青年は逃げた令嬢だけを愛している
短編「逃げた令嬢は愛する自由を手に入れる」婚約者視点の続編。
ざまあではないかもしれません。
「自業自得じゃない」
ぐさり。
「あんたもヴァーミリオン家も。ああ、でもあんたの場合は仕方ないのかもしれないわね。でもね、ずっと言葉にしてこなかったのだからやっぱり自業自得だわ」
ぐさりぐさり。
「わたくしから見ても、あんたとラリマーは想い合っている様に見えたわよ? 事情を知らない第三者が勘違いしても可笑しくないわよ。うん。自業自得しか浮かばない」
「……何度も言わなくていい」
先程から、自業自得自業自得と繰り返す女性にアシェリートはグサグサと言葉の刃を食らって瀕死の状態と化していた。本物の刃なら、今頃アシェリートの全身は血に塗れ出血多量で死亡している。容赦なくアシェリートに言葉の刃を振り翳す女性は、オルグレン公爵家の長女ローズオーラ=オルグレン。濃い桃色の髪をハーフアップに結い上げた紫水晶の瞳の女性。アシェリートの2歳歳上の姉である。
腰に両手を置いて、ここ1週間死にそうな顔をして1日を過ごしている弟に喝を入れてやろうと部屋を訪れた。弟はベッドに腰掛け、くるくるくるくると薔薇を回していた。薔薇――特に赤い薔薇――は、あの緋色の少女が一番好きな花。
ローズオーラはアシェリートの隣に座った。
「ねえ」
「……」
「いいの? このままで?」
「……今更、どうしようもない」
「あっそ。でも、わたくし、ちょっと怒っているのよ?」
「何が」
「どっかの誰かさんが7歳の時、凄まじい我儘を言ったせいですごく苦労したもの」
「……」
「女と言えど、スカーレットは跡継ぎ。そして、跡継ぎとしての教育を受けていたの。あんたもそうよ。なのに、初めて会ったスカーレットを好きになってスカーレットと婚約を結びたいと駄々を捏ねたあんたに折れて、お母様とお父様は頑張ってスカーレットと婚約を結んだのよ。跡継ぎ同士の婚約なんて聞いたことないわよ。まあ、ヴァーミリオン家の子供は双子の姉妹だから、家は妹の方が婿を取って継ぐのでしょうけど」
「はっ……今じゃ、その妹と婚約を結ばれそうになってるとは」
自嘲気味に呟いたアシェリートに「自業自得よ」ともう一度お見舞いしてやろうかとローズオーラは考えるが、きっと「そうだな」と力無く頷くのが分かるので言うのを止めた。スカーレットがいなくなって限界値を超えたダメージを食らったのはヴァーミリオン伯爵夫妻だろうが、弟も弟で大きなダメージを食らっている。あの妹は……よく分からない。姉妹仲が悪かったのかと聞かれれば、そうには見えなかった。ローズオーラの目にはそう映った。スカーレット自身が、ラリマー自身が、互いをどう思っていたかなんてもう知れない。
くるくるくるくる。
薔薇を回すアシェリートの頬をむにっと掴んだ。男の癖にして綺麗な肌に嫉妬する。
「アシェリート」
「……」
「スカーレットがいなくなって1週間。まだ1週間だけど、この先どうするかちゃんと考えてる?」
「……何も」
「はあ。そんなんだから勘違いされるのよ。言えば良かったじゃない。ラリマーに対するアレは全部、スカーレットを守る為だって。ヴァーミリオン伯爵夫妻は、わたくしの予想だけど、多分姉妹を愛していたとは思うわ」
「俺もそう思う。……ただ、スカーレットとラリマーじゃ愛情の表現が違い過ぎたんだ」
「そうね。それに気付いていないのがらしいと言えばらしいけど。やれやれ、夫妻には同情の余地がないけどあんたに対してはひよこ豆程度にはあるわ」
「殆どないじゃないか」
「当たり前よ」
「……」
ピシャリと言い切られてしまえばそれ以上は言えない。
アシェリートは薔薇を見下ろした。
7歳の頃出会い、鮮やかで笑顔が咲けば大輪の薔薇を連想させた少女に一目惚れした。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
――そもそも、スカーレットとアシェリートが出会ったの11年前、オルグレン公爵家で開催されたお茶会の場である。
開催者側であるアシェリートとローズオーラは、母であるシュガーと共に招待客達を出迎えていた。当時のアシェリートは7歳、ローズオーラは9歳。公爵家に生まれた子供として物心つく前から貴族の教育を受けている二人のマナーは完璧だった。同年代の子供よりも非の打ち所が無い礼儀の良さに招待客の評判も好評。夫人の鼻も高い。今回招待したのは、アシェリートとローズオーラと同年代の令嬢や令息がいる家ばかり。爵位も、オルグレン公爵家と縁がある家や夫人自身と交流のある家が呼ばれているので疎である。同じ公爵家もいれば、男爵もいる。
