胡散臭さ100点
「僕の目的はシンプルだ。ある二つの薬を作りたい」
「……どんな」
誰に問われるよりも前に、イルマは自身が目を向けた先にある目標について語った。
「亜人を人間にする薬、そして人間を亜人にする薬さ。そうだね、名前は……“回帰”と“転向”にしよう」
イルマはまるで自分一人しかこの場にいないかのように勝手に一人で話を進める。彼の傍若無人ぶりに一同は口を挟めずにいたが、その長話から出てきた一言にはどうしても反応せざるを得なかった。
「亜人を、人間に……?」
「そんなことができたら、私達は……」
リザとフィスはそれらの薬が自分達にどう影響するかを考えてしまう。自分に使うのか、あるいは近しい人物に使うのか。はたまた、全人類を一種族に固定するのか。
同じく思考を走らせていたルカは、想像よりも先に現実をイルマに突きつける。
「そんなことは法が許しません。どう変えるのか、変わるのか知りませんが、それら行為は種族詐称と判断される可能性があります。事前に身分を偽っていた場合以外では、登録された種族情報を書き換えることはできません」
「古いなぁ考え方が。僕が言った薬が完成すれば世間への影響は計り知れない。法律もこっちに配慮せざるを得ないさ。合法って免罪符は後から得ればいい」
「それに」とイルマは言葉を続け、ルカの固い表情を歪みのある視線で見据えた。
「君は警察だろ? これまでいくらでも人間と亜人の違いによって起こるいざこざを見てきたはずだ。生死に関わる事件も少なくない現状に、心を痛めてきたんじゃないのかい?」
「そっ、それは……」
「ただでさえ、たった10年前まで多くの亜人が束になって人間に戦争を仕掛けてたんだ。差別、格差、嫉妬に恨み……溝は深い。僕が作る薬は、底の見えないその溝を塞ぐためにあるんだよ。外見の違いを気にする必要もないし、身体的差によって生まれる扱いの差もいずれなくなっていくんだ。種族が違うなんてくだらない理由で人の間に亀裂が入るなんてことが、なくなるんだよ。素晴らしいだろう?」
イルマは慈善家のように両手を大仰に広げ、その理想を語った。人間と亜人の違いを取り払えば、その間にある壁も消える。それが現実となった世界を、三人は脳裏に浮かべた。
ある者は死ぬまで何の心配もなく友と一緒にいられる世界を、ある者は不当な扱いを受けず自由に自分を振るえる世界を、ある者は意義のない争いがなくなった世界を。それら空想が身近に思えてしまうほど、イルマの語った薬は魅力的だった。
「よく口の回る……」
しかし、その魅力に目を奪われず、あまつさえ怒りを向ける者がいた。ナフィ、彼女は話中の空気を省みず、再びイルマに向かっていった。
「黙ってなさいッ!!」
躊躇なくその場を飛び出したナフィは、今度は拳ではなく脚を振るう。彼女の足先が狙うのは、イルマの下顎。
前兆のない、予測の難しい攻撃。しかし、今度のそれもイルマのボディーガードに防がれてしまう。彼はナフィの蹴りを片腕で抑えると、追撃をすることなく守る対象の横まで下がっていった。
「チッ、今度は小賢しい顎を粉にできたと思ったのに」
「お、おいおい……本当に野蛮だな、きみは」
イルマは一度ぶん殴られたことを思い返しながら、無事に済んだ顎をさすって冷や汗を浮かべる。ナフィは自分の攻勢を訳なく扱う彼に鋭い目線を向けつつ、後ろで固まっている三人に向かって声を上げた。
「あなた達、まさかこいつの言うことを真に受けたんじゃないでしょうね」
ナフィの心配通り、三人は彼女の言葉を受けると目を泳がせる。その空気感を背中越しに感じ取ったナフィは肩をすくめてため息をつき、眼前で安置に立つイルマを睨みながら続けた。
「想像してみてよ。亜人と人間の差が取っ払われたところで、本当に差別がなくなると思う? 賭けたっていいけど、絶対に薬を使った人とそうでない人の間で差別が起こるわ。差別されるのが嫌で人間になろうと思ったら、同じ種の亜人に裏切り者だとか言われるでしょうね」
「……たしかに」
「それに万が一その薬を受け入れたとして、結局は一つの種族に全人類をまとめるって話が出てくるはず。差別、格差を無くそうとするなら尚更ね。で、まとめるとなれば一番数の多い人間が妥当な訳だけど……それを数いる亜人達が受け入れるのかしら?」
「あっ……」
ナフィの言葉は煙に巻かれていた三人の思考を晴らしていく。
「まだリザちゃんみたいに自分の種族にこだわりのない子はいいけど、皆がそうって訳じゃない。種族によっては、同種で集まってコミュニティを築く者達も、生まれ持った特徴に適合した文化を築いた亜人達もいる。もし種族統一なんて話が出たら、その提案は彼らが培ってきたアイデンティティを根こそぎむしり取るようなものよ」
ナフィの話を他所から聞いていたイルマは彼女の言葉に眉を寄せる。彼はナフィが強い言葉で否定する自分の考えを押し通そうと言葉を並べた。
「随分とまあ飛躍してるね。誰が統一するなんて言ったんだい? 僕の作る薬を使いたい人は使えばいいし、種の繋がりを保ちたい人は避ければいい。そういう話じゃないか」
「よく言う。使う使わないを判断するのは一人一人、となれば必ず自分の所属する種の意思に反する行動を取る奴が出てくる。そういう人は裏切り者扱いされて、私達みたいな外れ者になるわ」
