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(おらは、死んじまったダァ〜)
なんて呑気に歌っている場合ではなかった。
薄ぼんやりした視界の中、5メートルくらい下の地面に横たわる俺がいた。
俯せのその背中には、ジジィの自慢の手斧が刺さっていた。
地面に突き刺さったはずの手斧が見あたらないので、ジジィの魔術で遠隔操作でもしたのだろう。
(やるじゃねーかジジィ!)
よく見れば、手斧は、背中に刺さっているといっても、革のベストを破り、わずかに肌へ食い込んでいるだけで、出血もしていなかった。
(ジジィが、なんかブツブツ言ってるなぁ〜。さては自慢話か?確かに致命的な傷でもないのに、幽〜体〜離〜脱〜しちゃってるから、すごい魔術といえば、すごい魔術だな)
ジジィは、尚もブツブツ言いながら、俺の死体に歩みよった。
(なんか言ってるが、なーんも聞こえん… 音声ミュートって事か?)
思えば、ジジィの声だけでなく、風の音も、木の葉の揺れる音も聞こえなかった。
さっきまで感じていた、ジジィの魔術で燃えた木の燻りの臭いも、そこからくる熱気も感じられなくなっていた。
(ヤバっ! 俺、死ぬの? ってか、俺って今、ヒトダマ?ヒトガタ?)
パニックなのか、どうでもいいことを挟みながら思考が流れていった。
ジジィは、俺の死体から手斧を回収すると、確認のためか、足で俺の死体をひっくり返した。
(ジジィ、足癖わるいぞ!)
なんて思っていると、俺の死体が仰向けにまわる時、ジジィに向かって一筋の光が走った。
「グワッアーーー!」
ジジィの叫び声とともに、手斧を持ったジジィの手がふっ飛び、林の中に消えていった。
リチャードの頭は混乱していた。敵の奸計に落ち、不覚にもグレイの部屋で眠らされたはずだが、今、目が覚めると林の中だった。
起きぬけとはいえ、もはや歴戦の剣士といっても過言ではないリチャードは、自身に近づく足音が、グレイの部屋で戦った相手だと看破していた。
男は、グレイにそうしたように、リチャードの腹の辺りに、つま先から足を差し込み、体をひっくり返そうとした。
リチャードは、その反動を利用して仰向くと、男の右手にある手斧の禍々しさに驚愕し、瞬間的に剣を一閃させていた。
「グワッアーーー!」
リチャードは、男の叫び声とともに、手斧が林へ飛ぶのを見て、素早く立ち上がり、男と対峙した。
「き、貴様、何故、何故死なぬ!」
男は、血が溢れる手首を、残った方の手で押さえながら絶叫した。
「寝ないとか、死なぬとか、お前はさっきから何を言ってるんだ? 敵に相対しながら、倒さず寝たり、死んだりする剣士が王国にいると思ってるのか?」
さっきまで寝ていたことを棚に上げ、リチャードはそう言い返した。
「フフ、だが、貴様の弱点は変わるまい」
男は、傷のためか、震える声で指摘した。
「弱点? なんの事か分からんな!」
そう言いながら、リチャードの剣が、男の太ももを薙いだ。
太ももから血が吹き出し、男は膝をついたが、尚も言い放った。
「そうやって、命を取ることが出来ないところですよ!」
男は、傷を気にすることなく跳び退ったが、男の太ももには、確かに今付けたはずの傷が見当たらなかった。
「ワタシほどの高位の魔術師ともなれば、回復の魔術も使えるものなのですよ」
男の言葉に、リチャードは、さっきまで漂ってきていた男の手首からの血の臭いも、いつの間にか消えていることに気がついた。
「そして魔術師の多くは、薬師を重ねてるものですよ!」
その言葉を聞いた瞬間、こんどはリチャードが膝をついた。
「どうですか? 帝国特性の痺れ薬の味は? 血の臭いに紛れさせれば、気づかないものですね」
男も血を流したせいであろうか、笑いながらも、額には汗がいくつもの筋をかいていた。
「いや、この程度の薬ならば、抵抗できるな!」
リチャードは、ゆっくりと立ちあがったが、内心は焦っていた。初手で敵の武器を奪った事、逃走を防ぐための足への攻撃、グレイの部屋での戦いを含め、全てがうまくいき、明らかに自分の方が上手だと慢心していた。そのために情報収集を優先したのだ。
リチャードは、剣を持つ手の握力を、二、三度確認し、男に向かい構えたが、男が、短剣を逆手に構えたのを見て、その構えから、打ち合えても数合だなと感じた。
そのためリチャードは、打ち合うことを嫌い、腰の鞘へ剣を戻し、居合いの構えに変更した。
林の中を、夕暮れの風が吹き、木の燃えかすか、灰が巻き上がった。
それを合図に、互いが動き、まさに抜き合う、その瞬間、辺りに鳴き声が響いた。
「ニィヤァーーー」