ローズオーラと同い年の令嬢がいる侯爵家との挨拶も終わり。次に招待した客人の対応をする。
「ようこそお越し下さいました。アレイト様」
「シュガー様。此度は、素敵なお茶会にご招待頂きありがとうございます。さあ、貴女達ご挨拶を」
青緑の髪に空色の瞳をした夫人に促され、後ろに控えていた姉妹がそっと前へ出た。
「……!」
姉妹の内、見事な緋色の髪と瞳の少女を目にした瞬間アシェリートは息を呑んだ。母親に促され、緋色の少女が頭を下げた。
緊張しているからか、挨拶を終え顔を上げたスカーレットは笑顔だが表情も声も固い。スカーレットがカーテシーを披露した次に伯爵夫人と同じ色を持つ少女も挨拶をするも、スカーレットに目が釘付けなアシェリートの視界には映らなかった。ローズオーラが招待側として挨拶をした次にアシェリートも続くのだが、スカーレットを見たまま固まっている。
「!?」
アシェリートの体にビリッと静電気が流れた。何事かと隣を見ると素知らぬ顔をしたローズオーラがこっそりと右の掌を出した。
“見惚れてないでちゃんとしな”
ローズオーラに目を向けたら、射殺せんばかりの眼光を向けられた。よく見るとシュガーからも同じ眼光を向けられている。だらだらと冷や汗を流し、怪訝な眼で自分を見つめるスカーレットに格好悪い所を見られたくないと気を取り直す。
「ようこそお越しくださいました。アレイト様、スカーレット様、……ラリマー様。オルグレン公爵家長男、アシェリート=オルグレンです」
スカーレットの名前は一番に覚えた。次に夫人。ただ、スカーレットを見た瞬間から彼女に釘付けなアシェリートがもう一人の娘の名前を聞いていないと予測していたローズオーラがまたこっそりと右の掌を見せた。
“ラリマー”
スカーレットの次に名前を呼んだラリマーの間があったのはその為。3人がお茶会の場へ入って行くとローズオーラは「ばーか」と弟を罵った。
招待客も全員集まり、お茶会は始まった――。
「何処にいるんだろう……」
開催の挨拶も終え、皆顔見知りや初めての相手と交流を深める中、開催主の息子アシェリートはある少女を探していた。緋色の目立つ髪をした少女スカーレットは、邸内を出て庭にある大きな木の下でぼんやりとしていた。走り出したい気持ちをぐっと堪え、歩いてスカーレットの傍まで行った。
「ねえ」
「!」
急に声を掛けられ、驚いて肩を震わせたスカーレットに突然過ぎたなとアシェリートは内心落ち込んだ。それを顔には出さず、驚かせたことを謝り話を続けた。
「1人でいるのはどうして? 具合が悪いの?」
「い、いえ……お茶会に参加したことがあまりなくて、緊張してしまって何を話したらいいのか分からなくてここに」
「そっか。ねえ、僕もここにいていい?」
「え、ど、どうなのでしょう」
「君が良いならここにいる。どうせ、挨拶も終えてるし。終わるまでは自由行動だから、ある程度の勝手は許されるんだ」
「そう……なのですか?」
「そうだよ。ね? 僕もいていいよね?」
「は、はい」
何度も念を押すせいでスカーレットが困惑している。とは気付かないアシェリートはスカーレットの隣に立った。
「ねえ」
「はい」
「スカーレットって呼んでもいい?」
「はい。私もアシェリート様とお呼びしても良いでしょうか?」
「いいよ。スカーレットは、普段は何をしているの?」
「ヴァーミリオン伯爵家を継ぐ為に日々勉強をしております。我が家の子供は、私と双子の妹ラリマーだけなので、長女の私が伯爵家を継ぐこととなっています」
「そっか。オルグレン公爵家も最初は姉上が婿を取って継ぐ筈だったのが、僕が生まれて次期当主候補から外されたんだ」
「貴族の家は男性が継ぐのが基本ですから」
「そうだね。でも、まだ歳が2つしか離れてなかったから姉上も反発は無かったのかも。だからかな、姉弟仲も悪くないと思う」
「家族の仲が良いのは幸せなことだと思います」
