92.温室2
「なるほど、な」
そうか。ソイはそんな風に思っていたか。
聞くところによれば、彼女は魔道具商家のお嬢様。
お屋敷暮らしからダンジョン暮らしへ。
いろいろと不満があるに違いない。
とはいえラビブリンたちの食堂の設置は必須事項だ。
ダンジョンの構築方針と運営方針、双方の観点から考えても重要な施設となる。
俺の構築は農園をイメージして作り上げている。
しかし、うちのラビブリンたちは残念ながら農耕以外の行動は文化的とは言い難い。
だが、それではいけない。
俺は農園で、その住人たるラビブリンは蛮族ではなく農民でなければならない。
たとえ直接冒険者の相手をするわけでない裏方のモンスターだとしてもだ。
テイムされたゴブリンはヒューマの文化に馴染むとテイマー指南書には書いてあった。
であるならば、ヒューマ文化を取り込めば彼女らもヒューマらしい振る舞いや思考を身に着けることができるだろう。
その導入たるが食堂だ。
必要性を改めて教える必要のない食事という行為から文化レベルの上昇を図る。
その役目は元ヒューマであるソイにしかできないと説明したはずであったが。
いや、だからこそ彼女は怒っているのだ。
ソイはヒューマの中でも富裕層に当たる家庭から文化レベルの低い集団、それも他種族どころかモンスターたちの巣穴に生活拠点を移しているのだ。
その上、やりたくもない仕事を押し付けられる、と。
どう考えても、こちらの都合ばかり押し付けていた俺が悪い。
彼女はリマロンやピエターとは違い、自身の意志に関係なく俺に取り込まれた存在。
覚悟も使命感もなくて当然なのだ。
無言で考えに耽る俺を前に静寂に耐えかねてかソイが口を開く。
「な、なによ。そんなに言うことを聞かせたかったら、め、命令すればいいじゃない」
「命令はしない。俺はお前との良好な関係を望んでいる」
「なによ! それならこっち要望を飲みなさいよ」
「そうだな。そうしよう」
「そうよ。 ……え? 急に素直ですわ。 ワタクシに文句を言いに来たんじゃありませんの?」
この部屋をどうしたい?
俺はソイに尋ねた。
部屋をそのまま渡したの不躾だった。
ラボを渡すと約束した。
であればそれに適した空間を用意するのが道理だろう。
今の俺にとって壁や天井を自在に作り変えることは造作もないことだ。
彼女は温室がいいと言った。
部屋があっても器材がない。
ならば、半端にヒューマのラボを目指してもしょうがない。
植物モンスターを使った生体実験装置を置いた温室兼研究室を作りたいのだと言う。
研究のことはよくわからない。
研究器材の代替となるようにモンスターを変異させるなんてどうすればよいかもわからない。
しかし、現にこの部屋にはヒューマが扱うのに丁度いいサイズが整えられたネペンテスが火彩岩の花壇に植わっている。
ソイが語るのは夢物語などでなく、実現性のある計画だった。
そしてそれは、俺にとっても非常に有益に思えた。
【青空】を払い【天井】を設け【壁】を整える。
その壁の景色は一見する他の部屋と大差ないように農園の様子が広がっている。
しかし所々に骨組みがあり、角度によってはきらりと光を反射する。
見えない壁ではなくガラス張りのような透明な壁。
上を見上げるとガラス張りの屋根の上に偽りの太陽が覗いている。
しかし、他の部屋で感じられる暖か日差しは感じられない。
日差しも【青空】の効果なのだから当然だ。
しかしそれ以外は【天井】で動く背景と迷宮スキルの【青空】を判別する手段はない。
こんな面倒をしているのは、怒っていたときの彼女の発言の中に環境の変化というワードがあったからだ。
【青空】はいろんな現象を起こす。
風はをイレギュラーを運び、太陽は昼夜の差を顕著にする。
実験を行うにはこれらは不都合なのだろう。
床はソイの指示によって石畳と地面が混在している。
隣の部屋に避難させていた花壇を元に戻せば、そこは完全に温室となった。
どうせなら食堂もこんな雰囲気がいい。
彼女に任せていた6部屋のうち5部屋をこの景観へ変更した。
ちなみに変化させなかった一部屋はジョッシュの住居だ。
あそこには壊されてしまった蟻塚の再現がある。
この景観は似合わないだろう。
認識を改める必要がある。
ソイの魔草学の知識は素晴らしい。
いままで運任せだった怖妖土での変異をあるコントロールできる術を彼女は持っている。
いままでほしいと思っていた変異モンスターの能力をデザインするノウハウを持っている!
間違いなくこの温室は要の施設となる。
俺もリマロンもピエターも各々変異実験をしているが、一度彼女から助言を受けるべきだろうな。
そしてこれが専攻ではないというのだから彼女は優秀な学徒だったに違いない。
「おまえの育てたネペンテスを見た。おまえの研究はこのダンジョンにとって有用だ」
「違うわ、あれは研究の前段階。ただの器材調達よ。 魔法薬の研究はこれから」
「しかしその研究をすぐに行うことは許されない」
「なによ。 さっきまで要求を聞くって言ってたじゃない」
「お前が自分の仕事をしてないからだ」
遠慮なく言おう。
よくわからない魔法薬よりも日々みんなが使う食堂の方が明らかに需要が高い。
それに研究だとしても、ソイの言うただの器材調達の方が俺にとって重要な技術に思える。
「それにみんなやりたい事の前にやらなければならない事をしている」
リマロンはダンジョン管理の合間を縫って、マンドラゴラの食べ比べをやっている。
ピエターも林の育成の息抜きにコッコとのふれあいで癒されている。
仕事を完遂し、余った時間と労力で趣味を楽しんでいるのだ。
「魔法薬の研究は趣味じゃないわ!」
「なにせよ食堂を完成させることは必須条件だ。その後も食堂を営業してもらねば困る」
「結局、アナタの都合じゃない」
「その通りだ。もう、説明じゃお前は納得しないのだな」
そうだ、と言わんばかりにソイは睨みつけてくる。
「ならば勝負をしよう。おまえの魔法薬が有益なことが証明できれば、食堂の完成後の運営者は他の者に押し付けていい。 その後は大好きな研究をするといい」
「食堂を作ることは避けられないけど、勝負に勝てば後はほっといていいってこと」
「適切な代役を見つければそうなるな」
「食堂の完成も誰かに頼めないの?」
「いいか、これは譲歩だ。これ以上の我儘は流石に通らないとお前もわかっているだろう」
「きぃぃ」
わずかに考えた後、ソイは答えた。
「いいわ、受けてやろうじゃない。ワタクシのハートに火が付きましたわ。もちろん、材料は提供頂けるのですのよね」
「ああ、必要なモノはすべてこちらで用意しよう」
「見てなさい。 あっと驚く魔法薬を作って見せますわ! 勝負を提案したことを後悔しても遅いですからね」
「期限は3日だ。材料の選定も含めてな」
「短いわね」
「辞退するか」
「冗談。早速用意してほしいものがあるわ。産地も指定させてもらうわよ」
懐からぺらりとなにかのメモを取り出した。
そのソイの瞳には激しい炎が宿っていた。




