うるせー知らねー!!(知ってる)
「早かったな。まあ、これも君がいれば当然のことか」
病院のエントランスから少し奥に入った廊下。他人の目が深く介入しないその場所で、ウォルは来客を出迎えた。彼の目の前には、ラムロンとドグが並んで立っている。
「首尾はどうだ? ラムロン」
「どうも何もねえよ。俺は、ドグが知るべきだと思ったことを伝えて、機会を与えるためにここに連れて来ただけだ」
「分かった。では、君には孫とコンの方をお願いするとしよう」
ウォルは端的な会話をラムロンと交わした後、一歩脇に退いて道を開けた。それを受けたラムロンは、それが罠や相手の思惑である可能性など微塵も考えていない様子で老人の横を通り過ぎる。すれ違う瞬間、彼らは互いのことを一瞥もせずに背中で見送った。
「……アンタら、最初っからグルだったのか?」
ラムロンが廊下の角を曲がって見えなくなったころ、ドグは睨むような目をウォルに向けながら問う。声のトーンを抑える様子はなく、ラムロンに聞かれていても構わないと思っているようだ。
「どう見てもお互いのやることを分かってるようにしか見えねえんだけどよ。もしそうなんだとしたら、正直ラムロンさんにも一言言ってやりてえし……」
「お前が今最も気にするべきことはそこなのか?」
「いや違えけど。でもアンタら匂わせすぎなんだよ。流石に気にもなるわ」
「……臭うか? 久しぶりに家族に会うから気をつかってきたのだが」
「そっちじゃねえよ! ……はあ、まあそっちは後で根掘り葉掘り聞くとして」
真面目な問いにボケた言葉で返されたドグは、呆れた様子で頭を掻きながら自分のケータイを取り出す。それを目にしたウォルは、心配を自分に向けるのをやめ、孫の思い人をしかとその目に納める。
「知るべきことを知ったのか?」
「多分な」
「それでは、軽く内容のまとめと……そして、お前の感想を聞こう」
ウォルは一つ咳ばらいをして手を背の後ろで組み、落ち着き払った態度でその場に立つ。彼の尻尾や耳は垂れ下がり、余計な音を一つとして立てまいと静かに佇んだ。傾聴の姿勢を取ったウォルに、ドグは語り聞かせる。
「異種の亜人同士の子供に両親の特性が混ざって発現、それが障害として現れる可能性が10%前後。そもそも子供が死産になる確率が6%弱。で、母体の命が脅かされる可能性が……6.7%」
「更に言えば、それは出所、結果の明らかな病院での計上だ。非公式に行われた出産を数えれば……」
「もっと数字が悪くなる、だろ? でも、俺達はちゃんとした場でそれを迎えられるはずだ。何でもかんでも、マイナスに捉える必要はない」
ドグはラムロンから渡された資料に目を通しながら、自分達の運命に影響のあるだろう項目を改めて口にすることで確認していく。
「それとこれは前から知ってた事だけど、もし出産自体がうまくいっても、その後の生活は苦労が多い。障害って明確な形でなくとも、子供の体が両親のどういう特性を継いでて、どういう体になってるのかがハッキリしない。そのせいで安易に薬を選べない上に、他人との付き合いにも問題が出る。戸籍の種族登録にも、履歴書にも生まれのことを書く必要があるから、諸々の手続きにも手間がかかる可能性が高い」
当初思っていたよりも多くの問題と障壁が、ドグとフォクシーの子供には立ちはだかるようだ。これらの難題を知ったドグは、自分達と同じ選択をした者達の行く末について触れ、話を結ぶ。
「そういう色々な問題を抱えて子供を産む選択をした家庭は、その苦しい状況のせいか、家族の誰かしらが問題行動を起こすようになる可能性が高い。経歴のハッキリしてる人達のカウントだけで、大体40%以上の家庭が何かトラブルを起こして警察やら行政の厄介になる……。はぁ、大体こんなところか?」
「ふむ……いいだろう。最低限の知識は備えてきたようだな」
ドグの長い話を聞き終えたウォルは一つ小さな息をつく。そして、老年のしわによって細くなった目を薄らと開き、彼は自分の孫達の将来に思いを馳せた。長く積んできた経験と観察から形作られた眼は、ドグとフォクシーの行き先を阻むのではなく、ただ静かに見据えている。
「お前が羅列したのはあくまで整頓された数字。私はその大小によって杞憂を重ねることを望んでいるわけではない。最も重要なのは、お前がこういった現実があることを知ったということだ」
「……そうだな、じいさん。アンタがなんであんなこと言ったのか、こんなことしたのか、今なら大体分かる」
「分かってもらわなくては困る。知らずに決断するのと、知った上で決断するのでは、その意味や質は大きく異なってくる。法はただ守るだけでも価値のあるものだが、お前達のような状況においては、その根を知ることも肝要なのだ」
ウォルは言葉に乗せる意志を強め、手を広げて自らの意志を語る。
「亜人保護条例第十五条。異種亜人同士の結婚、及び出産に関する規則。一部の者達はこれを亜人の種族管理に問題が出ないようにするための法律だと言うが、実際は違う。そういう側面があるのも事実だが、実情は我々の生活を危険から守るためのもの」
「…………」
「無学に配慮するべきというようなことをお前は言ったが、法が存在していること、それ自体が無知無学への配慮なのだ。以前のお前達のように何も知らない者達が、多くを知らずとも危険を避けられるように……」