そう口にするスカーレットの表情が些か暗い。聞いて良いのか、いけないのか。姉ローズオーラがいれば、聞こうとした瞬間アシェリートの足を踏んづけるのだが生憎と今はいない。しかし、聞いてはいけないとアシェリートの何かが警鐘を鳴らす。喉まで出かかった言葉を呑みこみ、そうだねと相槌を打った。ふと、会場から公爵家のメイドがトレイに飲み物を乗せて2人の側へ来た。
「ローズオーラ様がお2人に飲み物をと」
会場の方へ目を向けるとローズオーラが庭の方へ顔を向けていて、片目をウインクしてみせた。誰よりも弟を近くで見続けている姉だからこそ、弟が緋色の少女に一目惚れしたと解った。メイドから飲み物を受け取り、はい、とスカーレットに1つを渡した。
「ありがとうございます」
スカーレットは受け取った飲み物に口をつけた。アシェリートも。冷たくてさっぱりとした味が2人の喉を潤す。グラスを控えていたメイドに返し、木に凭れかかったアシェリートはおいでおいでとスカーレットを手招きした。何だろうと近付いたスカーレットに左掌を見せた。目に見える濃度まで凝縮した魔力が花の形となってアシェリートの左掌で形成された。赤い瞳をキラキラと輝かせるスカーレットを更に驚かせてやろうと魔力に自身の属性を付加した。魔力で形成された花は氷と化し、一つの形となってアシェリートの左掌に落ちた。
「すごいですわアシェリート様! とても綺麗です!」
「なら、スカーレットにあげるよ」
「良いのですか?」
「いいよ。あげる」
「ありがとうございます!」
アシェリートから氷の花を受け取ったスカーレットは大事そうに両手で包み込む。
この国の王族や貴族は魔力を持つ。王族や高い爵位の貴族の者ほど強い魔力を持って生まれる。王家と遠縁でもあるオルグレン公爵家に生まれたアシェリートも強い魔力の持ち主で属性は氷。姉のローズオーラも強い魔力を持ち、属性は水と土。複数属性は珍しく、組合せによっては新しい魔法を生み出すことも可能。但し、昔ローズオーラが水属性の持ち主だと判明された時、見た目と合ってないと笑ったアシェリートは問答無用で半殺しにされた過去がある。
感動した様子で氷の花を見つめるスカーレットに属性を尋ねた。
「私は炎と光属性です」
驚いたことにスカーレットもローズオーラと同じ複数属性の持ち主だった。だが、炎のように燃える赤い髪と瞳を持ち、更に笑顔を浮かべるだけで人の心を温めるスカーレットには炎と光属性は似合っていた。「スカーレットにぴったりだね」と微笑む。
このまま2人だけで何時までも話し続けていたい。しかし、そう願ったアシェリートの願いは届かなかった。姉を探しに妹のラリマーが庭の木の下にいる2人の所へ来てしまった。ドレスの裾を持って小走りでやって来た妹にスカーレットは「走ってはいけません」と注意をし、2人っきりを邪魔されたアシェリートは顔には出さないが内心「邪魔者が来た」と機嫌が降下していく。姉の姿がなくて心配して探していただけのラリマーにしたら、折角見つけた姉に注意される意味が理解出来なかった。
「どうしてその様な酷いことを言うの? 私はお姉様が心配で探していたのに」
「ラリマー。ここはヴァーミリオン家ではありません。貴族の令嬢が無闇に走ってはいけません。家庭教師の先生に教わったでしょう?」
「お姉様を心配しただけなのにっ!」
「ラリマーっ」
当たり前の注意をしているだけなのに大袈裟に受け取るラリマーに第三者の立ち位置にいるアシェリートの頭が痛くなる。片割れであるスカーレットはもっと痛い。現に空色の瞳に涙を溜める妹に戸惑いの目を向ける。「ラリマー」と泣き出す寸前のラリマーの名を紡いだスカーレット。同時に会場からアレイトが心配した面持ちで駆け寄って来た。母親の登場にスカーレットの表情が数段固くなったのをアシェリートは見逃さなかった。
何故?――その疑問は直ぐに知れた。
駆け寄ったアレイトにとうとう泣き出したラリマーは抱き付いた。大声を上げて泣くラリマーや対峙していたスカーレット達に嫌でも視線が集まってしまう。元から庭にいた人や声を聞き付けて会場にいた人からの好奇を。
泣いているラリマーを抱き締め、アレイトはスカーレットに鋭い視線をやった。
「スカーレット。これはどういうことです? 何故ラリマーがこんなにも泣いているのです?」
「それは、ラリマーが走ったからです。貴族の令嬢は、どんなに急いでいても――」
「貴女はラリマーが可愛くないの!? 妹がこんなにも悲しみ、傷付いたというのに注意とは何事ですか!?」
「っ、申し訳ありません」
――……何、コレ?
