人の心がないヤツなんてのはそうそういない
ウォルとコン、そしてフォクシーがローロック邸を後にした。残されたのは、ラムロンとドグ、そしてフォクシーの両親。四人の間にはしばしの間沈黙が広がる。よりにもよって、身内に子宝を抱えた家族を奪われたのだから、その動揺も当然だろう。
「どうして……」
静寂を破ったのは、フォクシーの父、ジムだった。彼は部外者であるはずのラムロンを鋭い目で睨み、声を荒げる。
「なんで止めてくれなかったんです? 父との関係は知りませんが、知った仲だったんでしょう。それに、あなたは以前にフォクシー達を助けてくれた。なら何故今は見捨てるんですか!?」
「お義父さん、落ち着いて……俺も、何もできませんでしたから」
「君はいいんだ、ドグ君。そもそも結婚相手の血縁に、あれだけ怯まずにいてくれただけでもありがたいよ。問題は……父の頑迷さだ。まさか自分の孫にまであんなことを……」
ジムは頭を抱えて唸り声を上げる。娘の安否が気になって仕方ないのか、椅子から立ち上がっては歩き回り、また座ってを繰り返していた。
「そんなに止めたかったなら、アンタがじいさんに向き合えばよかったんだ」
「……なに?」
落ち着かない様子のジムに、ラムロンが遠慮のない言葉を放つ。顔を上げたジムの視線は、敵意を伴ってラムロンの顔に突き刺さった。
「向き合う? 人の命や感情より規律を優先させるような、コケの生えた機械みたいな奴とどう向き合うっていうんだ」
「じいさんのやってること、その意味。そういうのをちゃんと見て、話し合うべきだって言ってんだよ。アンタ達がじいさんの名声のせいで迷惑してんのは知ってるが……」
「知ってる? お前のような部外者が一体全体何を知ってるっていうんだ!?」
ジムの声が上ずる。議論がズレていることにも気付いていない。
「家の落書きやネットの誹謗中傷だけじゃない。家に石を投げられたことも、殺害予告が来たことだってあるんだぞ!? あいつが大層なことを成し遂げる度に、マスコミだってウジみたいに湧いてくる。亜人にとって英雄だかなんだか知らないが、俺達家族にとっては疫病神だ!」
ジムの叫びが部屋にこだまする。彼の後ろに控えていた妻のイルナは、口を手で押さえて涙を流していた。世間で巨人とされる男は、身近にいる者の信頼を得られていないようだった。
「今回のことだって、こっちの話に全く耳を貸しやしない。あれは化け物だ。自分が正しいと思ったことに、誰でも何でも巻き込む。……どうせ、家族が法を犯したってレッテルを貼られたくないだけだ。マスコミにいい顔して、こんな残酷なことを美談にもしてしまうかもな」
諦めと自嘲の混ざる、乾いた笑い声をあげてジムはため息をつく。彼は心底から自分の父親を憎んでいるらしい。言葉にも、表情にも、それが如実に表れている。
しかし、その憎悪を前にしてなお、ラムロンは意見を曲げなかった。
「そうやって不貞腐れてれば、お互いに理解し合えると思ってんのか?」
「……お前」
「ら、ラムロンさん……それ以上は」
ラムロンの言葉は、ジムの怒りにヒビを入れる。空気の変化を感じ取ったのか、ドグはラムロンの肩に手を置いて制止しようとするが、彼は止まらない。
「じいさんが行動を急いだのは、アンタ達がフォクシーの結婚と妊娠を連絡せずに言葉を交わす姿勢を見せなかったからだ。家族だろうが、そもそも相手に歩み寄る気がない奴と、話し合う意味なんてないからな」
「それは……あいつだって同じだろ! いつだってあんな風に事を進めて、俺達のことをないがしろに……」
「そういう話は、後で改めて本人とやってくれ。今は、じいさんが求めた話し合いに応じる方が先だ」
実の父に対する恨みを拭えないジムに背を向け、ラムロンはゆっくりと歩き出した。その時、彼は部屋の端であたふたとしているドグに向かって手を上げる。
「ボーッとしてないで行くぞ、ドグ」
「え……行くってどこに」
「決まってんだろ。フォクシーが連れてかれた病院だよ」
「ば、場所分かるんすか?」
「この辺でデカい病院つったら一つしかないし、そこだろ。あのじいさんは最短距離を突っ走るタイプだし、間違いねえよ」
「だ、大丈夫なんすか、それ。ただの推測ですよね」
「余計な心配すんな。んなことより、お前にはもっと重要な、知るべきことがある」
「……?」
二の足を踏むローロック夫妻を部屋に残し、邸宅を出る二人。ドグは未だに後ろを振り返りながら足を動かしていたが、迷いなく歩を進めるラムロンはそれに構わず話を進める。
「今、お前のケータイに何個かデータを送った。タクシー呼ぶから、病院着くまで死ぬ気で目ぇ通せ」
「は? データ? それって今大事なことなんですか」
「クソほど大事なんだよ。昨日俺が徹夜でまとめたもんだから、ありがたく頭に叩き込んどけ」
ラムロンの指示通り、ドグはつい今しがた送信されてきたメールに乗っているデータを表示する。そこには、とてもあのだらけた私生活を送っている男がまとめたとは思えないほど整理されたグラフや表がいくつも表示された。そのギャップに思わずドグは息を飲む。
「……わ、本当に来てる。ラムロンさんってこんな細かい作業もできたんすね。てっきり検問の時みたいにゴリ押すのがメインなのかと」
「あん時は時間なかったからだっつの!! ……たく、嫁が攫われたのに随分余裕そうじゃねえか」
「……まあ、そうですね」
邸宅の前の通りに辿り着き、あとはタクシーを待つのみ。手持ち無沙汰になったラムロンは、案外にも落ち着いた様子のドグを振り返る。彼は足の位置をトントンと忙しなく動かしながらも、言葉にその揺れを乗せることはせず、冷静に話した。
「ラムロンさんがいますから。それに、ラムロンさんと仲がいいっていうんなら、あのウォルって人とも全く話せないってわけじゃなさそーですし」
「……俺とじいさんが仲良いなんて言ったか?」
「えっ、違うんですか!? 結構通じ合ってる感じに見えたんすけど……ヤバい、急に不安になってきた」
「……流されやすい奴だな」
表情や態度をコロコロと変えるドグを見ると、ラムロンは思わず気の抜けた呆れ笑いを浮かべた。
「安心しろ。万が一のことがあっても俺が何とかする。お前は安心して資料に顔突っ伏してろ」
「オッケーです! ……って、このデータは……」
ドグは指示通り携帯の画面に目を落とし、ラムロンは通りに目をやってタクシーをいち早く見つけようとする。囚われの姫を助けに行くには些か妙な様相ではあったが、二人の顔に諦めは一切なかった。