5.白いドレス
マルグリッドはイネスを伴い、女官長と部屋を出た。
長い付き合いだが、マルグリッドは女官長のこんなに強張った顔を見るのは初めてだったので、大人しくついて来たが、目的地らしい部屋に入ると、どうしても聞かずにいられなかった。
「ミリア、ここは…!?」
部屋は白い布の洪水だった。
よく見れば、最上級の布や、繊細なレースが幾重にも重なっているのが分かる。
宝石の輝きもあちこちに見られた。
「マルグリッド様、お召し替え下さい」
「えっ?」
女官長の声に驚く間もなく、周囲を何人もの侍女に囲まれ、マルグリッドは殆ど抱きかかえられるように連れて行かれた。
「え、あ、ちょっとォォォー…!?!」
声にならない悲鳴をあげながら、マルグリッドは風呂に入れられ、髪を蒸され、マッサージを受け、気力が尽きた状態で、服を何枚も着けさせられた。
途中からはミリアも、イネスも混じっていたが、この状況の説明を受けることはできなかった。
「…できました」
静かな声と同時に、部屋にいくつもの感嘆のため息がこだました。
「なんて、お美しい…!」
「白の御衣裳が神々しいこと…!」
「まるで女神様のようですわ…!」
なかば気が遠くなっていたマルグリッドは、どこからか聞こえた
「確かに、美しいな」
という、己の夫の声に、はっと意識を取り戻した。
「お前が美しいのは知っていたが、これほどとは思ってなかったよ」
王太子の甘い声と姿に、見慣れている筈の侍女たちが、声にならない黄色い悲鳴を上げた。
目の前に現れたレアンドルは、白と金で象られた結婚式用の正装姿だった。
普段降ろしている髪はきっちり上げられ、端正な顔を余すことなく引き立てている。
本日の主役は、全てが大変麗しかった。
こんな時でなければマルグリッドも、陶然と眺めながら、
『何故この世界に写真がないの!』
と心の中で泣き叫び、目の奥に焼き付けようと必死になっていただろう。
「レン…どういうことなの?」
マルグリッドは、人前では夫を愛称で呼ばないルールを自分に課していたが、そんなものはどうでもよいほど怒っていた。
「どうとは?」
「どうとはじゃないわ! これは婚礼衣装じゃないの…!!」
白い極上のレースと布を、惜しげもなく幾重にも巻き付けられ、仕上げに透明と白の宝飾品で飾られた。
何の説明がなくとも、悟らざるを得なかった。
自分が着せられた服が、ウェディングドレスだということを。
「レン…! 冗談じゃ済まないのよ?!」
隣国の王女用のウェディングドレスを、愛妾が着てしまったなんて醜聞、下手すれば国際問題だった。
だが王太子は、冷静に彼女に告げた。
「全く冗談じゃない。段取りは頭に入ってるな? お前はそのまま、私と一緒に祭壇に上がってもらう」
「レン!」
詰るように己を呼ぶマルグリッドに、レアンドルはあくまで淡々と伝えた。
「王女が倒れた」
「え?」
「旅の途中から、体調が崩れていたらしい」
「そんな…」
「無理をしながら、王宮までたどり着いて、そのまま倒れた。医師の見立てでは、命に別状はないが疲労がひどくて、起こせる状態ではないとのことだ」
「!」
確かに、そんな状態の少女を無理矢理立たせて、祭壇まで歩かせるなんて非道な真似はできない。
「…お式を延期」
「出来ないのは、お前も分かっているだろう」
無情に言われ、マルグリッドは下を向く。
王族の結婚式である。
国内の貴族だけではなく、他国の来賓が多数来訪していた。
殆どが今日までの滞在だ。
これ以上彼らを引き留めて、饗応する余裕は招待主にも客にもなかった。
「じゃ、じゃあ、せめて第二妃予定の誰かを…!」
「間に合わん」
まだ、何かを言い募ろうとするマルグリッドの腰に手を当て、王太子は強引に歩き出した。
「観念しろ、神の前で王家の人間が、偽りの誓いは立てられん」
「私も偽りじゃないですか!」
「宣誓する名前が違うだけだ」
「それが、一番問題じゃないですか~!」
マルグリッドの抗議は、全て却下された。
王宮の大広間を、埋め尽くす人、人、人。
あふれる熱気と、のしかかるプレッシャー。
その中をマルグリッドは、レアンドルの手に引かれ、一歩一歩ゆっくり歩いた。
今にも、気絶するんじゃないかしらと思いながら。
特徴的な黒髪は、白い布にきっちり包まれている。
頭の上から被された、細かいレースのヴェールで、外側からはおぼろげな輪郭くらいしか窺えないようになっている。
だが、隣国からは、見届け役の貴族が来ていた。
今にも彼らが、こちらを指さし、『偽物だ!』と叫ぶんじゃないかと、マルグリッドは気が気じゃなかった。
当日まで試着ができない為、ウエディングドレスは多少の余裕を持って作られていた。
本番は、本人に着せたまま幅を詰めるように縫いつけて仕上げるのだが、マルグリッドは姫君より胸も腰も大きいので、ほぼそのままで着用できた。
背もマルグリッドの方が高かったが、淑女にあるまじきヒールの低い靴でごまかしている。
(ヒールが、低過ぎてバランスが崩れる…! ドレスも重っ…)
王太子の腕に半ば支えられながら、慎重に前へと進む花嫁は、幸いなことに、来賓にはとても初々しい動作に映っていた。
…本来なら王族の婚儀の御仕度は、数日前から始まって(肌や髪を整える…今でいうウェディングエステですね)、当日も半日かけて用意する…みたいな感じです。
(今回は超特急で1時間…)
…姫君は当然あちらの国で色々手をかけて、こちらへの道中でも磨きをかけていた筈。
…ウェディングドレスを調べてたら、17Cくらいから白になってて、その前は黒い衣装!に白いヴェールの時もあったそう。カッコイイですね(´ω`*)!
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