3.王太子宮へお引越し
王族と妾妃の関係は、ある意味、雇用契約だ。
王家に仕える者として考えると、宰相や財務長官と同じだ。
契約を結ぶため、いくつかの取り決めがなされた。
もし子供が生まれたら、王位継承権を放棄して伯爵家の子として育てると決まり、これには父が大喜びした。
マルグリッドも、正妃の子らと比較されて、王宮で育つよりマシだろうと思った。
何より、子供を産んでいいと聞いてほっとしていた。
もしかしたら、許されないかと思っていたのだ。
「そこまで非道じゃない」
いつの時代の話だよ、とレアンドルは息を吐いた。
(でも、そういう時代もあったんだよね…)
マルグリッドには他人事とは思えなかったが、そうね、と相槌を打った。
「…少なくとも、正妃様に御子が出来るまでは、無理かなと思ってたのよ」
「継承権に絡まなければ、問題ないだろう」
それを聞いて、マルグリッドは改めて決意を固めた。
(我が子には、万が一にも、絶対に!愚かな希望を持たないように、教育しなきゃね)
その他、伯爵家に下賜される支度金の他に、毎月の給料も出ると聞いたマルグリッドは驚いた。
「お手当が出るんだー…」
「…何となくいかがわしい言い方だな。ドレスや化粧、小物類。常に、誰に見られても恥ずかしくないよう、整えておく為の予算だ。部屋と侍女は王宮で用意するが、その他はお前の裁量で動かすように」
「め、面倒くさい…」
「王妃だったらこの比じゃないぞ。王宮全体を掌握するんだからな」
「…正式なお妃様でなくて、良かったです」
「あぁ言い忘れたが、正式の妃を迎えるまでは、お前が私の宮の女主人だからな。王太子宮の管理も仕事だぞ」
「何でぇーー?!」
そんなこんなでドタバタしていたが、三月後には王太子宮にもらった部屋を整え始め、半年後にはマルグリッドは伯爵邸から、侍女2人と共に移動した。
移動したその夜から、お勤めが始まった。
王室差し向けの侍女達に、頭の上から足の先までぴっかぴかに磨かれたマルグリッドは、薄絹の夜着を着せられた。
「とってもお綺麗です!殿下もきっとお喜びになります!」
「こ、これ、何も着てないみたいなんだけど…?」
「それでいいんですよ、お嬢様…ではなく、今日から奥様ですね」
伯爵邸で一緒に育ってきた侍女達が、いたずらっぽく笑う。
薄い真珠色で、体の線が丸見えの布一枚のマルグリッドは、広い柔らかなマットレス、つややかな白い敷布の上で、ガウンから素肌がのぞくレアンドルと向かい合った。
「…よろしくお願いします」
「…短いようで長かったな」
「どこが長いんですか! 私の方だけでなく、半年後に嫁いで来られるお姫様のご用意で、本宮の女官長倒れそうでしたよ!」
まだまだ言いたいことはあったが、唇を早々に塞がれてしまい言えなくなった。
「私は、結構待たされた気分なんだ」
「…私は、レンと一緒になれるとは思わなかったから」
マルグリッドの頬に、レアンドルの手がある。
頭を傾けて、その手に頬を寄せる。
「レンのお嫁さんになれるなら、もう少しくらい待っても良かったのよ…」
力強い腕に抱きしめられ、ぼーっとしていく意識の中、レンは着やせするタイプなのね…とマルグリッドは思った。
それはレアンドルが、ガウンを脱ぐことで確信になった。
「俺はマルグリッドが、ずっと欲しかった…」
「私もレンがよかった…」
この後、マルグリットの記憶は跳んだ。
朝、マルグリッドが目を覚ますと、何となく部屋の様子が違う気がした。
隣にレアンドルがいたので、ほっとしていると、抱きしめられる。
ちなみにお互い何も着ていない。
「レン…あの…」
「まだ寝ていていい…今日明日は、どれだけ怠惰に過ごしても文句は来ない」
「うん…でも、ここは…」
マルグリッドがもらった部屋じゃない気がする…ということは、昨夜、初めてレアンドルと共に寝たベッドではない。
「あぁ、私の部屋だ。お前の部屋の奥にある、隠し扉でつながってる」
今まで知らなかったことに、マルグリッドは驚いた。
「そ、それって、私のいる部屋って、王太子妃用の部屋じゃないの!?」
「そうだな。だが、使われる予定がないので、構わないだろう?」
本当に結婚が可能になるまでは、嫁いでくる王女は王太子宮でなく、王妃の管理する内宮に入る予定だった。
「構うわよぉ…」
幾ら、今は使わないと言っても、いずれ使うのだ。
自分が正妃なら、愛妾の使っていた部屋には入りたくないだろうと、マルグリッドは落ち込んだ。
後悔しても仕方ない。
もう使ってしまったのだ。しかもレアンドルと…
(ごめんなさい、コンスタンス姫…返す時は全部キレイに取り替えてもらうからね!)
