親子という縁、鎖か絆か
私の父は家を外していることが多かった。いつもどこか遠くに出掛けては深夜に帰ってきて、そしてまた何も言わずに出ていく。毎日そういう生活を繰り返していたわけではなかったけど、家にいた日もいた日で、あまりいい思い出はない。リビングから聞こえる亜人の差別がどうのこうのと語るテレビの声に、刺々しい父の怒りの声。体制やら歴史やらについて私に教育する時もあった。どれも、思い出すと心の奥に石が沈み込んでくるかのような、嫌な異物感を感じる記憶だ。
※ ※ ※
「あっ、おかえりなさい。お父さん」
「ただいま」
「ね、ねえ。……その、料理、つくったの。カレー、好きでしょ? 一緒に食べようよ」
「悪い、外で済ませてきたんだ。お父さん、これからまた仕事の資料を整理しなくちゃいけないから、また今度な」
「……あ、そう…………」
※ ※ ※
母は私が二歳だか三歳だかの時に亡くなったらしい。顔も思い出せないから、あまり印象もない。私の十歳そこらまでの記憶は、大方が父との生活の中にある。とはいっても、実際に二人で過ごした時間は……多分、一週間の中で言えば一日か二日というところだろう。いつも一人だったから、誰かと一緒にいた時の記憶が強く残ってるんだと思う。
※ ※ ※
「コンちゃん、また一人なの?」
「うん……」
「はぁ、ランさん悪い人ではないんだけどねぇ。やってること自体は……まあ、亜人の気持ちを代弁してくれてるし。もう少し身近な人に目を向けてあげてもいいと思うけど」
「それじゃ」
「ああ、ちょっと待ちなよ。今日も一人なんだろうなって思って、ご飯作ってあるから。食べに来ない?」
「……ありがとうございます。いただきます」
※ ※ ※
当時は父のやっていることを具体的には知らなかったけど、輪郭くらいは掴めていた。ルールには則っていないけど、一部の人が熱狂的についてくるような、そんな感じの活動。それに影響されて、近所の人達が時折私を助けてくれた。でも、私は性格が悪くて素直じゃなかったから、嬉しくなかったんだ。父の名声に助けられるより、父に助けられたかった。そんな風に思って、目の前の人がくれる優しさに目を向けられる余裕がなかった。
※ ※ ※
「ねえ、お父さん」
「なんだ。今は忙しいんだ。後にして……」
「お父さんのやってること、法律を破ってるよね」
※ ※ ※
ある日、ずっと気付いていて、でも話す気にはならなかったことを切り出した。子供の頃から父の書斎に出入りして法律の本を読んでいたから、あの人の活動が違法ってことには随分前から気付いていた。その話をした時の父の顔を、今でもよく覚えている。
※ ※ ※
「コン、確かに私のやっていることが違法だというのは私自身よく分かっている。だが、それでもやらなければならない大義があるんだ。日々言って聞かせているだろう。私達亜人がどれほどの苦境の中で生きて来たか。そしてそれは今も続いている。誰かが陣頭に立って声を上げなくてはならないんだ。何も暴力で解決しようとしているわけじゃない。多くの人に、当然のように社会に組み込まれた差別と不平等を理解してもらうために……」
「で、でも……ニュースで見たよ。この前のデモかなんかで、普通の人に怪我人が出たって」
※ ※ ※
正確に言えば、父の主導している集団の構成員が、通りがかった人間に暴力を振るったというニュースだ。これを直接言えなかったのは私の臆病さのせいだろう。ただ、それでも父の感情に触れるのには十分だったらしい。
そう、あの時の顔……目を下に向けて、直前までペラペラとよく回っていた口を閉じて……ため息をついた。当時の対人関係に乏しかった私にもすぐに分かった。この人は失望しているんだ、と。
※ ※ ※
「お前も、ウォルさんと同じことを言うんだな」
「……え、何? あの人が何か言ったの?」
「いや、もういい。どうせお前には関係のないことだ。それじゃあしばらく出掛けてくるから、戻ってくるまで普段通り過ごしていてくれ」
※ ※ ※
これが、父と一緒に過ごした最後の記憶。このやり取りから二週間ほどした後、ニュースで父が逮捕されたことを知った。……正直、あまりショックではなかった。