恋は盲目にして劇薬
……5分後
「うわああぁぁん死ぬかと思っだあぁぁ〜……!!」
拘束を振り切って戻ってきたナフィにリザが汚い泣き声を上げながら抱きつく。危険な場所に残った二人を心配していたナフィ達は、リザのその反応を見て無事に事が済んだことを知り、肩に入っていた力を抜く。
「無事でよかった、本当に……」
「すみません、私が残るべきでした。まさか私達が追いついた直後にとんぼ返りするなんて……」
「私の方が焦りすぎたのよ。誰が悪いって話でもないわ。結局、あいつに関する手がかりをつかめてないのは悔しいけど……」
大人二人は先の鉄火場についての反省会をする。最終的に誰が傷つくこともなかったが、潜在的な脅威を野放しにしてしまったのには変わらない。
だが、ナフィ達が若干の悔いに頭を悩ませていた時、フィスがわざとらしく咳払いをする。見てみれば、彼女は自分の携帯を分かりやすく持ち上げて示していた。咳は風邪によるものではないらしい。
「周辺のカメラをハッキングしたけど、データが消されてた。多分、あらかじめ姿を晒してもいいように細工してたんだと思う」
「では、やはり駄目……」
「けど」
ルカの落胆を切り、フィスがニヤリと笑う。
「私達、さっき二人がいない時に銃で脅されたんだけどよ。その時の会話、録音しといたぜ。あと顔も撮っといた」
フィスの握る携帯には、イルマの顔がしっかりと写っていた。次いで流れる音声には、彼が店主にリザ達を撃つよう指示している声がハッキリと録音されている。
得られたものが確かにあったということを知ると、ルカはフィスのもとに駆け寄って彼女の肩を激しく揺らして歓喜の声を上げる。
「やりましたね、フィス! 大手柄で……っというより、銃で脅された!!? 大丈夫ですかッ!! どこも怪我はしてませんよねッ!?」
「だ、大丈夫だって。その……そいつがうまくやってくれたからさ」
フィスは情緒の安定しないルカを振り払い、ようやく泣き声を抑え始めたリザを指差す。呼ばれた当の本人は何のことか分かってないらしく、赤くなった目を細めて首を傾げた。
「……えっと、何かしたっけ」
「謙遜すんなよ。あいつのハッタリを見抜いて追い払ってくれたじゃねえか。アレがなかったら、今頃……」
「い、いやあれは……あいつも苦し紛れだったんだと思うし、ほんと大したことじゃないと思うから……それに、顔とか声とかとるって方に気が回る方がすごいし……」
「私はハッカーだし、警察だから……」
年端もいかない少女達は、命の危機を乗り越えた直後とは思えない小恥ずかしいやり取りを交わす。それを側から見ていたナフィは、フッと笑って二人の小さな肩に手を置く。
「二人が頑張ってくれたおかげで、無事にやり過ごす事ができた。どっちがいなくても大変なことになってたと思う。だから、ありがとうね」
「う、うん……」
「お、おぅ……」
素直な感謝を真正面からぶつけられると、リザとフィスは体を小さくして俯いてしまう。その機転や度胸に年齢不相応なところがありながら、感情面に関しては子供っぽいところがあるらしい。子供達の恥じらいを、大人二人は笑顔で見つめるのだった。
「それにしても」
話にひと段落がついたところで、ルカが切り出す。
「あのイルマという男、かなりの要注意人物に思えます。警察内ではもちろん手配しますが、あの様子では雲隠れするのに相当慣れていそうです。何か別の手段も並行してとった方がよさそうですね」
「ラムロンの奴に頼めばいいんじゃね? あいつなら色々な所に知り合いいそうだし……」
警察二人組はイルマの足取りをどう掴むか話し合い始める。命を奪うことに躊躇がなく、目的も物騒な相手となれば拘束を急ぐのは当然だろう。
だが、二人の真面目な話し合いはすぐに途切れることになる。
「あなた達、ラムとはどういう知り合いなの?」
言葉を挟んだのはナフィだ。彼女は満面の笑みを二人に向けながら、端的な問いを投げる。彼女の後ろでは、リザが冷や汗を浮かべて苦い顔をしていた。
「別に、大した知り合いじゃねえよ。ほら、あたし前科あるって言ってたけど、そん時にちょっと世話になったんだ」
「ふむ、なるほどね……」
「私は……色々な事件で会ってますね。彼が往来で上裸になっていた時もありましたし……」
「は??」
「SMクラブでの事件で会ったこともありましたね」
「SMクラブッ!!!? なんッ……はぁァッ!!?」