心の中で謝って、マルグリッドは頭を切り替える。
なにせ今は隣に、新婚の夫がいるのだ。
「で、でもなんで部屋を…」
「…シーツを替えるためだ」
あぁ、汗やその他でぐしゃぐしゃになってるから…と思った所で、恥ずかしくて顔が熱くなった。
「…お前、かわいいな…」
「レン…! や、」
結局、そのベッドもしわくちゃになったが、その後、最初のベッドを替えた理由が、『花嫁の貞淑の証を確かめる為』もある、と聞いてマルグリッドはドン引いた。
「王家だけじゃないぞ」
「え?」
「他の家だって、余所の血を入れる訳にはいかないだろう? 基本的に、跡継ぎの嫁は処女に限るはずだ」
はー…と息を吐くマルグリッドは、前世知識で処女でも、初夜に血を流さない事があると知っていた。
そんな場合はどうなるんだろう?と考えると怖かったが…
「まぁ、血なんて体のどこからでも流れる。本気でごまかそうとすれば、方法はいろいろあるだろうから、形式上の話だな」
と聞いて、何となくほっとした。
王城のでの生活は、慌ただしかったが、その分充実していた。
昼間は、『側妃』として出来る範囲の教育を受けたり、レアンドルの補佐をしたりしていた。
夜は大抵、レアンドルと共にしていて…今だけ、今だけだと、自分に言い聞かせながらも、マルグリッドはそれなりに幸せだった。
事情が事情なので、お披露目の舞踏会等はできなかった為、マルグリッドが『側妃』に上がったと知らない者も多かった。
許可を受けた一部の人間とだけ、語ることを許されたマルグリッドは、アントワーヌとエリザとクリスティンという、元王太子妃候補でもあった友人達とお茶会をした。
彼女たちには、事前に己がレアンドルの『側妃』に上がることを伝えていた。
悲壮な覚悟で、『不快なら友人であることを忘れてくれ』というマルグリッドに、3人は揃って
『あなたが殿下の側妃になることと、あなたが私達の友人であることには何の関わりもない』
ときっぱり言い放った。
お茶会はプロポーズの経緯や、今のお互いの様子に、大いに盛り上がった。
別れ際、
『マルグリッドが、幸せそうで安心した』
と口々に告げる3人に、感激したマルグリッドは、にじんできた涙を隠すように笑い、きっぱりと告げた。
「3人の誰が第二妃になっても、私がきっちり仕えるから、仲良くしてね!」
これを聞くと、3人は目配せしあい、意味ありげに微笑んだ。
「この先、どうなるかは分からないけど…」
「マルグリッドとは、一生友達よ」
「何かあったら、すぐ相談してね!」
美貌と権力を併せ持つ、頼もしい友人達とマルグリッドの交流は、この言葉通り生涯続いた。
…最初、元王太子妃候補三人娘とマルグリットは、『悪役令嬢とヒロイン』みたいな関係でした。でも、知識欲の強い三人娘と、博識なマルグリットは割とすぐに意気投合して、つるむようになりました。
…その他、色々理由はありますが、何より三人娘が王太子に執着がなかった(なくなった)のがマルグリットの勝因です。
※次回はいよいよ、お姫様のお輿入れです!
※でも、明日は更新休みです!