一体、自分は何を見させられているのかと問いたくなる。悪いのはマナーを守らず、当たり前の注意を受けただけで泣き出したラリマー。スカーレットは悪くない。貴族としては当たり前の注意をしただけ。なのに、母親であるアレイトは、泣いているラリマーには優しく声を掛けているのにスカーレットには非難の視線を浴びさせる。そこでアシェリートは、アレイトが来た時スカーレットが見せた表情の変化に気付いた。
――コレか……コレがあるからスカーレットは顔を強張らせたんだ。
言い訳もせず、ドレスの裾をぎゅっと掴むスカーレットの顔色は最悪だった。さっきまでの大輪の薔薇を連想させる笑顔をずっと浮かべていてほしい。アシェリートはスカーレットを庇うように前へ出た。
口を開こうとしたアシェリートの前に騒ぎを聞き付けたオルグレン公爵夫人シュガーが駆け付けた。口元をセンスで隠したシュガーの姿をアシェリートは知っている。この時の母の機嫌は最悪だと。最後に目にしたのは、捨てられていた子猫を飼うと決めた際名前を巡ってローズオーラと喧嘩を勃発させた時。
シュガーの冷えた紫水晶が渦中の者達をゆっくりと見ていく。最後にアシェリートを見るとシュガーは眉間に皺を寄せた。
「わたしが開く茶会の場に水を差すなんてどういうつもり?」
「も、申し訳ありませんっ! スカーレット! 貴女も謝りなさい!」
「黙りなさい。彼女は謝るようなことはしていないでしょう?」
シュガーはアレイトの言い訳を斬った。
「スカーレット嬢とアシェリートに飲み物を運んだメイドに聞きましたが、どう聞いても悪いのははしたなく走り出したラリマー嬢であって、注意をしたスカーレット嬢は悪くないわ。姉として当然の注意をしただけじゃない。それを何ですか? 泣いている子が被害者で注意をした子が加害者なのですか? 全く、どんな教育をしているの」
何時の間にメイドがシュガーに伝えたのか。アシェリートとスカーレットが意図もせず同じ疑問を抱いてメイドがいた方へ振り向くも誰もいない。
決して大声を出している訳でも激昂している訳でもない。淡々と、冷静に事実だけを述べていくシュガーを恐ろしい魔物を見るような瞳で見るラリマーはすっかりと怯えきってしまい、自分を絶対に守ってくれる母親に強く抱き付いた。アレイトもラリマーを守る為に抱き締めるも、その美貌は恐怖に染まってか真っ青だ。
言いたいことを全て言い終えたシュガーはすっきりとした面持ちで、事態を見守っていた他の貴族達に謝罪をし、使用人にアレイトとラリマーを客室へ運ぶよう命じた。フラフラと使用人に支えられないと上手に歩けないアレイトとアレイトに抱き付いたまま歩くラリマーの後ろ姿を……何とも言えない表情で見つめるスカーレット。
アレイトとラリマーの姿が見えなくなったのを皮切りに「公爵夫人」と呼び掛けた。振り向いたシュガーに精一杯の謝意として、深く頭を下げた。
「素敵なお茶会を乱してしまい、大変申し訳ありませんでした」
「貴女が謝る必要はないわ。我が公爵家の使用人はね、皆とても正直者なの。貴女が当たり前の注意をしただけだと信じたのもその為。顔を上げなさい。令嬢たる者、安易に人に頭を下げてはいけないわ」
さっきまでの氷の紫水晶は何処へやら。厳しくも暖かみに溢れた瞳でスカーレットを見つめた後、息子に彼女を任せシュガーはこの場を去った。
――その日の夜。
お茶会で一目惚れをしたスカーレットと婚約したいと言い出したアシェリートに公爵夫妻は非常に頭を抱えた。長男であるアシェリートは跡取りであり、ヴァーミリオン伯爵家の長子であるスカーレットも跡取りである。跡取り同士の婚約は出来ないと夫妻は説得を試みるも、頑としてスカーレットと婚約したいと駄々を捏ねる。最終的に折れたのは夫妻の方だった。