「それはその人自身の問題だろう。同類から外れるにせよ共に生きるにせよ、話し合って決めればいいことだ。双方納得していれば、問題が起こることもないはずだろ?」
「たかが身体的特徴が違う程度のことで戦争を起こすほどヒステリックになる馬鹿達が、そんな話を冷静にできるとは思えないけど」
言葉を交わすナフィの口調には熱がこもっていく。しかし、対するイルマは自分の理想を否定されているとは思えないほどのらりくらりとした様子で言葉を重ねていた。
「はぁ……そりゃ影響の大きいことには多少のマイナスがつきものってやつさ。君の言うようなリスクを一つ一つ気にしていたら、何もできやしないだろう」
「ならせめて真っ当なやり方で理想を目指しなさいよ。他人の薬を横からさらうようなセコい稼ぎ方を誰が認めると思う?」
「大目に見てくれよ。実験に必要な薬剤を確保できて、かつ小銭も稼げる効率的なやり方なんだからさあ。ああいや、もちろん僕はそこの犯罪者とは無関係なんだけどね。あくまで規則や法律を考えなかったらそういうやり方もあったなあって、ただの意見だよ。はは」
イルマは当初口にしていた薄っぺらい建前を壁にして乾いた笑い声をあげる。そのあまりにも手ごたえのない反応に、ナフィは眉間にしわを寄せる。本当に先の目標を理想に掲げているのなら、このアウトサイドなやり方についてもっと攻撃的な言い訳が来てもいいはず。考えを外されたナフィは改めて目の前のイルマという男を見つめなおす。
「やっぱり、私が最初に思った通りだったわね」
「というと?」
「しゃべらせてると厄介になる手合い。つまり……」
言い終わらないうちにナフィの足に力がこもる。膝を折って一気に前に飛び出さんとするその動作を目にしたイルマは、咄嗟にボディーガードの後ろに下がった。一度殴られたトラウマに対する素早い反応により、イルマは自分に向けられた拳をボディーガードになしつけることに成功する。
「いちいち邪魔くさいわね……!」
またしても拳を阻まれたナフィは、ボディーガードの手中に収まった拳を力を込めて振り払う。その様子を背後から見ていたイルマは、更に距離をとって安全を確保し、惜しそうに首を横に振った。
「せっかく有望な人材に会えたと思ったのに、こんなことじゃあうまくは運ばないなぁ。今日はこれでお開きだ。行こう」
イルマが手を叩いて撤退の合図をすると、ボディーガードの男はナフィの進路を阻むのをやめ、店の外に逃走するイルマの後に続いた。
「くっ……追いましょう、ルカさん」
「え、お、追うって……」
ナフィは扉の向こうで離れていく二人の背を睨みながら、現在同行している中でも警察という立場で多少腕に覚えのあるルカに声をかけた。急変する状況についていけない彼女に対して、ナフィは簡潔に行動の目的と意義を告げた。
「あいつは今後、絶対に大きな問題を起こす。あんな奴の好きにさせちゃいけないのよ。早いうちに鎖に繋いでおくためにも、今動かないと!」
「しっ、しかし犯罪の証拠が……いえ、分かりました」
抗する声を上げようとしたルカの脳裏にイルマの行動と言動が浮かぶ。理想を語りながら開き直っての犯罪行為を犯す輩を逃す理由はないと判断したルカは、警棒を片手に持ってフィスを振り返る。
「フィス、ここ周辺の監視カメラの情報をとって、彼らの動向を追ってください。最悪、顔の画像さえとれれば要注意人物として警察内で共有できます」
「お、おう……」
「この場から離れず、何かあればすぐに私を呼んでください。では、行きましょう」
ルカは差し当たっての策を伝えた後、すぐにナフィを伴って店の外に飛び出す。彼女達は共に潜在的な脅威への対処に向かい、その歩幅を緩めることをしなかった。
さながら映画のワンシーンのような一部始終を目撃したリザとフィスは、ナフィ達が去った後もすぐには行動を起こすことができずにいた。
「……まさか、私の風邪からこんな話になるとは」
「ナフィさんにあんな一面があったなんて……」
年端もいかない少女達は何もかもが急だった出来事の連続に大きくため息をつく。が、二人が手を止めているのもほんの数秒のことだった。
「それじゃ、私はルカの言われた通りにするからちょっと取り込み中になるぜ」
「あ、うん……。私は……そうだ」
ハッカーとしての仕事を始めたフィスに置いてかれたリザは、何かできることはないかと周囲を見渡して一人の人物に目を止める。
「すみません」
「え……」
リザが声をかけたのは、イルマらが現れてからずっと店の奥で固まっていた店主だ。
「もしあったらでいいんですが……あの人達との取引を記録した帳簿とか、ありません?」
「い、いやそれはその……私にとっても、犯罪の証拠になることだから」
「あ、ああ……そうですよね」
薬剤の独占に加担していたという引け目からか、店主はリザ達に強く何かを言うこともなく、ただ黙り込む。自分の方から何かしらの証言をすると言ってくれればそれが一番だが、そういうこともなさそうだ。
「ん……やっぱり、ナフィさん達が戻ってくるのを待つしかないか」
打つ手なし、かといって余計なことをすればナフィ達の足を引っ張ることになる。リザは大人しくこの場で時間が過ぎるのを待つことにした。
しかし、危険に近づかないようにとの彼女の判断は、すぐにひっくり返る。
「さっきぶりだね」
店内に声が響く。声のした方向、店の出入り口の方を振り返ると、そこにはイルマが先と変わらぬ様子で立っていた。




