8.
グロヴァーさんの掛け声と共にレオン殿下は走り出していた。
グロヴァーさんは持っていた懐中時計の針を見ながら1、2、3、4、5、と呟いている。
よく考えたら走ることなんて初めてかもしれない。
城内は基本的には歩かなくてはならなくて、急いでいるときは早歩きが基本だし。
たまにお母さんと城下にお出かけしても、走る場面になったことがない。
グロヴァーさんに指導を受けていたときは走ると言うより、如何に相手の背後に回り込むかを重点的に教わっていて、グロヴァーさんの股下目掛けてスライディングしたり、何故か木登りなんかもした。
ここでは思いっきり走っていいのか…。
そもそも私、走れるのか?
「サクラ、30秒経ったぞ。スタートだ」
「はい」
試合前に余計な事を考えていた。
まずい。
私はただレオン殿下を捕まえるだけ。
引き分けでも負けでもなく、私は確実に勝つ。それだけだ。
ズシャッ
5歩くらい進んだ所で滑ってバランスを崩してしまった。
なるほど、砂利だと少し滑りやすいのか。
次は気をつけて進まなければ。
レオン殿下は滑らずに駆け抜けて行ったので悔しい。
しかももうあんな遠くに居る。
早く追いつかなくては。
気を取り直して…。
次に走り出した瞬間、先程とは違う感覚が体中に伝わった。
何故かは分からないけど、身体が凄く軽い。
面白い程にただ前に進んでいく。
まるで自分が風になったみたいだ。
風に包まれて…心地良い。
「これなら…追いつける」
タッタッタッタッタッタッ
規則正しい足音と共にレオン殿下を追う。
あと30メートル位だろうか?
もう少し近付かなくちゃ。
タッタッタッタッタッタッタッタッ
あと20メートル…
多分私の方が早い。
追いつける。
そう確信した瞬間だった。
視界が少しグレーがかった色に変わったかと思うと急にレオン殿下の動きがスローに見えた。
「なに…これ…?」
自分の動きは先程までと何も変わらないのにレオン殿下の動きだけがゆっくりに見えるのだ。
不思議とレオン殿下が次、どちらに曲がるのかも分かる。
タッタッタッタッタッタッタッタッ
あと10メートル…
レオン殿下は次、右に方向を変えるはず…。
仕留めるなら今だ。
ドシャァァァァァ
気が付いたらレオン殿下を下敷きにしてスライディングしていた。
どうやら捕まえるのに夢中になるあまり背中に向かってタックルをかましてしまったようだ。
で、そのまま倒れ込んでレオン殿下をソリのように扱ってしまったという訳か。
うん、非常にまずい。
罵ることは許されてても傷を付けるのは許しを貰ってない。
不敬罪で私死ぬかな…。
「…お前…いつまで私に乗っているんだ…!!さっさと降りろ」
とても機嫌が悪そうですね…。
でもすみません、何故か今動けません。
「おーりーろー!!」
「む…む…無理…です…」
「はぁ!?」
すると遠くからガハハハと豪快な笑い声が聞こえて来た。
どうやらグロヴァーさんが歩きながらこちらに向かって来ているようだ。
グロヴァーさんが到着しても尚、レオン殿下を下敷きにしている私を見てさらに笑っていた。
「ガハハハ。こりゃ面白い。サクラぁ、遠目から見ても素晴らしいタックルだったぞ!!ガハハハ」
本当グロヴァーさん、笑い事じゃない。
私処刑されるかもしれないし、何故か今力が入らなくて起き上がれないし…。
「グロヴァー…こいつをどうにかしてくれ…」
私の下ではレオン殿下が少し苦しそうだ。
この際私の事は落として起き上がれば良いのに。
「あぁ、そうだな。よっこいしょっと」
そう言うとグロヴァーさんが私を抱き上げてくれた。
「あ…りが…と…ござい…ます…」
ふらつく私を支えながらグロヴァーさんはレオン殿下に手を差し出すと、腕の力だけでレオン殿下を起き上がらせた。
「一体…お前はどう言うつもりだ!!
タックルして私を踏み潰すとは!!」
「すみ…ません…今、ほん…とに…無理」
「はぁ?」
レオン殿下凄く怒ってるよ…私やっぱ死刑かな…。
でも今本当に喋れない。
「まぁまぁ、レオン殿下、少し待ってやってください。少し落ち着いたらサクラの話を聞きましょうよ」
そう言ってレオン殿下を宥めると、グロヴァーさんは私をお姫様抱っこしてオニゴッコのスタート地点に向かって歩きだした。
歩いている途中グロヴァーさんが衝撃の一言を放った。
「サクラ、オニゴッコはタックルで捕まえなくても身体の何処かにタッチするだけで良いんだぞ」
それ、早く言ってください。