「いいかい? ヴァーミリオン伯爵に打診はするが向こうが快諾するとは限らないよ」
「どうして? 我が家は公爵家だよ?」
「先程も言いましたがスカーレット嬢は跡取りなのよ? 跡取りとしての教育を受けている彼女が嫁入りすれば、当然次の跡取り候補は妹のラリマー嬢になります。しかし、生まれた時から跡取りしての教育を受けているスカーレット嬢はともかく、あの甘えたが当主になる為の勉強に耐えられるとは思えないわ。それに、我が家が公爵家だからと言って何でも我儘が通ると思っていけません」
辛辣だが、説得力の言葉を吐くシュガー。
元々、シュガーと姉妹の母アレイトは魔法学院の同級生だった。貴族の夫人だけを集めたお茶会もよく開くシュガーは、学生時代の友人であるアレイトを毎回招待していた。その際に互いの子供達の話をよくする。優秀なスカーレットを立派な当主にしたい、あの子にはその才能がある、そのせいで寂しい思いをさせているかもしれないがスカーレットを一人前の淑女として育てたい。常々そう熱く語るアレイトは教育熱心な母親に思えた。少なくとも今日、当たり前の注意をされ泣いたラリマーを庇い、妹を泣かせたスカーレットを悪いと決めつける姿を見るまでは。
母として、息子があの少女を好きになったのは見て分かる。が、どうも嫌な予感がしてならない。しかし、予感だけでは息子を納得させられない。
その1か月後。両家の話し合いは漸く丸く収まった。ヴァーミリオン伯爵家はラリマーが婿を取って跡を継ぐ形で決着が着いた。婚約者としての顔合わせの日程も決まった。
その日が来るまでずっとそわそわし続けていたアシェリートをからかいながら、姉ローズオーラは両親の手伝いをした。
顔合わせ当日。お茶会で会っているとはいえ、婚約者となって会うとなると緊張が格段に増す。現に、スカーレットは表情こそ笑顔だが全身ががちがちに固まっているのはもろ分かりだった。心配そうにスカーレットを見つめる伯爵夫妻を横目にアシェリートは微笑んだ。
「これからよろしくね。スカーレット」
「は、はいっ。此方こそ、よろしくお願い致します。アシェリート様に相応しい立派な淑女になってみせますっ」
立派な淑女じゃなくてもスカーレットが隣にいてくれるなら幸せなのだ。
それからというもの、3日の間を開けてスカーレットに会いに行った。顔合わせの日にスカーレットの好きな花を聞いたアシェリートは必ず赤い薔薇の花束を持参した。渡す度にあの大輪の薔薇を連想させる笑顔を見せてくれるから。会話の内容は様々。昨日何を食べたとか、何を勉強したとか、日々に起きたちょっとした出来事を話すこの時間が恋をした少年には幸せな時間だった。
3日に1度の訪問は多いと姉に苦言を呈されるも、アシェリートは毎日でも会いたいのに3日に1回で我慢していると文句を言うし、訪問されているスカーレットもアシェリートの来訪を心待ちにしている節があった為それ以上は何も注意しなかった。
ある日、またスカーレットに会いに伯爵邸を訪れた時だった。今日は薔薇の花束以外のプレゼントを用意したアシェリートは、早くスカーレットの喜ぶ顔が見たくて客室でそわそわしていた。赤ん坊の頃から世話をしている主に専属侍女イネスが注意をした。
「坊ちゃん。落ち着いて下さい」
「分かってるよ」
「スカーレット様はもうじき来られます。そんな姿を見られては落ち着きがない方だと思われますよ?」
「ううっ。でも、ちょっと遅くない?」
「1分も経っていませんが?」
「ぐう」
――早く、早く来ないかな。
1分しか経っていなくてもアシェリートには長く感じられた。すると、扉がノックされた。失礼します、と紫色の髪の侍女と共に入室したのは待っていた緋色の愛しい少女ではなかった。青緑の髪に白い花飾りを着けたラリマーだった。
何故彼女が?
