幸せになりたい気持ちと不幸を遠ざけたい気持ちは似てるようで違う
ラムロンはローロック家とコンの関係、そしてその裏にある事情をほとんど知っていた。彼の口から感情面や具体的なエピソードを除いた全ての流れが語られると、フォクシーも話を促したコン自身も驚いた目をする。
「どうしてラムロンさんがそこまで……」
「ウォルさんから聞いていたのですか?」
「お前達のことと分かって聞いたわけじゃねえけど、じいさんはよく孫と孫同然に可愛がってる子供の話をよくしてたからな。飲みの席で泣きながら話してたからよく印象に残ってる」
ラムロンの口から出たのは、コンが犯罪者の娘で父が捕まった後に路頭に迷ったこと。そして、ローロック家に受け入れられる際、ひと悶着はあったものの丸く収まって今に至ること。どちらもマスコミのように目を光らせていたとしても知るのが難しい話だ。
しかし、ラムロンは自分がローロック家の事情に通じていることについて最低限の説明だけで済ませると、手を叩いて話を本題に戻してしまう。
「で、コン。お前はさっき、自分に人並みの愛情をくれなかった親父とフォクシーが同じだって言ったよな」
「ええ、言いましたよ」
「フォクシーは? 何か思ったことはあるのか」
「……なん、となくは。でも、やっぱり差があり過ぎるとは……思いますよ」
「ああ、俺もそう思うよ。だがコンは同じだって言ってるんだ。どこがどう同じなんだろうな」
まるで子供同士の喧嘩を仲裁する教師のように、ラムロンはフォクシーとコンの両方から言い分を聞き出していく。彼が今回の喧嘩を吹っ掛けた側とも言えるコンに話を振ると、彼女は額を指で押さえながら、苛立ちを抑えきれないような揺れた声を上げる。
「差がどうのって問題じゃないでしょ。アンタ、死ぬかもしれないのよ?」
「それを言ったら、同種同士でも、人間同士でもそういう可能性はあるじゃない。確かに怖いけど、きっとうまくいく」
「じゃあ百歩譲ってそこはいいわよ。でも、子供はどうなるの? 苦労の多い人生を歩ませることになる。他の誰とも同じじゃない形を持って、ずっと疎外感を感じながら生き続けることになるでしょうね。体や病気のことだって思い通りにいかなくて、数々の苦しみから逃れらない生き方がその子を襲うの」
「そんなもの、私とドグが何とかする。それに、これは私達の問題でしょ!?」
「アンタ達だけの問題じゃないのよッ!!!」
熱を増していた言い合いがコンの金切り声によって静止する。これまでの発言とは一線を画する感情のこもったその言葉にフォクシーは面食らい、目をしばたたいた。そんな彼女の目の前で、コンは唇を震わせて自分の思いを吐き出す。
「アンタ達の不幸は、アンタ達だけのものじゃない。そうやって周囲を省みずに自分の正しいと思ってることに突っ走るところが、あいつと同じだって言ってるの。ジムさんやイルナさん、ウォルさんだって、アンタ達が苦しんだら同じように苦しいのよ」
「……そんなこと、分かってる」
「本当に分かってんの? 死ぬ死なないはもちろん、それ以外の多くの困難と不幸に直面してるアンタ達を見て、周りがどう思うか。万が一、子供か、アンタが折れるようなことがあったら……私は絶対に嫌。絶対受け入れられない、受け入れたくない。フォクシーが苦しんでるところなんて、見たくない……」
コンの震えが変わる。彼女は自身の恐れを一人で抱え切れないかのようにふらつき、フォクシーの肩に両手を置いた。前とは違う、すがりつくような弱々しい手つきだ。
「お願い。無難に幸せを追う手段なんて、今の時代いくらでもあるでしょ? ドグさんと別れろなんて言わない。どうしても子供が欲しいなら、今のお腹の子供だけおろして、病院から同種の精子提供を受けるとか、養子だっていい。理想的ではないかもしれないけど、それだって立派な幸せの形でしょ?」
