魔王



 ──その世界の片隅には、『神の天秤』と呼ばれる高い高い塔があって、一番上にはそれはそれは美しい聖女様が住んでいる。





 少女は自分の名前を知らなかった。


「聖女様」

「聖女様」

「おはようございます聖女様」

「祈祷の時間です、聖女様」

「聖女様」


 聖女。

 それが少女を示す記号であり、周りの人々が何よりも大事にしているモノでああった。


 物心ついた時には、少女は既に神殿にいた。

 神官達が口にする親とか兄弟とか、そういうモノは少女にはいないらしい。

 らしいというのは、物心ついた時には既に神殿にいて、周りの大きな神官達がそう言うからだ。


「貴女は神によって遣わされた聖女なのです」

「故に、貴女には親兄弟はもちろん、家族というものはおりません」


 何度も何度も、そう言うからだ。


 でも不思議だった。

 どうして聖女に家族があってはいけないのだろう。


「ここの孤児院の子達は仲が良いですな」

「ええ、家族として過ごしておりますから」

「引き取って、引き離してしまうのが少し申し訳なくなりますな」

「大丈夫ですわ、すぐに新しい家族になれますとも」


 孤児というのは、家族を失った子供達であると少女は聞いた。

 ならば、家族がいない少女もそうではないのか。


 そう訊いても、神官達は「それは違う」と言うばかり。


 聖女は孤児と家族になってはいけないらしい。

 どうしてだろう。

 少女も家族がいないのに。

 どうしていないのか。

 家族と引き離すのはよくない事らしい。

 どうして少女に家族はいないのか。

 家族は新しくなることもできるらしい。

 どうして少女には家族がいないのか。


 何もわからないまま、少女は成長して娘になる。


 相変わらず娘は孤児ではなく聖女で名前を知らないまま。

 白く、白く、冷たい、石造りの大きな神殿の中にいる。

 神殿の中で、神官達に大事に大事にされている。


「え、じゃあ神殿騎士のあの方と?」

「そうなの、白いお花をいただいて……」

「すてき! 婚約おめでとう。式の日取りは?」


 同じ年頃の女性神官達は、恋というものをしているらしい。

 それはとてもステキな事なのだと耳にする。

 恋が進むと、婚約になって、婚姻に至り、そして家族になるのだとか。


 ならば、娘も恋から初めて先へ進めば家族になるのか。


 年嵩の神官にそう問うと、いつになく険しい表情で諫められた。


「聖女は決して恋をしてはなりませぬ」


 神に遣わされた娘は恋をしてはならないらしい。

 どうしてだろう。

 別に娘も、恋をしたいわけではないのだけれど。

 ただ、どうしてだろうと思うのだ。

 どうして娘は他と違うのか。

 どうして聖女は周りと違うのか。


 恋をしているという女性達は

 とても嬉しそうで

 とても幸せそうで

 とても焦がれるような

 とても美しい顔をしている


 それはとてもとても素晴らしい事なのだと


「貴女は聖女なのです」

「聖女とは、とても尊く素晴らしい存在なのですよ」


 ならばどうして聖女は同じく素晴らしいという恋をしてはならないのか。



 全ての不思議に答えは出ないまま。


 娘は長じて、聖女のお役目の日を迎える。



 白く、白く、冷たい、石造りの大きな神殿から

 白く、白く、冷たく凪いだような心地のままで

 白い、白い、冷たい衣を纏った聖女が出立した



 送り届けられたのは世界の片隅。

『神の天秤』と呼ばれる高い高い塔。


 不思議な塔だ。

 不思議な塔を、不思議な心地で聖女は登る。


 登りながら、聖女はひとつの不思議に答えが出た。


『神の天秤』には、聖女一人しか入ってはならない。


 家族と引き離すのはよくない事らしい。

 たとえ聖女に家族ができたとしても、『神の天秤』に入る事で引き離されてしまう。


 それはよくない事なのだ。

 だから聖女に家族はいないのだ。


