2.『愛妾』として契約
とても単純な…というか、身も蓋もない事情だった。
禁欲的な結婚生活を送る事になるレアンドルに、そのための女性をあてがおうという話だった。
『側妃』といっても、ようは側女、愛妾枠だった。
「そういうのって…せ、せ、専門の人がいるんじゃない?」
貴族女性でも家庭教師から、結婚前に必要な、最小限の知識は教えられる。
そして男性には、実地で教える人がいるというのも聞いたことがある。
ましてや王宮だ。人材には事欠かないだろう。
「単に、そちらの問題だけじゃない。王妃教育も中途半端、こちらの国にも慣れてない幼い姫君では、公務が滞る可能性が高い」
ヴェルデ伯爵家は研究者が多く、高名な学者も輩出している。
マルグリッドも、幼い時から父や周囲の者に教えを受けており、その美しい容姿よりも、どちらかといえば『聡明な令嬢』として有名だった。
「それなら、王太子妃候補として指導を受けていた、アントワーヌ様やエリザ様を第二妃として娶ればいいじゃない。どうせ国内からも『王妃』を出すんでしょ?」
アントワーヌとエリザは、この国で一番身分の高い令嬢達で、隣国の王女との結婚が決まるまでの王太子妃候補だった。
国の法では、王には正妃が二人いても問題はない。
レアンドルが王に即位した後に、国内から第二妃を取るだろうと予想されていた。
「第一妃を迎える前に、第二妃を娶る訳にはいかない」
「だったら、王女様と結婚した後、すぐに第二妃を迎えればいいじゃない!」
「姫との婚儀の後、すぐに他の女を正妃として迎えるのは、隣国の手前できない」
それはそうよね…と、マルグリッドも納得せざるをえない。
隣国の王様達はともかく、貴族の大半と国民は何も知らないんだから、自国のお姫様が蔑ろにされたと思われ、国交にも響くだろう。
だから正式の『妃』でなく、密かに『妾』を娶ってしまえ、という事だろうが…
「このことは、あちらも承知している。若さを持て余した私が、姫に襲い掛かったら困るとでも思ってるんだろうよ」
投げやりな気持ちを隠そうともせず、レアンドルがぼやいた。
よく見れば、端正な顔にはクマが刻まれ、眉間にしわも寄っていた。
この件が彼を悩ませているのは、よく分かったし、気の毒だとも思う。
(だけど…)
「でもだからといって、なんで私なの? 私だって、その…経験ないし、しょ、処女なのに」
今回の件の性質からみても、前世の知識を総動員しても、『妾』の仕事というと第一にソレしか浮かばないマルグリッドは、赤くなった両頬に手を当てた。
ちなみに前世は、彼氏ナシ=年齢の、喪女で終った25歳OLだ。
記憶は、『推し』の誕生日に必死に定時退社して、予約していたケーキを受け取り帰る途中までだった。
きわどい話に、レアンドルも悩まし気に額に手を当てる。
「…経験があったら困る。王家に嫁ぐ女は、処女が前提だ」
自国の王家に、他の系列の血を引く子供生まれたらたまったものじゃない。
ただ、歴代の王には未亡人を『愛妾』に迎えた例がいくつもあり、その場合は子が生まれても、『王位継承権』はないと決められている。
マルグリッドは少し想像して、つぶやいた。
「そうなの? つまり、私は、処女じゃなければ断れるの…?」
「マルグリッド…そんなに、私に嫁ぐのは嫌か」
金の瞳に真剣に見つめられ、泣きたい気分になった。
幼い時から、マルグリッドが好きなのは、この瞳だけだった。
レアンドルが自分を好ましく思っている事も、ずっと知っていた。
でも、絶対に結ばれないと分かっていた。
(それにしても…『お妾さん』というのは…)
前世でも歓迎される立場ではなかったが、この世界でも、貴族や裕福な男に『妾』がいることはあるが、おおっぴらには出来ない日陰の存在である。
貴族の娘が初婚で『妾』となることは、まずない。
金で買われたと陰口を叩かれる場合であっても、それは『妻』としてもらわれている。
『妾』を『側妃』として堂々と取れるのは、王様だけである。
レアンドルは立太子式も済んでいて、次の王になることは確定している。
だからこそ『側妃』も許容されたのだろう。
そんな世継ぎの王子様相手に、ワガママだということは分かっているけど……一夫一妻制度と、白いウェディングドレスに対する憧れは、前世から引きずっている。
だがその時、何かがマルグリッドの脳裏に囁いた。
『もし、マルグリッドが断ったら、誰か別の人がレアンドルの『愛妾』になるのよ?』
耐えられる?―――その問いかけに、心の中の白いドレスがどこかへ飛び去った。
(絶対にイヤ!)