アシェリートもイネスも疑問を抱いた。
「あの、スカーレット様は?」
イネスが侍女に訊ねると「え?」と驚いた顔をした。後ろを向いた侍女はラリマーも入室したことに心底驚いていた。ラリマーが入って来たのを気付かなかったのか。
「ラリマー様、入ってはいけません」
「どうして? お姉様の婚約者なら、将来は私のお義兄様になるのよ? 少しくらいお話ししても良いじゃない」
「いけません。アシェリート様がお呼びなのはラリマー様ではなくスカーレット様です。すぐにお部屋にお戻りください」
「アメシストは私に意地悪ばかり言うのね! 私はお姉様の妹なのよ!?」
「ラリマー様っ」
「「……」」
目の前で起こるやり取りに既視感を覚えたのは、あの時のお茶会と一緒だからだ。当たり前の注意をされて自分は悪くないとラリマーは泣き出した。そこへ駆け付けたアレイトが泣いているラリマーを慰め、妹を泣かせたとスカーレットを叱責した。
アメシストと呼ばれた侍女は泣き出したラリマーにおろおろとする。雇われ侍女が主人の娘を泣かせる等あってはならない。例え、悪いのが娘でも。
――もし、ここをラリマー嬢に甘い夫人に見られれば……。
最悪の予想をしたアシェリートが本格的に泣き出し始めたラリマーに向けて言葉を発しようと口を開けかけた時。待ち侘びた緋色の少女が姿を現した。
「おまた……ラリマー?」
「お姉様っ!」
訪問者のアシェリートに会いに来れば、片割れのラリマーがいたことに戸惑うスカーレットにアメシストが説明をした。訳を聞いたスカーレットはラリマーに部屋を出るよう告げるも何故出て行かないとならないのかを理解しないラリマーは拒否をした。泣きが酷くなるラリマーをどう説得したらいいか、実の姉でさえ困っているのだから、他人のアシェリートではどうしようもない。
誰も自分がこの部屋にいてもいいと言ってくれる人がいないと漸く理解したのか、泣いたままラリマーは部屋を飛び出して行った。多分、母親のアレイトの所へ行ったのであろう。アメシストはスカーレットとアシェリートに「失礼します!」と頭を下げた後ラリマーを追い掛けて行った。
ラリマーという台風がいなくなった部屋は静に包まれた。振り返ったスカーレットは深く謝罪をした。
「お見苦しい所をお見せしてしまい申し訳ありませんでした」
「スカーレットは悪くないよ。顔を上げて」
「はい……」
頻繁に会っても心惹かれる美しい炎に燃える赤い瞳に輝きがない。妹のしでかした失態に怯える表情は見たくない。アシェリートはスカーレットにある物を差し出した。綺麗に包み紙に包装された小さな箱。
「開けてみて」
包み紙を破らないよう慎重に解いていく。現れた小さな箱を開けると――
「わあ……!」
上質な赤い布に包まれた1枚の栞があった。薔薇が描かれた栞をそっと持ち上げた。
「よく本を読むって聞いたから栞を作ったんだ。毎回薔薇の花束じゃ飽きちゃうと思って」
「いいえ! そんなことありません! アシェリート様から頂いたお花は全部大事にしています! こんな素敵な栞を頂いても良いのですか?」
「勿論だよ。スカーレットの為に作ったんだから」
「あ、ありがとうございます」
公爵邸の庭に咲く中で一番綺麗に咲いていた薔薇を描いた栞。ああでもないこうでもないと必死にスカーレットを喜ばせるべく描いていたアシェリートの後姿を眺めていたイネスは幼い主の目的が達成されて安堵した。頬を赤らめ、恥ずかしながらも喜びを露わにするスカーレットの姿が見れて達成感に包まれた。
「大事に使います!」
「うん!」
ずっと、この笑顔を見ていたい。
◆◇◆◇◆◇
◆◇◆◇◆◇
くるくるくるくる。
永遠に薔薇を回すアシェリートの頬に冷たい感覚が襲った。驚くと横にいたローズオーラがいつの間にか目の前にいて、氷の入ったグラスを手にしていた。冷たいのはグラスだったようだ。「はい」と差し出されたグラスを受け取った。
「レモンスカッシュ。さっぱりするわ」
「さっぱりしてラリマーとの婚約を受け入れろと?」