ルカの話を聞いていたナフィは、普段の穏やかな様子からは想像もできないほどの奇声を張り上げる。いや、外敵に対して暴力的な一面を見た者からすると想像の範疇ということになるかもしれないが、ともかくナフィはルカの肩に両手で掴み掛かる。
「一体どういうことなのそれは?? まさかラムが普段からそんなクラブに通ってたなんて話じゃないでしょうね??」
「ちょ……いきなりどうしたんです? まずは落ち着いて……」
「落ち着かせたいならガタガタ言わずに答えなさいッ!!」
「ひぇっ……あ、亜人相談事務所に来た依頼で、違法な所業をしているオーナーからクラブの人を助けようとしてた……みたいですよ」
「……そう、よかったぁ。私はどっちでもいいけど、合わせるんなら色々知っておかないといけなかったし……」
ナフィは自身の不安が取り除かれると、直前までの苛烈な様子から一転し、すぐに緩い笑顔に戻った。動きを封じられていたルカは恐怖に青ざめた顔で息を整え、一部始終を見ていたフィスは眉をぴくつかせて隣のリザに問う。
「あいつって、ラムロンのことになるといつもああなのか?」
「まあ……うん。その、二人はすごく近しい関係だから……」
「近しい関係?」
リザは約1ヶ月前に起きたことを思い返し、苦い顔を浮かべる。フィスがリザの視線を追うと、その先ではナフィがわざとらしく言葉をもたつかせていた。
「え〜やだもう。近しい関係だなんて……別に大したことじゃないんだけどなぁ。まあそうだね〜家族っていう気もするしぃ〜親友っていうのとも違うのかなぁ〜」
「うぜぇ」
「おっ、お二人はどういう関係なんです?」
ナフィの鬱陶しい態度に耐えきれなかったフィスは迷わず毒を吐く。ルカはその悪態を隠すように、ナフィが欲しがってやまないのだろう問いを投げた。
「ん〜一言で言うならぁ……こ・ん・や・く・しゃ」
「……うぇぇッ!!? 婚約者ッ!?」
「マジか……あいつと」
自らとラムロンの関係を明かしたナフィは自慢げに胸を張って鼻を鳴らしている。自分の立場が羨ましがられるものだと信じて疑っていない。
が、真実を知った二人の反応はナフィの期待と噛み合わなかった。
「あの人と結婚……ですか。なんか、色々大変そうですね」
「は?」
「同感。ぜってぇ色んなことに振り回されるぜ。厄介ごとも多そうだしなぁ」
ルカとフィスは各々の頭の中にあるラムロンと長く隣り合うことを想像し、首を横に振る。有事に頼る相手という認識で、普段から共にいることは想像しがたいのだろう。
そんな時だ。二人の視界の端に、リザが一人で店の外へ出ていくのが映る。そそくさとした動きで店を後にするその様子はまるで逃げるかのようであった。突然の彼女の奇行に、ルカとフィスは顔を見合わせて声を上げようとする。
しかし、その直前だ。二人は肩をとんでもない勢いで引っ張られ、体の向きを変えさせられる。まるで重機のアームに引きずられたかのように向かされた方向には、鬼の形相のナフィが立っていた。
「アンタ達みたいな小娘どもがラムの何を知ってんのよおおおぉォーーーッ!!!?」
「ひぇっ……」
「ぅ、おっ……」
突然の怒声に二人は強風に煽られたかのように一歩下がる。が、ナフィは二人の逃走を許さず、距離を詰めてキンキン声を張り上げ続けた。
「ラムはイケメンで気遣いもできて、困っている人がいたら絶対に手を差し伸べるっていう最高の優良物件なんだけど!!? それを何も知らんガキが好き勝手言わないでくれるッ!!」
「いや、別に否定したわけじゃねえけど……」
「否定じゃなかったら何!!? ……まさか、狙ってんじゃないでしょうねぇッ!!!!」
「まっ、まさか……あんな往来で上裸になるような方なんて……」
「黙りなさいッ!! ラムのことだから、きっと誰かを助けるためにやったのよ!」
「あぁ……その、どういう状況だったら、上裸になることで人を助けられんだ?」
「知らないわよそんなのッ!! クソが、ただのラッキーでラムの体を見られたなんて……私がそこまで行くのにどんだけかかったと思ってんのよッ!!!??」
「すみませ……いや私悪くありませんよッ!!!」
ネジのとれたナフィは止まらない。ルカとフィスがどれだけ常識的な言葉を返しても、ラムロン狂いとなった彼女が自分の感情を抑えることはしなかった。
ナフィの熱が落ち着いたのは、それから30分ほど経った後のこと。ルカもフィスも、その頃にはこんな奇人同士ならお似合いなのだろうと思い直すのだった。