マルグリッドとしても、前世喪女としても、何かが吹っ切れた瞬間だった。
「レンは、好きです」
正直な告白に、レアンドルが安堵の息を吐く。
「でも…三番目かぁ…」
そして続けられた言葉に、彼も苦笑いした。
「…まぁそれに関しては謝るが、その辺りの位の方が、自由が効くぞ」
「…そっか。レン」
マルグリッドは立ち上がって、レアンドルの前に行く。
「なんだ」
「側妃は私だけよ」
「それは約束しよう」
立ち上がったレアンドルが、マルグリッドを力強く抱きしめた。
レアンドルの背中に手を回しながら、今だけはこの人は自分のものだと、マルグリッドは束の間の幸福感に身を任せた。
そこからの展開は早かった。
マルグリッドは婚姻外、『愛妾』枠なので、当然結婚式などはない。
母が生きていたら嘆くだろうと思ったが、もはや彼岸の人である。
ちなみに母亡き後も、マルグリッドをかわいがっていた王妃は、何も聞いていなかったらしく
『マルグリッドを愛妾なんて、メリーアン(マルグリッドの母)に申し訳が立たない!』
と嘆き、マルグリッドに謝り倒していたが、最終的には、
『それでも、娘になってくれるのは嬉しいわ…』
と抱きしめて祝福した。
ヴェルデ伯爵は、一般的な貴族として、
『娘が、次の王の『側妃』になるのは、大変名誉なことだ』
という思考と、一人の父親としての、
『娘を『妾』にするのか…』
という苦渋の問題に、『複雑』というタイトルを貼りたい絵のような表情をしていたが、
「お前がそれでいいなら…」
とマルグリッドの意思を尊重した。
ヴェルデ伯爵は、最愛の妻が亡くなる際、『必ずマルグリッドを幸せにする』と彼女に誓っていた。
だから、もし、マルグリッドが少しでも嫌がる素振りを見せていたら、例え王家に逆らった罪で家を潰されるとしても、娘を逃がすつもりだった。
「逃がすってどこへ…」
後年、この時の話を聞いたマルグリッドは、孫を膝に抱き、穏やかな笑みを浮かべる父親に尋ねた。
「そうだな。国内では皆に迷惑をかけるだろうから、伝手を頼って他国だね」
国内随一の頭脳と呼ばれた伯爵には、国外にも研究者仲間がいた。
中には、他国の重鎮もいたので、不可能ではなかっただろう。
笑い話として、この会話をマルグリッドから聞かされたレアンドルは、その夜、妻の寝顔を見ながらしみじみと
「助かった…」
と重いため息を吐いたのだった。
…ヴェルデ伯爵は、砂色の髪と新緑の目をしたイケオジで、頭脳系チート。
…前世の淡い記憶で、次々想定外の質問を繰り返す娘へ、理解できない時も思慮深く答えることができたおかげで、マルグリットは自分がおかしいと思わずに、のびのび育ちました。
…奥方を亡くした後の伯爵は、国内の非公式『結婚したい殿方ランキング』の5位以内に常に入ってます。