8.告解
「…私には、幼い時から仕えてくれていた騎士がいました」
(王女様だものね)
騎士の一人や二人は当然付いているだろう。
「私は密かに、彼に憧れていました…」
(分かります。騎士様って格好いいものね)
幼い日、マルグリッドも憧れて、王子であるレアンドルに『騎士になって!』と、大胆にねだったこともある。
「彼は子爵家の次男でしたが、近衛騎士団の団長や副団長になることができれば、伯爵への叙勲が叶います。そうなれば、私が降嫁しても…と夢を見ました」
国にもよるが、上級貴族である伯爵までなら、確かに王家の姫が降嫁した記録を見たことはあった。
(それだって、他に相応しい家がなければ…だと思うけどね)
実際、姫君はこうして外国に嫁ぐことになった。
「…夢は夢です。私にも王女としての自覚がありました。こちらとのお話が出た時も、自分で判断してお受けしたのです」
当時はまだ11歳位だった筈だ。立派だわ、とマルグリッドは思った。
「彼も私の警護の一員として、こちらへ来る予定でした。ですが1年前…私の婚儀を早めるという連絡が入った後、彼に、一緒には行けないと言われました。私を…愛しているから、と」
(……)
「仕事を辞し、他国へ渡ると…」
(………)
「私は動揺しました。今までずっと側にいて、これからもずっと、見知らぬ他国に行っても、側にいてくれると信じていた方です。なぜ今更言うのか? 婚約の話が出た時に言ってくれれば、いつまでだって待っていたのに、と詰ってしまいました」
(…11歳の頃は、女性として見ていなかったのね)
それなのに、日に日に美しくなる姫君に恋して、気持ちを抑えられなくなった…という、ストーリーは分からないでもないけど…
「怒って、詰って、縋りついて…その結果、私は、いつの間にか手を取られていて…」
姫君は、見えない物を見ているような思いつめた目をして、耳をふさぐように両手を頬にあてた。
「……決して、決して、超えてはならない線を」
ひとこと、ひとこと、噛み締めるようにして、喉の奥から吐き出すように彼女は告げた。
「…越えてしまったのです」
マルグリットは思わず、ここまでの話を一緒に聞いていた姫君の侍女に目をやった。
サラという侍女は、がばっと頭を下げた。
「…わ、私がいけなかったんです! まさかあのような事になるなんて、これが最後のお別れだからと…二人きりにしてあげようなんて…!」
サラの声は、ここにいる三人以外に聞こえない筈だが、内容が内容である。
おかしな雰囲気なのを感じ取ったのか、離れていたイネスが、今にもこちらに来ようとしているのを、マルグリットは首を振って押し留めた。
下を向いたままで、姫君は再び口を開いた。
「…サラは私の乳兄弟です。生まれた時から一緒に育ちました。本当の姉妹、いえそれ以上の存在として、何でも話していました…あの方への想いも」
侍女も、これで思い切ってもらおうと、二人きりにしたんだろう。
大切な姫君の初恋だ。
(もしかしたら、別れのキスくらいは許容範囲だったかもね…)
にしてもねぇぇぇーーー…マルグリッドは唸りたくなったが、とりあえず最後まで話を聞こうと姿勢を直した。
「私はもう…他の方へ嫁ぐなどできない。今すぐ父上や母上に、このことを申し上げてお断りしようとしたのですが、あの方に止められました。もし…私に、子が…出来ていたら、全て自分から話すと…」
震えながら、サラも口を開く。
「わ、わたしも…陛下に、は、話したら、姫様の身がどうなるか分からないって…言われて」
騎士にね…色々言いたいことはあったが、マルグリットはぐっと唇を引き結んだ。
王に話したら騎士ともども、姫君も処分されるかもしれず、でもこのままなら、姫君は自殺しかねない様子だったので、サラもそれに賛同した。
「…それからは、生きた心地がしませんでした。もし子が出来ていたら…いえ、もし子が出来ていなかったら、私はどうすればいいのかと」
姫君はゆっくり顔を上げた。
薄く笑ってはいたが、死人のような顔色だった。
「結局…子は出来ていませんでした。その事を告げたら、あの方は去っていきました」
マルグリッドはこぶしをぎゅっと握った。
(…生きているのね、そのゲス野郎)
「私はもう、すべてがどうでも良くなり、言われるまま動き、歩き…この国まで来てしまいました」
話し終った姫君の顔は、蒼白ではあったが、不思議な穏やかさに満ちていた。
(誰にも言えなかった事を、ここで、結婚相手の愛妾相手に暴露して…)
あとはもう…断罪されるのを待っている――マルグリットにも分かった。
これは懺悔なのだと。
ならば自分のすべきことは決まっていた。
マルグリットはすっかり冷めてしまったお茶を、マナーをかなぐり捨てて、ぐっと一気に飲みほした。
怒りで頭が熱くなって、水をかぶりたい程だったが、とりあえず今すべきことはそれじゃなかった。
「…まず、コンスタンス様」
マルグリットが名を呼ぶと、姫君の肩がビクッと跳ねた。
それを痛ましげに見ながら、なるべく優しく聞こえるように努力して声を掛けた。
「よく、話してくれました」
「え…」
「これ以上、コンスタンス様の中で抱えていては、それだけで病になってしまったでしょう」
マルグリットは怯えさせないように、ゆっくりと立ち上がると、姫君の傍らに行き、膝をついた。
美しい、本当に宝石のような目を、大きく見開いて、こちらを見ている姫君に笑いかける。
「他の誰が何と言おうと、私が貴女を許します」
そんな資格なんて自分にはない。
でも、少なくともこの少女が耐えてきた事を、罪だなんて誰にも言わせないという決意が、マルグリットにはあった。
両手を伸ばし、涙が盛り上がっている瞳ごと姫君の頭を抱きしめ、その耳に直接囁いた。
「ここまで、よく頑張りましたね…」
「…う、あ…ああああー…!」
ようやく、声を上げて泣くことが出来たのであろう姫君は、マルグリットに縋るように抱き着いた。
マルグリットの目の端に、顔を覆って泣いているサラと、急ぎ足でこちらへやってくるイネスや他の侍女達が映った。
泣き続ける姫君の背中を撫ぜながら、マルグリットはこれからの事を考えていた。
マルグリットは皆に、姫君は『ホームシック』だと説明した。
生まれて初めて祖国を離れ、大切にしてくれた親や知己がいない場所に来て、病になり、心細く疲れてしまったのだと。
女官たちは納得し、同情し、手厚い看護を約束してくれた。
静かに休める様に、ハーブを使ったお茶や、香りの手配を頼んだ後、マルグリットは、レアンドルへの面会を求めた。
…怒り心頭なマルグリッドです。