010:とある魔王
我は、故郷では『魔王』と呼ばれる存在であった。
とはいえ、実際に周囲からそう呼ばれていたわけではない。
トラブルの都度『この魔王め!』というような罵倒として投げかけられた事こそあるが、『魔王さん』などと呼んで来るモノはいなかった。
ではなぜ我が魔王なのかと言えば。故郷において、『世界を滅ぼすモノ』がすなわち『魔王』である、という認識が我の中にあったからだ。
我に生みの親の記憶は無い。
だが、物心ついたころには、この強大な力と共に、様々な知識が我の中に存在していた。
学も無いのにこんな口調なのもそれが原因だ。
ただ、その知識も偏っている上に僅かなもので、せいぜい会話とヒトらしい振る舞いに困らない程度のモノだったが。
恐らくだが、この力の本来の持ち主の知識なのではないかと思う。
なんの根拠も無いが。
それ以外に思いつかぬ。
血筋も名前も何も無い野良犬のような子供に何故とは何度も思ったが。
しかし、その知識のおかげで、世界を恨まずに済んだのは確かだ。
ヒトだろうが、獣だろうが、魔物だろうが、己よりも強い存在は畏怖の対象。
それが『世界を滅ぼす』ほどの強大さとなれば、それは怖かろう。
吠えるな逃げるな怯えるなと言う方が土台無理な話。
現に幼い頃は力の制御に失敗して噛みついてきた相手を何度か吹き飛ばしてしまった。
我に悪意を向けた相手故、罪悪感はさほど無いが。それでも、もう少し上手いやり方はあったとは思う。すまんな、我も許すから、許せ。
そんな我に優しくしてくれた市井のモノたちは、聖人か何かだったのではないかと今でも思う。
その筆頭は我が愛しき聖女だ。
よくもまぁ己が孤独のまま幽閉される原因となった男を愛してなどくれたものよ。
長い長い囚人のような生活で心が壊れなかったのは、間違いなく彼女のおかげ。
生涯をかけて愛し、共に幸せになろうと心に決めている。
そんな我と聖女だが、つい先日奇跡が起きて、二人一緒に故郷を離れた。
片道異世界特急とかいうリワンダーアークと名乗る乗り物が現れて、我と聖女を乗せてくれたのだ。
この世界に在る事で世界を滅ぼしてしまうのなら、別の世界に行けば良い。
そんな、単純でいてとても難しい事を、この不思議な乗り物はあっさりと叶えてくれた。
列車に乗っているバァクという名の生き物は『すごいのは二人なんだからねぇ!』とよく言うが、力など、それを扱う技術が無ければ焚火となんら変わりないのだ。
この不思議な乗り物が我らの力を必要としているというのなら、この出会いこそ奇跡以外の何物でもない。
そういうわけで、聖女と二人で王侯貴族のような立派な部屋をもらい、沐浴で少々……いや色々あったが……とにかく体を洗って、羊の毛もかくやというような寝台で一晩ゆっくり休んだり等した。
ヒトの体というのは不思議なもので、暮らす環境が良くなると、色んな事を考える事ができるようになる。
「これからどうしましょうか?」
我もまさに考えていた事を聖女が言う。
列車の王であるミチユキからは『好きにしていい』と言われた。
このまま住めば、この乗り物は我らの力で永遠に走り続ける事ができる。それはとても助かるから、そうしてくれたら嬉しい、と。
だが、強制もしない。好きな所へ行って、好きに生きていいのだ、とも言った。
それは決して突き放すようなものではない。
長く動けずにいた我らを再び縛るような事はしないという、気遣いからくる言葉だということはきちんと伝わった。
その上で、今後の身の振り方を考える。
「……我は、この列車で共に生きたいと思う」
世界を滅ぼしかねない力を重宝してもらえるというだけではない。
つい先ほど、滅びた世界で、流浪の神と出会って感じた事。
「我らには、知識や経験というものが圧倒的に足りておらん」
ミチユキの境遇もある程度聞いた。
彼も我らと同じように、故郷の世界とは理が違う異世界からやって来たモノだった。
だが、ミチユキは我らよりもずっと、この列車や滅びた世界、そして流浪の神に対しての理解度が高かった。
まだ見ぬ異世界への危険性も、ミチユキは具体的な想像が出来ているようだった。
それは世界の構造、世界に対する理解が深いという事だ。
たとえ異世界であっても、理が違っていても、類似するナニかへの知識があるからこそどういうモノなのかを察する事ができるのだろう。
積み重ねた知識、教養というものがあればこそ。
我らには、それが無い。
野良犬のように生きてきた我は言わずもがな。聖女として生きてきた彼女も、所作こそ整っているが情報は制限されてきた育ちだ。
「つまり、お勉強がしたいという事ですわね」
「そうだ」
幸いこの列車には、子供を育てるための知識も蓄えられているらしい。
畑の耕し方も知らない、パンのひとつも焼く事ができない、縫物もできなければ、火を起こすだけで世界を吹き飛ばしかねない。
そんな我らでも、ただ在るだけで、こんな好待遇を受けられる程に求めてもらえるのならば。
「この列車の力になりながら、力の使い方を含めた様々な事を学びたい。……見える景色にも、飽きなさそうだしな」
住まいが丸ごと移動するのだから、暗い地の底から動けなかった身には破格の住処だ。
それも、異なる国どころではない、異なる世界を巡るというのだから。
「ミチユキが言うところの『ウィンウィン』というヤツだと思うのだが、どうだ?」
我の問いかけに、聖女はにっこりと笑って頷く。
「素晴らしいお考えですわ。私もそうしたいです。それに……心に浮かんでいた夢にもぴったりですし」
「夢?」
問い返すと、聖女は「ええ」と嬉しそうに笑う。
「私、魔王様に名前をつけていただきたいの。そしてよろしければ、魔王様のお名前も私が考えたいのです。……でも、知識と経験に乏しいからなのでしょうね、何も思いつかなくて」
だから、と聖女が我の頬に手を添える。
「私も、この列車で一緒に生きて、一緒にお勉強がしたいですわ」
自然と頬が緩むのを感じながら、聖女の手に己の手を重ねる。
「互いに名前を付け合った時に、ようやく我らは『元』魔王と『元』聖女になるのやもしれんな」
「……ええ、私もそう思います」
恩を返したいとは、まだ言えない。
それを考えるには、あまりにも我らが未熟すぎる。
ミチユキも、その配下のイキモノ達も、走り出したばかりなのだと聞いた。
ならば、共に成長しよう。
この列車を、優しい居場所にしよう。
この幸せを、末永く、末永く、続けていくために。
「それに、いずれ子供が出来た時もステキな名前をつけてあげたいですもの」
「っ……そ、その前に、婚姻が先では? いや、既に伴侶のようなものではあるが……女子は、誓いの儀式を、大切にしたいものだと、聞いた、ぞ?」
「もちろんしたいですわ。……そうね、そういえばその時も名前が必要になりますわね」
「そ、そうだろう……ならば、やはりそれまで寝台は分けた方が」
「イヤです」
「……聖女?」
「イヤです」
「……わかった、わかったから押し倒そうと力を籠めるのをやめてくれ」