「誰もそんなこと言ってないわよ。大体ね、ラリマーとあんたの婚約云々は伯爵夫妻やラリマーが言っているだけで、我が家は認めていないわ」
「母上や父上は、俺がラリマーに好意を寄せていると思っていないのか?」
「甘く見るんじゃないわよ。息子が本当に好きな相手を見抜けない間抜けな親は、我が公爵家には存在しません。知っていたわ。全部。だからこそ、手遅れになる前に手を打たなかったことを後悔してる」
「姉上……」
「あんたもね、ちゃんと話すべきだったのよ。スカーレットを守ろうとした行動が全部裏目に出てこんなことになったのだから。ただ、その点についてはスカーレットもあんたを問い質せば良かったのよ」
「出来なかったんだろう。俺がラリマーを好きなら、ラリマーを非難するスカーレットが逆に非難されるのは目に見えている。……スカーレットは悪くない」
「……そうね。でも、アシェリートには無理でもわたくしには弱音を吐いてほしかった……なんて、わたくしのエゴね。事情を知っておきながら、何も教えなかったのだから」
教えなかったのは、何時、何処でラリマーの耳に入るかが怖かったから。ヴァーミリオン伯爵家の使用人の殆どは、アメシスト程ではなくてもスカーレットを気に掛けていた。ラリマーを中心に愛情を注ぐ夫妻に苛立ちながらも、隙さえあればスカーレットを甘やかした。例えば、スカーレットの食事だけにスカーレットの好物を入れたり、部屋の花瓶には赤い薔薇を飾ったり、デザートはスカーレットの好きなオペラにしたり、と。しかし、目敏いラリマーはすぐに違いに気付く。そうなるとラリマーは両親に泣き付きスカーレットが悪者にされる。使用人を使って悪質で陰湿だと説教されたことだってある。と、仲良くなった使用人からイネスが以前聞いたのだとか。
ふと、外の方が騒がしいことに気付いた。何だと2人が腰を上げ掛けると扉がノックされ、侍女のイネスが入室した。
「失礼します。アシェリート様、ラリマー様が来ておりますが」
「追い返せ」
事情を知らない周囲にはラリマーと両想いと思われているアシェリートから発せられた氷点下の声に動じる様子もなく、話を続けた。
「はい。追い返そうとしていますが中々帰ってくれません。アシェリート様から直接ラリマー様にお帰り頂くよう出てはもらえませんか?」
「大方、スカーレットがいなくなったのは自分のせいだと悲劇のヒロインぶってあんたに慰めてほしいのよ。全く、溢れる行動力をアシェリートに泣き付く方じゃなくスカーレットを探す方に注ぎなさいよ。それに加え、スカーレットがいなくなったヴァーミリオン伯爵と夫人はほぼ廃人同然と聞くけど?」
「はい。ヴァーミリオン伯爵邸に勤める友人の侍女が教えてくれましたが、スカーレット様は屋敷を出た日に離縁状と今まで育ててもらった恩だと多額のお金を置いて行ったのだとか」
「そう。それで綺麗さっぱり縁を切りましょうってことね」
「ええ。あと、今更後悔しているそうです。毎日毎日、屋敷にいないスカーレット様に謝って帰って来てほしいと」
「自業自得ね。……あんたもね」
「……一々言わなくてもいい」
「まあ、わたくしもだけど。さて、ラリマーの相手はどうしようかしら?」
「今は誰が対応をしてる?」
アシェリートの問いにイネスは「ベリルとルチアがしております」と告げた。幾何か考えた後、指示を出した。
「イネス。お前の水魔法で水浴びさせてやれ。ベリルとルチアには、後で特別手当を出すからと謝っておく」
「はい。では、思い切りやってきます。ベリルとルチアも濡れただけなら大して怒りはしないかと思いますし」
主の命に従い、玄関ホールで厄介な相手の対応をさせられている哀れな侍女2人の救援へ向かったイネスが部屋を出た。再びベッドに腰掛けたアシェリートは窓を見た。雲一つない快晴。広大な青空を自由に飛ぶ白い鳥。その鳥が何故かスカーレットに思えてしまう。
彼女は今幸せだろうか?
愛するものと一緒になれて心の底から幸せになれているだろうか?