「…………コン」
フォクシーに不幸になってほしくない。そのために彼女の思い描く幸福を阻む。コンの複雑なようで単純な想いをぶつけられたフォクシーは、静かに親友の肩を抱きとめる。
しかし、彼女の顔に迷いはなかった。
「コン、私は……」
「フォクシーッ!!!」
「……え、ドグ?」
二人の今後を左右する言葉をフォクシーが口にしようとした瞬間、廊下の奥の方から聞き慣れた声が聞こえてくる。ドグだ。彼は後ろで息を切らしているウォルを置き去りにしながら、一目散にフォクシー達の元へと駆け寄る。そして、彼は頭上の両耳を小刻みに震わせながら自分の不安をまくし立てる。
「フォクシー、ラムロンさんから聞いて大変なことが分かったんだ! こっ、このまま俺達の子供を産もうとしたら、えっと、5%くらいだったかの確率で……」
「うん、分かってるよ。死んじゃうかもしれないんでしょ」
「し、知ってたのか? いや、ウォルさんに教えてもらったんだな。そ、それでどうする? 俺達、このままいってもいいのかな。……ていうか、そのコンさんは一体どうしたんだ?」
自分達のことに必死すぎて、ドグは今更フォクシーが抱き寄せているコンのことに気がつく。その間抜けな様子を見たフォクシーは、尋常ならざる場面だというのに軽やかな笑い声を上げた。
「気づくの遅いよドグ。それに、二人とも心配するのは同じ事なんだね」
場の空気に似つかわしくない笑みを浮かべたフォクシーに、ドグとコンの戸惑いの視線が集まった。そんな二人の無言の問いかけに、フォクシーは勿体ぶらずに答える。
「私、やるよ。この子を産んで、ドグと一緒に育てる」
フォクシーは両の手のひらで自分のお腹を優しく押さえ、飾らずに答える。彼女の答えを受けると、二人の動揺はさらに深まった。
「どうして、フォクシー……!」
「だい……じょうぶ、なのか? 別の手段とか、考えなくて平気か?」
「うん。そういうことは今コンが言ってくれた。でも、私はやっぱり自分達の幸せについて妥協はしたくないかな。心配してくれてありがとう、ドグ、それにコンも」
フォクシーは一歩後ろに下がって、自分の今後を自分以上に憂う二人から距離を取る。改めて視界に収めた二人は、変わらず不安そうに目を泳がせていた。
「もし出産がうまくいっても、その後まで調子よく進むわけじゃないのよ? 本当に分かってるの?」
「分かってるってば。それに、何だってそうでしょ? 順調に行くことも、つまづくこともある。これまでの人生だって、別に登り坂がずっと続いてたわけじゃない。これからも同じように凸凹した道が続いてるってだけ」
「アンタが選んだその道の先には、これまでのとは比べ物にならないくらいの溝や穴がある」
「でも、その分きっと山も高いよ。それに、道を一人で進むわけじゃないから」
「……ああ」
フォクシーは隣のドグを見上げて小さく笑う。彼女の笑みを目にしたドグは、これまでの会話の内容を深く知らないながらも確信を持って首を縦に振った。彼が迷わず応じることができたのは、真っ直ぐに自分を見つめるフォクシーの目が、いつか見たそれと同じものだったからだろう。
「…………はぁ、あっそ。じゃあ今回のことは私が無意味にはしゃいだってだけのことなのね」
今回の騒動を引き起こした張本人であるコンは、涙や鼻水で汚れた顔をゴシゴシと手の甲で拭い、やさぐれた声を吐き出す。二人の覚悟を間近で見て毒気を抜かれたようだ。目の周りを真っ赤にした彼女を哀れに思ったのか、ドグは両手を勢いよく振りながらフォローを入れようとする。
