15.王子様の義務
レアンドルは、初めてマルグリッドと会った時を覚えていない。
気が付いたら側にいた、という位自然だった。
マルグリッドの母は、まだレアンドルの母が王太子妃であった頃から、友人として度々王宮に招かれていた。
子が生まれたら、その子を連れて。
まだよちよち歩きだったマルグリッドを見て、『こんなにかわいい存在があるなんて…!』と思ったのは覚えている。
ただマルグリッドは、かわいいだけの子供ではなかった。
花や植物を見ては、
「ちがうような…でもおなじような…あとでおとうさまに…」
とブツブツつぶやいたり、王太子妃の侍女の一人を遠くから指差して
「なんかねー目つきが、へん?なの。あーゆーのね、たくさんしってるけど、たいしょーが、子どものデンカなのが、もんだいだとおもうのー…」
たどたどしい言葉をつぶやいて、レアンドルにあまり近づかないようにと忠告した。
よく分からなかったが、マルグリッドの顔を立てるように避けていたら、その侍女は程なく、王子の衣服を…ぶっちゃけ下着を盗んだ罪で城から追放された。
侍女達の彼女についてのヤバい噂話を、偶然聞いたレアンドルは、自分が結構危なかった事を知ってぞっとした。
悪夢にうなされる夜が続いた後、訪ねて来たマルグリッドを思わず抱きしめると
「どーしたの?デンカには、マルグリッドがついてるから、だいじょうぶよ!」
と背中をぽんぽんされた。
レアンドルの中で全ての不安が吹き飛び、代わりにマルグリッドへのいとおしさで満たされた。
「かわりにマルグリッドは僕が守るからね…」
「うん!」
年齢によっては問題になっていたかもしれないが、5つと3つのほどんど幼児である。
周囲はその光景のかわいらしさに、素直に身悶えした。
親の影響か、賢さも目を見張るものがあったマルグリッドだが、時折、大人や教師に『何気ない質問』をしては、目を見張られたり褒められたりしては、「やっちゃった…」と頭を抱えていたのを、レアンドルが慰めたりしていた。
算術でつまづいていたレアンドルに、クッキーを並べたり、箱に入れたりして考え方を理解させたのもマルグリッドだった。
「ほんとはククをおしえたいんだけど…さすがにダメだよね…」
伯爵家の秘伝でもあるのか、苦悩している様子も愛らしいものだったが。
レアンドルの勉強をみていた侯爵家の次男(現宰相)は、自分の持参した本を夢中になって読んでいるマルグリッドを見て、「惜しいですね…」とため息をついた。
当時は、マルグリッドが男性なら学者になれたのに…という意味だと思っていたが、やがてそれは彼女の身分的なことを指していたのだと、レアンドルは知る。
その頃にはもう、マルグリッドの普通な所も、普通じゃない所も全て含めて、愛していたが。
10を過ぎたあたりから、側近候補の同年代男子や、高位貴族の令嬢達とも引き合わされたが、レアンドルの気持ちは全くブレなかった。
『マルグリッドよりかわいい子も、愛しい存在もない』
だが、大人になるにつれ、その想いが許されないものだということも知った。
帝王学の教師は、レアンドルにきっぱりと断言した。
『国の根幹たる身分の序列を守るのは、王族の務めでございます』
王子という身分に相応しい花嫁を娶るのは、レアンドルの義務だった。
『幸い殿下には、公爵家に同じ年頃の令嬢がおられます』
『もしくは、他国から姫君をお迎えになることも、あるかもしれません』
教師は、身分も歳も合う令嬢が、複数人国内にいるレアンドルを幸運だと思い、レアンドルも当然それを喜んでいると思っていた。
だがレアンドルは、公爵家や侯爵家に令嬢がいなければ、歳が合わなければ、伯爵家のマルグリッドを娶ることが出来たのではないかと、密かに落胆した。
14の時には、正式に3人の婚約者候補が彼の前に並べられた。
「デュフォー公爵令嬢、アントワーヌと申します」
「エリザ・ガロワ、ガロワ公爵家の長女にございます」
「ルグラン侯家から、クリスティンが参りました」
それぞれ大変美しく、また賢い令嬢達だった。
何の瑕疵もないのを、残念に思ったことは誰にも言えなかったが、敏い彼女たちの内、まずアントワーヌがレアンドルの気持ちを感じ取り、動いた。
婚約者候補として紹介されてから、一年が過ぎた頃だった。
定期的に行われた、婚約者候補を一人一人招いた席で、アントワーヌはおもむろに切り出した。
「殿下。私、先日、ヴェルデ伯爵令嬢を、家にお招きしましたのよ」
顔色を変えずに済んだのは、ひとえに厳しい帝王学教育の成果だった。
「さすがに『知のヴェルデ家』。ご令嬢も博識で、お話しても大変面白く、それでいてかわいい御方で…私達、お友達になりましたの」
「そうか…」
「えぇ、今度はエリザ様やクリスティン様も招いて、一緒にお茶会をしようかと」
伯爵家では、公爵、侯爵家には逆らえない。
マルグリッドには断るすべがない。
アントワーヌは微笑み、優雅に持ち上げたティーカップ越しに、レアンドルを見つめた。
彼女の美しい蒼い目を見て、レアンドルは率直に言った。
「デュフォー公爵令嬢」
「はい」
「ヴェルデ伯爵令嬢は、幼き頃よりの私の友人だ」
「えぇ…知っておりますわ」
「君が彼女に対して、何らかの手を加えるというなら、私もそれなりに対応させてもらう」
しばしの沈黙が流れ、アントワーヌが口の端を上げた。
「まぁ、怖い」
ふふふっと笑う彼女が、怖がってないことは明白だった。
「貴女が、候補にも上がらない令嬢を気にする事はない」
レアンドルは、自分の結婚にマルグリッドが関わることはないと、はっきり告げた。
「…本当ですか?」
「本当だ。私にも王子としての自覚はある」
アントワーヌは紅茶を一口飲んで、ティーカップをテーブルに戻した。
そして、聞こえるか聞こえないかの声音で
「…つまらない男ね」
とつぶやき、席を後にした。
ひと月の後、マルグリッド本人から、婚約者候補の3人と友達になったと聞いた。
「とても素敵な方々です! レンは誰を選んでも幸せになれるわ!」
満面の笑みと共に告げられた言葉は、言われた方も、また言った方も傷ついていたが、表面上は、仲の良い幼馴染たちの微笑ましい語らいだった。
それからも、婚約者候補達との定期的な茶会は続けられたが、アントワーヌの話題はマルグリッドの事ばかりで、その仲の良い様子にレアンドルは嫉妬すらした。
やがて、隣国から縁談が持ちかけられ、王は最終的にレアンドルに判断をゆだねた。
内外のバランスから考えて一番ふさわしいアントワーヌは、レアンドルの中ですでに『ありえない』相手だし、他の2人は甲乙付け難かった。
どうせ一番好きな相手とは結ばれない――ならば、少しでも国に取って有益な相手の手を取ろうと思った。
レアンドルは
「国の為になる事でしたら、喜んでお受けします」
と隣国の姫との結婚を承諾した。
…アントワーヌ様は、マジにマルグリッドが気に入ってました。
…王子が最後まで煮え切らなかったら、別の国にマルグリッドを連れて行ってしまおうとか、危ない事をマジに考えてました。
(彼女はその計画立案の過程で知り合った、フィカスの公爵令息と結婚することになりした)




