6.神に誓ってしまいました
永遠のような行進が終り、三段のステップを上った先には、いつもある玉座の代わりに祭壇が設えられ、国教会の大神官が待っていた。
幸か不幸か、この世界の結婚式には、誓いの言葉も口付けもなかった。
大神官の長い祝詞が終った後、新郎新婦の名前が読み上げられ、この場に在る人間に問われる。
「二人の婚姻に、反対の者はいますか?」
出席者は沈黙を持って応える。
これで婚姻成立だ。
過去の資料を当たっていたマルグリッドは、この瞬間も
『その婚姻に異議あり!』
と叫ばれる可能性について、ぐるぐると考えていた。
実際に昔あった話である。
ちなみに、男性女性どちらの場合もあった。
(なんでこんな、心臓に悪い形式が続いているのよ…)
静寂の中、己の鼓動だけが激しくうるさい。マルグリッドは泣きたい気持ちで思った。
「神は二人の婚姻を認めました」
ようやく聞こえた大神官の言葉に、ヴェールの中でマルグリッドは大きく息を吐いた。
後は、皆の拍手と祝福の声の中、引っ込むだけである。
このような一世一代のドレスを着る際は、普通朝から水しか採らないものだ。
だが、マルグリッドはその予定が全くなかったので、朝食もお茶もお菓子もしっかり食べていた。
段を降りる際、きつーく締められたウエストから酸欠を感じ、マルグリッドがよろけそうになる。
すかさず、自然な動作で花嫁を抱き寄せたレアンドルに、人々の拍手と歓声はますます高まった。
レアンドルはそのままマルグリッドの肩を抱き、もう片方の手でにこやかに観衆に応えた。
大広間の熱狂が、最高潮に高まった瞬間であった。
控室に戻った瞬間、マルグリッドは倒れ込んだ。
「マルグリッド様!」
「大丈夫ですか!」
心配顔のエリザとイネスに、マルグリットは弱弱しく訴える。
「…く、苦しいの」
急いで、侍女たちがドレスを脱がそうとするが、文字通り縫い付けているので、小さなハサミで解いていくしかない。
それでも徐々に息が楽になり、マルグリッドは礼を言う。
「助かったわ…」
「もう大丈夫です!」
「ご立派であらせられました!」
「誰一人、疑う者はおりませんでした!」
興奮した様子の侍女たちの中には、涙ぐんでいる者までいた。
おそらくここまで運んでくれただろう、レアンドルの姿はもうなかった。
「殿下は、この後の披露宴に向かわれました」
とイネスが教えてくれた。
「マルグリッド様には、このままお休みになられるように、とのことです」
ヴェール越しだとしても、さすがに王女としての挨拶はできない。
今度こそ、『王女は旅の疲れから休養している』との言い訳が使えるだろう。
ここまで確認して、マルグリッドはようやく意識を手放した。
目を覚ました時には、辺りは真っ暗で、マルグリッドは自分がどこにいるのか分からなかった。
「寝ていていい」
隣から聞きなれた優しい声がして、思わず微笑んでしまったが『え、なんで貴方がマルグリットの横にいるの!?』とハッとした。
横で半身を起こしているレアンドルの手が、優しくマルグリットの前髪を上げた。
「ここは本宮の客室で、たまに私が使っている。今日もここで眠る予定だったんだ」
「…ベッド、使ってしまってごめんなさい」
くすっと笑った気配がして、レアンドルがマルグリットに覆いかぶさった。
「ちょ…」
「大丈夫、今日は何もしない」
(誰にもばれなくても、婚姻した夜に、他の相手と…なんて外聞が悪すぎるよね)
「今日は助かった。礼を言う」
「…助けられて良かったわ」
レアンドルの腕に力が入る。
「正直、お前と…祭壇に上がって、誓いが立てられたなんて夢みたいだった」
耳元で囁かれた声と言葉に、マルグリッドは感じたことがないほど激しい多幸感に襲われ、このまま死ぬんじゃないかと思った。
「…それは、私の台詞よ」
王女への罪悪感は多少あったが、マルグリッドが祭壇の前に立つことになったのはあちらの都合である。
吐息のようにつぶやくと、マルグリットはますます強く抱きしめられたが、お互いに精神と肉体疲労の限界だったようで、そのまま二人安らかな眠りについた。
「え…本当に?」
「はい。コンスタンス様から、マルグリッド様に、是非お礼が言いたいとお申し入れが…」
怒涛の婚姻式から5日。
もう国内外の客は全て帰った王宮の一部、王太子宮の自室で、マルグリッドはお茶会の招待状を前に困惑していた。
「当然ご存じよね? 私がレアンドル殿下の…側妃であることは」
侍女頭のイネスは、重々しく頷いた。
コンスタンス姫が起きられないのに、婚姻式が無事行われたということは、誰かが代役を務めたということだ。
それが誰かと問われない可能性もあったが、コンスタンス姫は知りたがったのだろう。
(他の令嬢の名前を上げるのも差しさわりがあるだろうし、隠すのも却って怪しいわね)
隣国のお姫様は、自分の代役を『愛妾』が務めたことを知って、ショックを受けなかっただろうか?
(それにしても、会いたいと言って来るなんて…あちらの侍女は止めないのかしら?)
もしかしたら、正妃として側妃に『挨拶に来い』という催促なのかもしれないと、マルグリッドは考えた。
この辺りの礼儀は、さすがにどんな本にも載っていなかったし、嫁いだばかりの姫君が、新郎の『愛妾』に会いたがるのは想定外だった。
「如何致しましょう?」
「そうねぇ、招待状が此処にあるということは、レアンドル殿下もご存じということよね」
危機管理の観点から、王太子宮宛の手紙、荷物等は、全て王太子も宰相も検閲済みである。
しかも今回は奥向きのことだから、まず女官長。
そして女官長から、王妃にも伝わっているはずだ。
それだけの人が関わっているなら、何か起こっても、それなりに対処できるだろう。
「殿下が良いというのなら、お伺いしましょう」
妾妃の管轄は、あくまで王太子と王妃で、王太子妃の命令を聞く必要は基本的にない。
だが、出来る事なら、夫の正妃とは揉めたくない。
(まさか、いきなりお茶をかけられるとかは、ないよね…)
前世で観た、気の強いお嬢様の出る大正ロマンの映画(推しが出てた)を思い出すマルグリッドだった。
…華族のお嬢様(洋装)が、妾の娘の妹(和装)に、ティーカップごとお茶を投げる場面のある映画でした。
…大正ロマンの調度が大変素敵で、推し(妹と結ばれる将校の部下)の軍服マント(+サーベル)姿にマルグリッド(前世)は、映画館で悶え苦しみました。