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海に消えた  作者: 狗山黒
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「ようやくこの日が来ましたな」

 神教司皇の叙任式が終わった後、王宮の教会の一室に三人の男が集まっていた。老年の男が二人、壮年の男が一人。明るいとはいえない一室で、酒を飲んでいる。

「ここにくるまで長くかかりましたな」

老年の男が二人、揃って笑う。壮年の男は、酒を一口飲んだ。

 彼が双子の赤子を拾ったのは、八年前。まだ神弟だった時分だ。海に流れ着いた籠には、安らかに眠る男女の赤子が入っていた。男の子の方は羊の角が生え、女の子の方は花の冠をかぶっていた。双子を見たとき、先日下されたという神託を思い出した。

「男女の双子が、二十歳になる晩両親を殺す」

神託が下されてから、国中の男女の双子が迫害を受けた。巫女はどの双子か特定できるような情報を公開しなかった。そのため、国中で差別が起きていた。ときどき、神託による差別は起きたが、神教司皇や神仕の対応は様々で、なんらかの罰を与える者もいれば放置する者もいた。この代の神教司皇は、放置していた。神託を下した巫女は、神教司皇と懇意にしていた。

 彼は双子を孤児院には預けず、自宅で育てた。差別の対象にならないように、自宅で大切に隠して育てた。以前は勤める教会に住んでいたが、双子を拾ってから引っ越した。同僚にも隠したかったからだ。家は海の近くで、白い小花の咲く庭があった。白い壁に、青い屋根のこぢんまりとした家だ。

 双子の女の子の方は、ある日突然一月近く眠ることがあった。彼が医師に話を聞けば、眠りの森の美女症候群という病らしく、治す手立てはないとのことだった。厄介な子を拾ったと思ったが、特に彼は困らなかった。しかし、その長い眠りから覚めた女の子は必ず、夢の話をした。それも、妙に現実的な。

 双子が三歳のとき、灯台のある教会に嵐がくる夢と見た、と女の子は話した。灯台のある教会は、一つしかない。彼の勤める海針の教会だけだった。

 女の子のいう通り、嵐が教会を襲った。波は大きく、風は荒々しい。教会の扉が風に叩かれ、壁はさらに浸食されていった。小花は散り、教会は崩壊間近だった。

 それからも女の子が夢で見たと話すことは、全て現実になった。神殿にいる巫女の中には、神託を夢の形で受ける者もいる。女の子が見ているのは予知夢、神託を受けているに違いない。女の子を神殿にいれなければならない、それも王都の神殿にいれる必要があると彼は確信した。

 しかし、彼女の予知の力を自分以外に使わせるのは癪だった。彼が見つけ、彼が育てた女の子だ。この子の予知夢は確実に的中する予知だ。それを知れば、今まで男女の双子を迫害していた連中は、掌を反すだろう。彼には、それが許せなかった。

 王都の神殿に巫女を入れるには、王都で聖職者として働くしかない。ただの下っ端ではだめだ、より高い地位で人事に口を出せる地位でなくてはならない。その上で、予知の恩恵を自分だけで受けようとしたら、目指す地位は決まっていた。神官長にならなくては。

 神官長になるには、今の神官長を引きずりおろす必要がある。彼は、計略は得意な性質だった。だが、自らの手を汚さず、尚且つ神弟として働きながら王都で策を弄さねばならない。彼にまず必要なのは人脈だった。

 心当たりはあった。彼の叔父は外国で魔法使いをしている。その魔法使いは無類の魚好きで、魚を送れば大抵の頼みは聞いてくれる。海針の教会のあるマリオン大地区は、漁業が盛んだから魚には困らない。悪魔でも召喚してもらい、汚れ仕事はそいつに任せよう。彼は叔父に手紙を書いた。

 王都で動いてもらえそうな人物については、二人知っていた。野心家の兄弟で、どちらも国の頂点に君臨している者である。こちらにも、彼は手紙を書いた。

 叔父からの返事は、二週間しないうちに届いた。同封された紙は、広げると床一面ほど大きく、魔法陣が書かれていた。手紙には、呪文を読めば悪魔が召喚される、とあった。魔力の有無は関係なく、召喚できるとも。

 王都の二人からも返事があったが、こちらは一月以上かかった。兄の方には直接会いに来る、弟の方は兄の判断を聞いてから、と書いてあった。

 兄の方が訪れる前日、彼は双子が寝静まってから悪魔を呼び出した。召喚は上手くいき、男の姿をした悪魔が現れた。彼が取引を求めれば、悪魔はすんなりと応じた。悪魔は、対価すら無用だという。理由は、たった一つ。楽しそうだから。

 兄、聖ツヴィンゲル神髄卿は条件を一つ出して、取引に応じた。予知夢による恩恵を自分にも受けさせること、それが条件だった。彼はその条件を呑んだ、神髄卿は男女の双子への迫害を批判していたから。