「……はぁ」
「おい」
大仰に語っていたウォルは、自分の語り口に挟まってきた舐めた態度の現れとも言えるため息に即座に反応する。目を見開いてみれば、ドグは顔を逸らして貧乏ゆすりをしていた。彼のその舐めた態度を前にしたウォルは、年を重ねた賢者らしくもなく眉を寄せる。
「どういうつもりだ。私の話を聞いているのか?」
「聞いてねーよ。関係ない話なんだから」
「……なんだと?」
ドグの言葉を受け、ウォルは額に刻まれたしわをさらに深くする。対するドグは、今まさに声を荒げんとしている目の前の老人と同じように熱のある感情に動かされ、声を張った。
「俺とアンタがするべき話は、俺とフォクシー、それと生まれてくる子供の未来の話だろ。その話の意味を深めるために、アンタはこんな回りくどいことをしたんだろーが。それなら、法律だとかその意義だとか、話をよそに持ってくのはやめてくれよ。アンタが始めた対話だろ」
「…………」
「俺達のことについて話す気がねーならどいてくれよ、じいさん。アンタが色々気付かせてくれたから、俺とフォクシーには話さなくちゃならないことが増えてんだよ」
ドグの並べた言葉は、すべからく自分達の未来を見据えたものだった。逆に言えば、それ以外は全く見ていない。彼のその姿勢を見て取ったウォルは、小さく咳ばらいをして姿勢を直す。
「すまない。お前のような者に法律の細かいあれこれを語る必要はなかったな」
「おい馬鹿にしてんのか?」
「違う、そうじゃない。法の下で生きる者が法の意義などを意識して生きる必要はないということだ。そんなことを知るのは我々だけでいい。……それでは、話を戻そうか。これからは、フォクシーの祖父として話す」
肩の力を抜いたウォルは、改めてドグに向き直る。今度は堅物な法律家としてではなく、孫が連れて来た男を見定める家族として。
「自分達が進む現実を知った今、ドグ、お前はどうする? 今のまま真っ直ぐ道を突き進むのか、最良の結果でなくとも回り道をして今の幸せを守るのか、お前の答えを聞かせてくれ」
「……うるせー」
「は?」
「うるせー知らねーッ!!!!」
「ぅおっ……」
ドグは急に大声を出す。あまりも唐突なそれに、ウォルは一瞬体を震えさせて一歩後ろに下がる。
(これが最近話題の、突然キレだす若者というヤツなのか?)
ウォルはこれまで保ってきた厳格な人物という像を崩しながら、反射的に腕力では勝てないだろうドグから距離を取ろうとする。が、彼が恐れているようなことは起こらない。顔を上げたウォルの目が、その理由を捉える。
「……ん」
ドグは震えていた。広げた両足はカクカクと情けなく震え、その間には尻尾が縮こまってその身をくねらせている。歯を食いしばりながら頭を手で乱雑にかき混ぜる彼の目は歪んで焦点が合っていなかった。イライラしているのか、恐れているのか、感情のハッキリしないドグは、振り絞るような声で自分の思いを自分が探せる範囲の言葉で露にする。
「急にこんなこと言われて、知って、何にも分かんねーんだよ俺はッ!! 元から頭悪ぃんだから当たり前だろ! でも、さっきの異種の亜人同士がどうのこうのってヤツ、ちゃんとした数字で見てよ……怖かったんだ。もしもこのままの道で進んでいったら、フォクシーが……しっ、死んじまうんじゃないかって……そしたら、今の幸せだって消し飛んじまう」
拳を握ったり、疑うように五指を広げて睨んでみたり、焦っていることだけは明確な、とにかく落ち着かない様子でドグは続けた。
「もしかしたら、このままアンタ達の言う通り、子供をおろした方がいいこともあるんじゃないかって、ちょっと、一割くらいは思っちまったんだ!!」
「……知る、知識を得るということは、迷う権利を得るということだ。存分に悩んで答えを出すといい」
「……出せねえよ」
ウォルの背を押すような言葉に、ドグは首を横に振る。そして、とても頼りがいがあるようには見えない崩れた顔で自分の意志を明らかにした。
「俺のことじゃねえ。俺達のことだから……。だって、俺はフォクシーと子供を幸せにできねえんだよ。俺達は、三人で一緒に幸せになるんだ。だから……これからについてフォクシーと話し合わねえといけねえんだよ」
「…………」
ドグの出した答えに、ウォルは目を細める。孫の連れて来た男の出したその答えは、自分以外を引っ張って最良の選択に突っ込むことのできるような強いものではなかった。だが、そこには確かに自分以外を想うがための弱さがあって、その弱さは決して価値のないものではなかった。
「……君を認めよう、ドグ」
脆い弱さを見せたドグに、ウォルは手を差し伸べる。
「一人で突き進む勇気もそれはそれで価値のあるものだが、誰かと共にでなければ進めない弱さの方に意義があることもある。我々は勇者ではないのだからな」
「……えっと、よく分かんねえけど」
「構わない。さあ、君達の未来については、君達が決めるべきだ。そのための話し合いをしに行こう」
「……分かった」
ウォルが先を示す。不安に押し潰されそうになっていたドグは、一秒でも早くその不安に二人で向き合うため、揺れる足取りでウォルの案内に従った。