 ひとつの答えを噛みしめながら、聖女は塔の頂へと至る。



 そこには誰もいなかった。



 聖女はまた現れた不思議に首を傾げながら、あちらこちらを探して周る。


『神の天秤』とは、やがて聖女が住まうべき場所なのだと聞いた。


 神がおわすのだ、そう言った神官もいた。

 貴女のための僕がいるかもしれません、そう言った神官もいた。

 貴女の家族はそこにいるのかもしれない、そう言った神官もいた。



 そこには誰もいなかった。



 どうしてだろう。

 どうして誰もいないのだろう。


 途方に暮れてしまった聖女の耳に



 ピチャン……



 微かな水滴の滴る音。


 ふらふらと、導かれるようにそこへ行けば

 まぁるく水の溜まった窪みがひとつ。


 ヒトではなかった。


 落胆しながら、水面を指先を伸ばす。


 誰か、誰かいないの?



 水面が、鏡のように輝いて



『……誰だ?』



 そこには、美しい黒衣の男が映っていた。





 ──その世界の奥底には、名も無き深い深い穴があって、一番底にはそれはそれは強大な魔王が住んでいる。





 そも聖女の役目とは。


 魔王によって滅ぼされつつある世界を、『神の天秤』に入る事で安定させること。


 それだけだ。


 何もしなくていい、祈る必要すらない。

 ただそこに在るだけで世界は安定する。



 水鏡の男に、己が聖女である事と、そんな役目を話す。

 男は、とても、とても、苦しそうな顔をした。


『すまぬ、それは我のせいだ』


 なんと男がその魔王なのだと言う。


 聖女はひどく驚いた、が

 他ならぬ、お役目の相手が水鏡に映るのは、それほど的外れな事でもないかと、むしろ納得した。


『……肝が据わっているな』


 そうだろうか。

 冷たいとは時折言われたけれど。



 静かに、穏やかに流れる時間の中。

 ぽつりぽつりと魔王の身の上話を聞く。



 物心ついた時には、彼は既に魔王であったらしい。


 誰も教えてくれるモノがいないから、おそらくは推測だけれど。

 彼は生まれながらに強大な魔力を宿していたのだと思われる。

 飲まず食わずで世話をされなくても死なない。

 勝手に成長する不気味な子供。


『強い力というのはな、何もせずとも周りへの影響が強いのだ』


 利用しようとする者がいた。

 閉じ込めようとする者がいた。

 喰らおうとする獣もいた。


 彼は、それらを全て殺してしまった。

 力が強大だったが故に。


『だが良くしてくれる者もいた』


 親切に教えてくれた者がいた。

 笑って優しくしてくれた者がいた。

 よりそってくれる獣もいた。


 彼は、それらを殺さないように努力した。

 力が強大だったが故に。



『そうしてある日、気が付いた』



 魔王は気付いた。

 世界が、徐々に傾きつつあることを。


『我の力は強すぎる』


 強い上に、無尽蔵に沸く。


 世界がそこだけ重くなる。


 この世界は、あまり丈夫に出来ていない。

 安定性がよろしくない。


 だから


『我がそこに留まるだけで、世界が滅びる』


 だから彼は旅に出た。


 世界を壊したくなかったから。

 自分に良くしてくれた優しい人達が生きる世界を、諸共に殺したくなかったから。


 世界を巡って巡って、自分がいてもいい場所を探すために。


『……そうして辿り着いたのが、ここだ』


 深い、深い、冷たい地の底。


 誰もたどり着けないようなこの場所が、もっとも力の重さの影響を受けにくい場所だった。

 それでも、受けにくいだけで、結局緩やかに世界は滅びへと向かう。


 魔王は死ねなかった。

 強すぎる力は、体の傷を即座に修復してしまう。

 常に過剰な力に満ち溢れているが故に、ヒトでありながら食事も呼吸も必要としない。


 しばらく悩みながらそこで過ごしていると

 唐突に、己と同じくらい強い力を感じとった。


 一体何が?

