世界は思ってる以上に狭い
「ラムロンさんが……おじいちゃんと知り合い?」
「そんなこと……」
ラムロンは登場するなり、場を支配するウォルに軽く手を振って挨拶する。その動きはどう見ても初対面の者に向けるものではなかった。
二人の繋がりを知って驚いたのは、ウォル以外のローロック家とドグだ。コンはこの事実を前もって知っていたのか、目を細めてラムロンを見つめている。フォクシーは隣のコンがこの事態にさほど驚いていないのを見て、彼女に問いを投げる。
「まさか、コンは知ってたの?」
「知り合いってことだけは。それ以外は知らない」
探し求めている答えがコンの中にないと知ったフォクシーは、直接当人達に質問する。
「二人は……どういう関係なんですか?」
「気になるか? 別に後ろめたいことがあるってわけじゃねーよ。仕事の関係で、少し前に顔を合わせたことがあるってだけだ」
「な、何もないならなんで、最初から言ってくれなかったんですか? 私が事務所に来た時にでも言ってくれれば……」
「いやお前苗字名乗らなかったじゃん」
「……あっ、すみません」
問い詰めるつもりが、自分で作った穴に頭から落っこちてしまい、フォクシーは顔を赤らめる。そんな彼女を目の端に、ラムロンは肩をすくめて適当に説明する。
「ローロックって苗字を知った時には驚いたし、どのタイミングで言おうか迷ってたけど……昨日の雰囲気ん中で俺が急にじいさんと知り合いだなんて言ったら、お前ら驚いただろ? 俺なりの気遣いってやつだよ」
いつも通りの気だるげな調子、ラムロンは何かを隠そうとしている素振りはない。恩人が恩人のままであることを見て取ったドグとフォクシーは、顔を見合わせて頷き合う。二人の胸には安息が降りてきていた。
しかし、ラムロンが登場しただけで状況が好転するという訳ではない。
「孫と息子達が迷惑をかけた、ラムロン。一応聞くが、私達の状況は分かっているか?」
ウォルの無機質な声が響く。問われたラムロンは一つ息をつき、ドグ達に向けるものとは違う表情をウォルとコンに向けた。その顔に緩みはない。
「ああ、大体は」
「そうか。なら、今この私が君に何をしてほしいのかも、おおよそ見当がついているんじゃないか?」
「見当ついてようがなんだろうが、俺は俺が思う最善でいく。アンタと考えがかぶってるかは、アンタ次第だ」
「……そうか、いいだろう」
ラムロンの言葉を二つ返事で受け入れたウォルは、隣のコンに頷きかける。無言の合図を受けたコンは、掴んでいたフォクシーの腕を引き、部屋の出口へ向かった。
「ちょ、ちょっと……まだ話は終わってない!」
「いや、終わった」
フォクシーの抵抗の言葉をウォルが遮る。その後、彼は自分の家族達を見回し、その全員の視線から逃れることなく宣言する。
「手配済みの病院へ向かう。着いたらすぐに手術の準備をするぞ」
ウォルの一言は戦慄を振りまく。それに真っ先に反応したのはフォクシーとドグだ。
「どうして人の話を聞かないの……!」
「まだそんな下らねえこと言ってんのか」
ラムロンの登場で切れ目ができてしまっていた対立が、ウォルの言葉によって再び表に浮かび上がる。フォクシーはその場から動くまいと体を強張らせ、ドグはこめかみに青筋を立てて声を荒げた。二人の意志は頼りになる後ろ盾を得て勢いづいたらしい。
だが、二人が思考の端にも置いていなかった予想外の事態が目の前で起こる。
「ここは譲ってやってくれ」
「は……」
「え……ラムロンさん?」
ウォルらの行く手を遮ろうとしたドグの歩を、ラムロンが遮る。彼の顔と背には、それぞれドグとフォクシーの疑問の視線が注がれる。二人は怒りや焦りといった感情を忘れ、ただ当惑に揺らいだ目でラムロンを見た。恩人が以前の立場とは打って変わって自分達を阻む相手となったことに、ドグとフォクシーは何をすることもできなかった。
しばし遅れて、ようやくフォクシーが口を開く。
「今反対するなら、どうしてあの時……」
フォクシーの口から出てきたのは糾弾の言葉ではなく、純粋な疑問の言葉。彼女のその言葉で正気に戻ったのか、今度はドグが揺らぐ声を上げた。
「なんで、どうしてあっち側の肩を持つんですか!! あの人達のやろうとしてること、ちゃんとわかってるんですよね!!」
「落ち着けよ、ドグ。別にじいさんの味方をしてるわけじゃない。ただ……」
ラムロンは後ろを振り返り、今回、最初に事務所にやってきた者に目を向ける。
「今回の依頼人はあいつなんだ」
コンはラムロンの視線を受けると、眉を寄せて顔を逸らす。とても協力し合っている者同士のやり取りには見えないが、今のドグにはそんなことは問題にならない。
「そんなことどうでもいいです。どいてください。これを見過ごしたら、俺達は……」
「見過ごせなんて言ってない。けど、今のお前にはじいさんを止める資格がない」
「自分の子供を助けるのにどんな資格が必要なんですか!?」
「子供とフォクシーを死んでも幸せにするんだろ?」
「……っ」
いつかの自分の言葉を持ち出されたドグは反対の声を詰まらせる。その余白に、ラムロンは希望を差し込んだ。
「止める機会も猶予もある。ただ、今は抑えてくれ」
自分の恋人と子供の危険を承知で見逃すという選択は、ドグを大いに迷わせた。恩人の言葉という導きがあったとしても、それを安易に信じて飛び込むわけにもいかない。彼が抱えているのは、自分だけの運命ではないからだ。
「……信じていいんですね」
「おう」
ドグが最後に判断材料にしたのは、たったこれだけの短い言葉のやりとりだった。彼はラムロンの頷きを見ると、肩に込めていた力を抜き、一歩後ろに下がる。
二人のやり取りの一部始終を見ていたフォクシーは、彼らの判断に戸惑う。今この場でウォルを止めなければ、万が一ということもあるのではないか。お腹の子供を奪われてしまうのではないか。そういう暗い不安が彼女の胸中を覆った。
「行きましょう」
コンがフォクシーの腕を引く。危機を前に時間がゆっくりと過ぎてゆくかのような感覚を覚えたフォクシーは、その刹那に全員の顔を見渡した。悲痛な面持ちで嘆く両親。不安を押し殺しながら自分を見送るドグ。いつものだらけた笑みを隠したラムロン。鉄の仮面をかぶった祖父。そして……
「……!」
自分を連れて行こうとするコンを見下ろしたフォクシーは、自分が見ていなかった友人の変化に今になって気が付く。自分達の幸せで精一杯になって、意識すらせずに見落としていた彼女の顔は、怪我をして歩けなくなった狐がするような、不安と焦りに満ちた表情に覆われていた。
「分かった」
コンの言葉に応じ、フォクシーは歩き始める。その背に子と自分の安全を憂うドグの視線を受けながらも、彼女の心はぶれなかった。