「んなことないっすよ! 今回のことがあったから、俺もフォクシーも、あやふやにしか分かってなかったことをちゃんと知れたんすから。ウォルさんもそうでしたけど、コンさんも無理矢理子供をおろすなんて本気じゃなかったんでしょ?」
「いえ私はやる気でしたよ」
「え…………」
「……く、クク。本当のことです」
「いやそこは「冗談です」って言ってくださいよ!!」
「コンは昔からヒステリー起こしがちな所があるから、やることが極端なの。焦らせてごめんね、ドグ」
「……極端にもほどがあるだろ」
普段通りがどういうものか分からないが、三人の調子は平常のものに戻ってくる。話がまとまっていく流れを見ていたラムロンと遅れてやってきたウォルは顔を見合わせ、大事に至らず事が済んだことに安堵のため息をつくのだった。
「一件落着だな」
「ああ。回りくどくはあったが何事もなくてよかった」
「しっかし、たまたまウチに依頼が来た奴がじいさんの孫だったなんて、どんな偶然だよ」
「私も驚いた。まさかこんな場面で君の名前を耳にするとは」
火急の案件が片付いたラムロンとウォルは、事が立て続けに起こっていたタイミングでは口にできなかった再会の言葉を交わす。
だが、二人がゆっくりと近況報告をするような暇はなかった。年長の彼らが腰を据えて話を始めるより前に、若者の好奇心が間に挟まってきたのだ。
「あの、結局おじいちゃんとラムロンさんはどういう関係なんですか?」
三人の中でも気持ちの整理が早かったフォクシーが、純粋な疑問を口にする。
「さっき言ったろーが。仕事で昔、顔を合わせたことがあるって」
「おじいちゃんの方も同じ認識なの?」
「ああ。二年ほど前のことだ。ある程度の期間、仕事を共にしていた」
「へぇ……。じゃあ、いやに連携が取れてた感じなのもそのせいか。今回のこと、二人共事前に計画したんですよね」
「事前って言っても昨日の夜な。お前らの結婚のこと諸々、じいさんに連絡してなかったって話だから伝えとこうと思ったんだ。そこでやっと、じいさんがコンから既に話を聞いてて、子供をおろすなんて提案を受けてたって知ってよ。どいつもこいつも鬱憤が溜まってそうな感じだったから、一斉になんとかしようってことでこんな流れになったわけだ」
「深夜に色々手配するのは骨が折れた……」
ウォルは大方事が片付いた安心からか、枯れた欠伸をして目を細める。フォクシーはそんな祖父をいたわりながら、用のなくなった病院を後にしようと歩き始めた。ラムロン達も同様にそれに続く。
そんな彼らの後ろで、まだ気持ちの整理に区切りがついていないドグとコンは、自分達以外が移動していることに気が付くと何となしに足を動かし始める。まだフォクシーが間にいないと気まずい空気の中、コンが先に口を開いた。
「あ、その……ドグさん」
「は、はい。なんすか」
ぎこちない声かけにぎこちない返事。だが、次のコンの言葉に惑いはなかった。
「デキ婚相手の親にあんなタンカを切れるあなたのことですから、大丈夫だとは思いますが……必ず、フォクシーと一緒に幸せになってください」
「……はい。って、前半関係あります?」
「それだけフォクシーと一緒にいることに覚悟があるってことでしょう。はぁ……あなたが私達と同種だったら、もっと素直に歓迎できたのに」
「はは……ないものねだってもしょうがないっすよ。安心してください。俺達は絶対、幸せになりますから。そのためにも、コンさん達の力を貸してください。俺一人じゃまだちょっと不安ですから」
緩やかな笑みを浮かべて、ドグは前を向く。誰彼構わず助けを借りて幸せになる。最初に誓ったことでありながら、たった今まで忘れていた。彼の真っ直ぐな頼みを耳にしたコンは、フッと小さく笑う。
「当然です」




