即断即決の拳
「私は警察だなんて一言も言ってませんよ」
「とぼけなくていいさ。そっちの状況は店に仕掛けたカメラと盗聴器で分かってる。そこにいる彼らのような、大して信用できない赤の他人を使って行動するなら当然の配慮だよ」
とぼけるルカの言葉を横に流し、電話の向こうの男はスラスラと言葉を並べていく。彼の軽やかなその口調は、軽やかすぎて中に何も詰まっていないガランの空洞を思わせる。
「こういう些細な警戒心が君との違いさ、フィス」
「……は? なんで」
カメラだの盗聴器だのと捲し立てられた言葉の処理だけで手一杯だった4人に、男は再び思考を止めるような言葉を放つ。彼は立て続けにその空の声を上げた。
「なんでって、そりゃあんなに派手にやってれば後ろ暗い連中の視線を引くことぐらい分かってるだろ? それに君は、あの有名なイカれた施設の出身だ。警察に囲われてなければ今頃、色々な暗部から引く手数多だっただろうね」
「……なんなんだよ。こいつは……」
顔も素性も定かではない電話の奥の男の言葉は、フィスの背に悪寒を走らせる。それまでのフィスがしてきた行為を知っているというのに加え、そのさらに以前のことまで知っているかのような口ぶり。いくら彼女のやった行為がいささか目立ったにしても奇妙だ。
加えて、男の口八丁は矛先を選ばない。
「流石は最年少25歳で警部にまで成り上がった男、グレイ。どうやればこっち側が手を出しずらいかよく分かってる。優秀な人材を保護し、取り込みまで一気に済ませてしまうなんて驚いたもんだよ。1年前の手柄も偶然じゃなかったんだね」
男の話題はフィスからこの場にいないグレイにまで移る。ここまで話が進んだとき、ルカは電話のスピーカー設定をオフにし、他三人から距離をとった。
「あなたは一体何者ですか。まさか、警察の関係者?」
「違うよ。ただ、自分らを追うことになるかもしれない相手のことはよく知っといた方がいいだろう? まあ、今のところ僕はなんの犯罪も犯してないんだけどさぁ」
「何を馬鹿なことを。人を使って特定の薬剤を独占しておいて……」
「言いがかりはやめてほしいな。僕はたまたま知人に電話をかけたら、その相手が犯罪に加担してたってだけの一般人だ。いや驚いたよ。彼はそんなことするような人じゃないと思ってたんだけど」
「白々しい」と、ルカは思わず歯噛みする。盗聴器やカメラを仕掛けたと言っておきながら堂々とこんな言い訳をするということは、こちらが拾える証拠などは残していないのだろう。言わば彼の発言は、逮捕されたらこう弁明して誤認逮捕だと認めさせるという宣言だ。
「何が目的ですか? いくら抜け穴をつくっているとは言っても、わざわざ使い捨ての人に電話をかけてまで私達と話をする必要はないはず。下っ端が捕まったところで手がかりを残さないようにしているのならなおさら……」
「冴えてるね。いやなに、ちょっと気になる顔を見かけたから、直に話をしてみたくなってね」
男の不穏な言葉を聞いたルカは、距離を置いたところに立つフィスを振り返る。実態の知れない相手に自らの背景を掴まれているという不安にさらされた彼女は、雑に髪を掻いてはぎこちなく動き回っていた。警察に囲われるという身分を得たとはいえ、まだフィスは子供だ。
「フィスには手出しさせません。もしそのつもりなら……」
「……あはは、それは勘違いだよ。僕が言った気になる顔ってのは別にいてね」
乾いた笑いとともに男はルカの想定を否定する。話の流れを切るような言葉にルカは眉を寄せるが、電話の相手は彼女の戸惑いに配慮することなく自分のペースで話を結びに持っていく。
「ああ、でももうすぐそっちに着く。続きは顔を合わせながら話そうじゃないか」
「誰があなたに付き合うと……」
ガチャ……
反抗の言葉を返す間もなく、男は一方的に電話を切る。ルカは耳障りな音に顔をしかめつつも、この場でやるべきことをすぐに思い返し、一同の方へ足早に戻った。電話の内容から切り離されていた三人は、心配そうにルカの顔を覗き込む。真っ先に口を開いたのは、話中に名の上がったフィスだった。
「おいルカ、大丈夫かよ。私のことで、何か……」
「平気ですよ、フィス。それより、ナフィさんにリザさん。一刻も早くここを離れましょう」
「なんかこっち来るって言ってたもんね」
この場で最も荒事と縁遠いリザは既に当初の目的だった薬剤を手に持ち、立ち去る準備を完全に整えていた。その隣に立つナフィも、異論はないと首を縦に振る。
「早く逃げましょう。可能なら今のうちに警察に通報して……」
段取りを口頭でまとめながら、四人はすぐに卸店の出入口の方へと足を向けた。だが、その時だ。ガラス製の玄関口、その向こうに人影が現れる。
「もう来た……!」
ルカはフィスを、ナフィはリザを庇って後ろに下がる。同時に玄関の開かれる重い金属音が店内に響き、四人の目の前に件の来訪者が姿を現した。
「初めまして、僕はイルマ」
黒髪で、緩い白シャツに水色のジーパンを着た平均的な身長と体格の男。電話から聞こえてきた空洞の声は、路傍の石のような風貌のその男から発せられていた。彼はその辺りで拾ってきたかのような笑みを顔に浮かべながら、四人に対して一歩を踏み出した。
「さっきは中途半端な挨拶になっちゃって悪かった。改めて……」
イルマと名乗った男はまたも自分を主体にして話を始めようとする。
だがしかし、次の瞬間にこの場にいる者たちが耳にしたのは、イルマの声でも、ルカ達の返答の声でもなかった。響いたのは、肉と骨がぶつかり合って軋む音。ナフィの拳がイルマの頬を捉えた鈍い音だった。




