第3話:接近
笠崎家の玄関に、叶多と並んで座り込んだ鶴見 舞は、まず紙袋を叶多に渡すと、次のことを話し始めた。
自分は3日前に転校してきたこと、帰路の途中にある叶多の家にプリントを届けにきたこと。
『異世界』については始めに聞いた一言だけで、あまりにも自然に話題が移ったものだから、叶多はそれ以上踏み込めないでいた。
「……転校してきたばっかなのに、プリント預けられたのか。」
「クラスの皆、カササギくんの家知らないって、先生が……。」
「……。」
叶多は、鶴見 舞が苗字を間違えたまま呼び続けていることに、呆れながら納得した。
同級生どころか教師にさえ苗字を正確に把握されていない、というのはなかなか悲しい事実ではあるが。
「じゃあ尚更転校生に預けるとかダメだろ……。」
「あっ、でも、途中までは、隣のクラスの子が着いてきてくれたの!カササギくんの友達だって。確か、由木くん……?」
『由木くん』を思い出したのか、鶴見 舞の表情が緩んだ。
その表情に軽く苛立ちながら、叶多は幼なじみのことを思い出していた。
由木 鷹斗。確かに友人ではあるが、品行方正な彼と傍若無人な叶多は、昔から何かと衝突ばかりしていた。
付き合いが一番長い友人ではあるものの、叶多は由木 鷹斗が苦手だった。
それは、ある種の劣等感からくるものかもしれない。現に、クラスも別々の鶴見 舞と、途中まで一緒に下校しているという事実に、叶多は腹を立てていた。
「カササギくん?」
「……あ、ごめん、何?」
いつの間にか話題が次に移っていたらしい。
鶴見 舞は、見た目よりも少々お喋りな女の子のようだった。
「あ、いえ、その……、最初に言った話、なんだけど。」
途端に、空気が少しピリついた。
鶴見 舞の瞳が、叶多を見定めるように動く。
「『異世界』に行く……ってやつ?」
「うん……。興味、無いかな?」
沈黙が続いた。
何を答えるのが正解か、叶多には検討もつかなかった。
「……なんで?」
「それは……。」
絞り出した疑問に、意外にも鶴見 舞は言葉を詰まらせた。
何を言おうか迷っているようにも、もしくは何か、言葉を選んでいるようにも見える。
なんとも言えない空気を払うように、叶多は途切れがちに言葉を紡いだ。
「……まぁ、確かに行きたいなって気持ちはあるよ。異世界、良いよな。のどかでさ、魔法とか使えて。俺、そういう話好きだからさ。夢物語ってやつ?」
「それが夢じゃなくなるとしたら?」
食い気味に言葉を被せてきた鶴見 舞の表情は、真剣だった。とても冗談を言っているようには見えない。
「……あのさぁ、あんたは俺になんて答えて欲しいの?」
鶴見 舞の意図が読めなくて、叶多は少し声を張り上げ、腰をあげようとする。
その時だった。
鶴見 舞の顔が、瞳が、唇が、いきなり叶多の目の前に迫る。
それは一瞬の出来事だった。
叶多の唇が火傷したかのように熱くなる。
呆然とする叶多からゆっくりと顔を離すと、少し赤くなった唇をぺろりと舐め、鶴見 舞は微笑んだ。
「『現実を捨て去って、異世界に行きたい』。私が聞きたいのは、ただそれだけ。カササギくんがそう言ってくれたら、本当に異世界に行けるの。」
そう言って、彼女はおもむろに取り出した紙切れを、叶多の持つ紙袋に滑らせた。
「明日、学校で返事を聞かせてね。約束。」
スカートを整えながら立ち上がり、笠崎家の扉を開ける。
顔を少し赤らめながらはにかむ彼女には、最初に感じた大人しさなど微塵も残っていない。
豹変した彼女に、叶多が声を出せるはずがなかった。
鶴見 舞の姿が完全に見えなくなるまで、叶多はその場から動けないままでいた。
「……キス魔かよ……。」
ようやくそれだけ呟くと、叶多はその場で横になった。
鶴見 舞が座っていた木目から、微かに彼女の体温と甘い香りを感じる。
鼻腔と股間に熱が集まっていく。
「……叶多、あんた何してんの?」
不意に頭上から投げかけられた声に、熱が一瞬で引いた。
「なんでもねーよ!!クソババア……」
軽く前かがみになりながら、叶多は目の前の女性を睨みつける。
値引きシールがうっすら透けた買い物袋を下げた母親の姿を見て、彼はふてぶてしさを取り戻した。
同時に、叶多の腹の虫が限界を訴えるかのように、情けなく呻き、彼の今日一日の溜息は、遂に大台の2桁に突入したのだった。
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