 弟、ソーニャ首相の方も兄と同じ条件で取引に応じた。これで彼の、神教司皇になる道も神官長になる道も開けた。あとは、今の神教司皇を席から下ろすだけだ。

蹴落とす方法は決めてあった。神教司皇を恋に落とす、たったそれだけ。

 彼は、神教司皇には一度しか会ったことがない。彼女がロワール大地区の大神仕だったとき、海針の教会が視察に選ばれた。そのとき、少し口を利いたきりで、神教司皇がどんな人間かまでは彼には分からない。だが、聖ツヴィンゲル神髄卿に尋ねれば、神教司皇のことをよく知っていた。助弟の頃から知り合いで、掌の上でよく転がる女だと、神髄卿は嘲る。依存傾向が強く、神への信仰心の厚さもそこからくる。では、依存心の矛先を変えれば、一体どうなるのか。

 そこから先は順調だった。悪魔を人間に化けさせ、神教司皇に近付けた。ある程度は悪魔に任せたが、問題なく進んでいると月に一度の報告にもあった。神教司皇は、悪魔を盲目的に愛し始めていた。

 神教司皇が寄付金の横領を始めても、民衆には隠すように聖ツヴィンゲル神髄卿に頼んだ。横領が暴露すれば、神教司皇は国民から非難されるだろう。だが、今は神教司皇の耳に国民の批判を入れたくない。仕事は快調だと思わせ、安心して恋に夢中になっていてもらいたい。

聖ツヴィンゲル神髄卿は、ロワール大地区の大神仕出身であり、首相の弟がいるから、方々に顔が利く。横領を隠す程度は、赤子の手をひねるより容易いことだった。神教司皇も彼の助言は聞く。神教司皇の恋人が襲われ始めたとき、神教司皇の発言が批判され始めたとき、庶民を処罰させよと助言し実行させた。よく踊る女だ、神髄卿は笑った。

 国民の怒りを高めると同時に、彼は奇跡を起こして周った。もちろん、女の子の予知夢を使って。彼は神仕になり、首相の縁故で神官として採用もされた。

 頃合いを見計らって寄付金の横領を暴露すれば、いよいよ民衆の怒りは頂点に達し、各地で暴動が起き始めた。庶民の批判が高まれば高まるだけ、神教司皇は悪魔と共に身を隠すようになった。

 神を否定した身体を取り返した彼女は、次に何をするか。彼には想像がついていた。最愛の人と同じ部屋で、同じベッドで寝ていると聞いている。神教司皇の次の行動は、分かっていた。彼は聖ツヴィンゲル神髄卿に連絡をとり、神髄卿は自分の手駒に見張りをさせた。一晩くらいはよい思いをさせてやろう、その翌日幸せの絶頂にいるところを逮捕する。彼も神髄卿も、そう考えていた。

 神に身も心も捧げた神教司皇の性行為は、教会内での処罰の対象になる。しかし刑罰にまでは至らないので、本来なら逮捕は不当である。ただ単に、彼女と地獄の落差を広げて愉しみたいだけであった。

 彼女が死刑になるのは、自明の理であった。横領や不当な処罰も勿論だが、何より神教司皇の地位において神を否定したことが大きかった。彼女の首が撥ねられる当日、彼と野心家の兄弟は並んでその様を眺めていた。

 彼女が死んでからはとんとん拍子にことが進んだ。彼は各地で奇跡を起こして周り、外堀を埋めていく。聖ツヴィンゲル神髄卿と首相は、彼が然るべきときに神教司皇になれるよう手を打った。そうして、遂に彼は今日神教司皇の任を授かった。

 彼は大神仕の階級をとばし、三十代前半という異例の若さで神教司皇の席に着いたが、反対する者はいなかった。起こした奇跡の数が、史上最も多かったのだから。

 男女の双子が両親を殺す、という予言は撤回し、自分の子である双子は王都の神殿に入れた。まだ十に満たない子どもであるが、どちらも十分な教育を受け女の子は巫女として、男の子は神殿付きの騎士として、役に立ってくれるだろう。

 彼、フレデリック・サリバンの天名アズニールは、静寂と海の天使の名である。その名の通り、彼は海のように優しく穏やかで、口数の少ない男だった。そしてその心の深きところは、深海のように暗く冷たく静かだ。海の深層を誰も理解できないように、彼の真相を理解できる者はいない。末恐ろしい男だ、と神髄卿は思う。同時に、自分に似ているとも。神髄卿の心の真相も、誰にも理解できない。

 蝋燭の火が揺れ、溶けた氷が音を鳴らす。

 アズニールが口を開いた。

「これからもよろしく頼みますね」

 三人の男が、同じ笑みを浮かべる。穏やかな毒を含んだ微笑み。似ていて当然だ。彼らには血の繋がりがあるのだから。

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