 己と同じような歪な存在が、もう一人生まれるとは思えない。

 ……思いたく、なかっただけかもしれない。


 ともかく、何か宝珠か宝剣の類でも作られたのかと思った魔王は、己の住まう地の底と対極に位置するよう塔を置いて声を飛ばした。



『世界で最も力の強いモノを塔の頂へ置け、と』



 そうすれば、天秤のように世界はバランスを取ることができる。

 魔王の力とつり合いが取れる。


 世界の滅びを止められる。



『……すまない』



 苦渋に満ちた謝罪に、しかし聖女は微笑んだ。


 聖女は、ずっと不思議だったのだ。


 誰もそれに答えてくれなかった。

 彼だけが答えてくれた。

 それがひどく、嬉しかった。


 納得してしまえば、聖女もここに居る事に否は無い。


 聖女は大事に大事にされていた。

 答えがなくとも、それはわかっていた。


 家族を持つ人々の幸せを、たくさん見ていた。


 だから、それを壊したくないという魔王の気持ちは、きちんと理解できたのだ。





 ──かくして世界は安定を取り戻し、長い長い平和な日々が続く。





 聖女と魔王は、長い長い時を過ごした。


 互いの居るべき場所から動かずに。

 ただ水鏡越しに語りあって。


 ずっと

 ずっと


 永遠に続くのだろうと思っていた。



 ……ただ、恋をするとは、思わなかっただけで。



 いつからだろう。

 互いの眼差しに、熱が籠るようになったのは。


 地の底で

 塔の上で

 ひとりきりとひとりきりの、ふたりきり


 その指先に

 その髪に

 その頬に

 少しでいいから触れてみたい


 あなたの熱を感じてみたい


 ああ、今なら、あの女性神官達の気持ちがわかる。


 ずっと不思議だった。

 恋とはそんなにも、焦がれるようなモノなのか。


 答えは己の内から湧いてきた。

 もっともっとと、先を望んで胸が焦がれる。


 触れたくて

 水鏡に手を伸ばして

 揺らぐ波紋に姿が搔き消される苦しみが

 こんなに近いのに、決して届かない遠さを思い知らせてくるのだ。


 ずっとずっと、ヒトと己の間には、決して届かない距離があった。

 壁のような、溝のような、川のような

 目には見えない、けれど超えられない隔たりが。

 聖女という隔たりがあった。


 魔王は違った。

 魔王だけは、最初から聖女の心に寄り添ってくれた。

 こちらを気遣い、こちらの気遣いに微笑んだ。


 聖女と魔王なのに

 聖女も魔王も無いと接したのは、互いに互いだけだった。


『……貴女が好きだ』

『私もです……』


 交わす言葉に願う事は許されない。

 強大な二人が共に在れば、たちまち世界は滅びるだろう。


 いっそ全て捨ててしまえれば、二人一緒になれるのだろうか。

 けれど、きっと優しい相手はそれを望まない。


 そうやって、互いが互いを戒めたまま。





 ──かくして世界は安定を取り戻し、長い長い平和な日々が続く。





 どうして聖女は恋をしてはいけないのか。


 その答えも、わかってしまった。


 恋をした。

 それは今まで生きてきた中で最も幸せな気持ち。

 けれど今まで生きてきた中で最も苦しい気持ち。


 こんなに苦しいのなら、二人一緒に死んでしまった方が楽になれるのではないか。

 けれど強大な力を持つ二人には、そんなささやかな願いも叶わない。


 今日も愛しい


 明日も苦しい


 その次も


 その次も


 その次も……


 何一つ変わらない、穏やかな日々が続く。



 今日も愛しい


 明日も苦しい


 その次も


 その次も


 その次も……




 ──《まもなく、列車が到着いたします》




 声が。

 恋人のモノではない声が聞こえた気がして。


 そのありえない現象に聖女は顔を上げた。




 ──《停車予定地点周辺を一時的に置換します。停車用閃路、及び昇降用ホームを展開》




 空気が変わる。

 白く、白く、冷たい空の空気ではない。


