実はルールって破るためにあるわけじゃないんだよね
昔話は一旦ここまで。
「そんなことがあったのか。そうと知っていれば、君を邪険に扱うことなどしなかっただろうに」
「過ぎたことですから、全然大丈夫っすよ」
ローロック家で話がまとまったその翌日、ドグとフォクシーは自分達の出会いの話を一同に披露していた。素晴らしく劇的というわけでもないエピソードではあったが、娘の話ということもあり、フォクシーの両親は前のめりになってその話に耳を奪われていた。
「慣れない街での生活で苦しむことも多かったんでしょうけど、ドグ君が守ってくれたのね」
「べ、別に大したことはしてないですよ」
「そんな謙遜しなくていいのに。私が今こうして幸せでいられるのも、ドグのおかげだよ」
「やめてくれってば……」
ローロック家の面々とドグは、絵に描いたような幸せな結婚直前の会話を交わしていた。フォクシーの褒め言葉に顔を赤らめるドグも、本心ではそれを嫌がっていないと一目で分かる。前日まで門前払いを食らっていたとは思えないような溶け込み具合だが、これも彼の気さくな性格がなせる技だろう。
「…………」
だが、この和やかな空気に溶け込んでいない者が一人いた。コンだ。彼女は使用人らしく部屋の端に佇んでいながら、その目はしっかりと自分の仕える相手を見据えている。
「……コン? どうかしたの」
その視線を感じ取ったフォクシーは、温い空気から一歩足を伸ばしてコンの方に向かう。
「もしかして、イライラしてる?」
「……よく分かったね」
「それはまあ、十年以上も一緒にいれば分かるよ。……理由を聞いてもいい?」
「……そうね。もうそろそろ時間だし」
「時間?」
これまで会話に立ち入ってこなかったコンは、フォクシーの言葉を受けると顔を上げる。彼女は手首の腕時計にチラと視線を投げた後で、そのままツカツカと部屋の中心へと向かっていった。
「コンさん……?」
会話に意識を取られ、端で佇んでいたコンのことを忘れていたドグは、彼女の急な登場に首を傾げる。人見知りだから静かにしているのだろう、そんな風に考えていたが、コンの表情はそういう顔には見えない。
「…………ふぅ」
この場にいる全員からの怪訝の視線、コンはそれに気圧されることがないように一つ息をつく。目を閉じての一呼吸で調子を整えると、彼女は耳に届いた瞬間に脳裏に刻み込まれるようなハキハキとした口調で言葉を羅列し始める。
「フォクシー・ローロック、並びにドグ・ガウルの二人には、亜人保護条例の第十五条四項を違反した疑いがあります。事実確認の後、違反が確実なものであると証明された場合、二人には六か月以上三年以下の禁錮、あるいは100万幣以下の罰金刑が課せられます」
作業的な応対話法、無機質な機械のアナウンス。そういうものを思い起こさせるような口調でコンの口から放たれた言葉は、この場の誰もが意識していなかった事実を並び立てたものだった。だが、その内容自体には各々がすぐに思い至る。分かっていながら目を向けていなかった現状だ。
フォクシーの両親は、直前まで浮かべていた笑顔を引きつらせながらコンの言葉を横にどけようとする。
「急に何を言っているんだ、コン。そんなことは今重要じゃないだろう」
「そうよ。そんな細かい規則や法律なんて……」
「あなた方もです。ジムさん、イルナさん。フォクシーとドグの罪状が明らかになった時には、それを隠匿しようとしたあなた方にも相応の刑が科せられるでしょう」
コンは自分の主であるローロック家の者達に向かって真っ向から規律の力をぶつける。一応は正論である彼女の言葉に、名を呼ばれたフォクシーの両親は一瞬黙りこくってしまう。
「コン、どうして……」
他の者達より一足早くコンの異変に気付いていたフォクシーは、暴走にも見えるコンの行動に眉を寄せる。その意図が図り切れず、かける言葉を見つけることもできなかった。
そんな中、一人だけ妙に楽観的な男が軽やかに口を開く。
「コンさんってそんなハキハキ喋れたんですね」
「……は?」
空気感にそぐわない馬鹿な言葉を放ったのはドグだ。彼はヘラヘラとした柔らかい笑みを浮かべながら、険しい表情のコンに歩み寄ろうとする。
「いやほら、慣れてる人達の中に俺みたいなヤツがいて、緊張で黙ってるんじゃないかなって思ってたんすけど……。そうでもないみたいで安心しました」
「……私の言ったこと、ちゃんと分かってます?」
「えっ、いやまあハッキリとは……。小難しい話だなってだけ。へへ……」
「……はぁ。ちゃんと、一言一句、全て、余すことなく理解してください。あなたにはそれが必要です。いいですか。あなた方のしたことは……」
ドグの間抜けな顔に苛立ちを覚えながらも、コンはそれを露わにすることなく、冷静に言葉を並べて理解を促そうとする。
だが、彼女の言葉は肝心の内容に入る前に遮られた。
「いい加減にしてくれ」
声を上げたのはジムだった。彼はコンとは反し、その感情を内に隠すことをしていない。眉間に深く皺を刻み、こめかみに青筋を立てながら、ジムは冷気のように地を這う声を上げる。
「ここに父さんは……ウォル・ローロックはいない。俺達を縛り付けることしか能の無いヤツのことなんか思い出させないでくれ」
ジムの言葉には、自身が名を呼んだ人物に対する怒りが滲み出ていた。毛は逆立ち、拳は握られ、声も震えている。突然の緊張感に、直前まで楽に構えていたドグも流石に身構えた。彼はすぐに場を持ち直そうと、適当な言葉を探して口にしようとした。
だが、ドグが何か言うよりも前に、再び状況が大きく変わる。
「それに関しては申し訳なく思っている。だが、法は法だ」
老いていながら張りを残す声が部屋に響く。前日に寄ると言っていたラムロンの声では決してない。聞き覚えのないそれを耳にしたドグは、興味の赴くままに声のした方へと目を向けた。同じく、ローロック家の面々もそちらに顔をやる。同時に、彼らの顔は驚愕に満ちた。
「な、なんで……」
「おじいちゃん?」
部屋の入り口には、下り坂を行く枯れ木には見えない老齢の亜人、ウォル・ローロックが立っていた。