 かといって特徴の無い、フラットな風が吹き始める。


 それと同時に、空中へ光の線が走った。

 最初に二本、やや離れた所に平行に。そして二本のラインの外側へ格子状に平面を描き、内側は溝があるかのように縦へ。

 そしてその線に合わせて、石畳のような物が空中へ床を構築していく。

 塔の頂に、新たな床が繋がって。



 ──《閃路接続。フェードイン開始。南西より、片道異世界特急『リワンダーアーク』が到着いたします》



 石畳が途切れた先。

 半透明の光の線で描かれたハシゴのようなモノが、空へ向かって伸びていた。

 カーブを描いて続く光の道筋。


 その末端に、すさまじい力の凝縮。


 圧が強すぎて空間が歪んでいる。

 揺らいで

 渦巻いて


 空が、口を開いた。


 ゴォッ! と、聞いたことのない風の音。



 聖女は目を見開いて、やってくるナニカを凝視していた。


 それは今まで見た事の無い形の代物。


 横倒した円柱には複雑な魔法陣。

 一回り細い筒を上に突き立てて、そこから黒煙を噴き上げて。

 かと思えば、下部からは白い湯気のように清らかな煙が噴き出している。

 馬車のように車輪がついているかと思えば、いくつも並んだ車輪にはせっせと忙しく動く棒がついていて。

 そんな奇妙な形の先頭部分に引っ張られるようにして、箱馬車を大きくしたようなモノが、いくつもいくつも連なっていた。

 深く濃いマリンブルーに白と黒のラインが入った緑色の屋根。



 これは何?



 それは速度を落としながら接近し、聖女の前でゆっくりと停止した。

 空気が押されて、風が吹く。



 ──《到着時刻、予定より遅延無し。片道異世界特急『リワンダーアーク』が到着いたしました。……えーっと》



 謎の物体から聞こえてくる、知らない男性の声。


 その声は、どこか困ったような雰囲気で聖女に告げる。



 ──《初めまして。異世界とか興味ありません?》




 * * *




 深い深い地の底、光の届かぬ常闇の窟。

 魔王の住まうその場所を、眩い光が照らす。



 これは何だ?



 魔王は驚きすぎて時が止まったかのように、それを見ていた。


 逆光の中に浮かび上がるのは、鉄でできた細長い箱馬車をいくつも繋げたような、見た事の無い乗り物。

 車体のそこかしこから、シューッと音を立てて湯気のような白い浄気(・・)が溢れ出す。不思議な、それ。

 丸い筒がついた独特な形状の先頭。その筒は煙突なのか、立ち上るのは漆黒の噴煙。高濃度の魔力反応の残滓である、瘴気とも呼べるようなその魔煙は、周囲を汚染する前にあふれ出た浄気によって中和され、虚空に溶けて消えていく。


「魔王様っ」


 そこから降りてきたのは、白銀の髪を持つ可憐な少女。

 漆黒の己と対になるその美しい乙女は、永劫の時を水鏡越しに声を掛け合うしかかなわないと思っていた、愛しい聖女。


「魔王様ぁ!」


 涙を流し、それでも嬉しそうに微笑みながら、聖女が腕の中に飛び込んでくる。

 背に回される華奢な両手。

 柔らかな温もり。

 思わず抱きしめ返しても、腕の中の少女は消えない。幻などではない。



 こんなことがありえるのか?



 いつのまにか、荒々しい岩肌の地面は、滑らかな石畳へと姿を変えている。


 まるで今この場所だけが、一時の間、|違う世界になってしまった《・・・・・・・・・・・・》かのように……


「魔王様、もういいのです……私達、ここではないどこかで、ずっと一緒にいられるのですわ!」


 美しい聖女の涙の笑顔と

 目の前の不可思議な存在によって

 言葉の意味を、正しく正しく、理解した魔王は


 愛しい存在を胸に抱き、涙を流して、慟哭した──





 ──その世界には世界を滅ぼす魔王がいて、聖女が神の塔に籠り滅びを押し留めていた。




 ──その世界には、魔王と聖女がいた。




 ──その世界には、もう、いない。



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