もう自分にあの婚約者を幸せにする資格はない。
ヴァーミリオン家に於いて絶対的に愛されるラリマーが何よりも優先される。跡取りでありながら優秀であるのは当然だと決め付けられていたスカーレットが可愛い妹よりも愛されてはいけない。スカーレットを好きになっていく内、あの家の内情を知っていった。婚約者のスカーレットを優先するのは当然なのにあの夫妻はそれを良しとしなかった。
婚約を結んで迎えた初めてのスカーレットの誕生日。双子の姉妹だから当然ラリマーの誕生日でもある日。1か月も前からスカーレットの為にプレゼントを用意していたアシェリートは、当日になってローズオーラにある指摘を受けた。
『ねえ、スカーレットのプレゼントがあるのは当たり前だけどラリマーの分もあるわよね?』
『え? 用意する必要が何処にあるのさ? 僕の婚約者はスカーレットだよ?』
『馬鹿。あの姉妹は双子よ? スカーレットの誕生日でもあり、ラリマーの誕生日でもあるのよ? もう、スカーレットと関わって嫌という程知ったでしょう? あの家は、妹のラリマーを何よりも優先するって。ラリマーに懐かれてるあんたがプレゼントを用意して来なければ、悪者にされるのはスカーレットよ』
『どうしてだよ! 用意しなかったのは僕なのに!』
『ラリマーしか見ていないあの夫妻には、未来の義兄に懐く妹を邪険にする姉としか映らない。アシェリートがプレゼントを用意してなくても責められはしないわ。あんたは公爵家の跡継ぎなのだから。良い?どうせ用意していないあんたの代わりにわたくしがラリマーの分も用意したわ。ちゃんと! 自分で! 考えて選んだと思わせなさいよ?』
『……分かったよ』
渋々了承したアシェリートに大きな空色の布袋を押し付けたのであった。
ヴァーミリオン伯爵邸で開催された姉妹の誕生日パーティーは盛大なものだった。交流のある貴族達が次々にお祝いの言葉を述べ、プレゼントを渡していく。スカーレットの対応は流石と言わざるを得ないが、ラリマーの方もぎこちないが許容範囲ではあった。将来ラリマーと結婚し婿養子となる伯爵家の次男が姉妹にお祝いの言葉と共に誕生日プレゼントを渡した。スカーレットは礼儀正しく、笑顔を浮かべて対応するのに対しラリマーの表情が些か変なのにアシェリートとローズオーラは不審に思う。も、次は自分達の番。先客がいなくなるとアシェリートとローズオーラは、今夜のパーティーの主役の元へ向かった。
『誕生日おめでとうスカーレット』
『おめでとうございますスカーレット』
『ありがとうございます。アシェリート様、ローズオーラ様』
『ラリマー様もお誕生日おめでとうございます』
『は、はい……。ありがとうございます』
スカーレットはアシェリートとローズオーラの姿を目にすると心からの笑顔を浮かべた。将来の義妹の笑顔に弱いローズオーラと最初からベタ惚れなアシェリートは頬が熱くなるのを感じる。ローズオーラはこの時失敗したのを気付けば良かった。スカーレットしか見えていない弟にラリマーへの祝いの言葉はどうしたと。
アシェリートは赤い薔薇の花束をスカーレットに、次にラリマーに手渡すと後ろに控える侍女からもう1つのプレゼントを受け取った。
『花束は公爵家からの物だよ。僕個人のプレゼントはこれ』
『まあ! とても嬉しいです! ありがとうございます!』
四角い小さな箱をスカーレットに渡したアシェリートは満足げに頷くと、水色の大きな布袋をラリマーに差し出した。
『ラリマー嬢にはこれを』
『ありがとうございます!』
今日一番の笑顔を見せたラリマーには目もくれず、プレゼントを渡すと直ぐ様意識はスカーレットへ向く。開けてみてと促した。
『ここで開けるのですか?』
『嫌?』
『アシェリート様からのプレゼントですから、部屋でゆっくりと見たいですわ』
『僕は今すぐに開けて見てほしい。スカーレットがきっと喜ぶ物だから』
『分かりました』
そこまで言われればスカーレットも開けざるを得ない。包み紙を破らないよう慎重に開いていくとスカーレットの髪や瞳と同じ色のジュエリーケースが。緊張して蓋を開けると炎に燃える瞳が大きく見開かれた。
中には、薔薇の形に施されたルビーのブローチが納められていた。高価で目立つ色を放ちながらも決して派手ではなく、凛とした色を放つ。今日この日の為にアシェリートは、自分でデザインをしたブローチを宝石商からルビーを買い取り腕の良い宝石職人に作らせた。ブローチに見惚れていたスカーレットは顔を上げ、アシェリートが恋した笑みを見せた。
『とても素敵なブローチですね! 一生の宝物です!』
『良かった気に入ってくれて。来年もスカーレットの一生の宝物になるように頑張るね』
『ふふ。それですと、私の宝箱にはアシェリート様からのプレゼントで一杯になってしまいますわね』
『是非そうして』
『ふふ、はい。私もアシェリート様のお誕生日には、素敵なプレゼントをご用意します。是非、楽しみにしていてください』
『うん!』
端から見たら婚約者の少年少女の微笑ましい光景に見えただろう。スカーレットがアシェリートと仲が良いことに珍しく両親である夫妻も穏やかに見守っていた。……たった1人を除いて。
ローズオーラもスカーレットに個人としてプレゼントを渡した。勿論、ラリマーも忘れてはいない。スカーレットには髪飾りを、ラリマーには貴族の令嬢に流行りな香水をプレゼントした。因みに、アシェリートが渡したラリマーのプレゼントは、これも最近貴族の令嬢の間で流行っている高級人形テディ。クマの人形である。
この日の誕生日パーティーで2人の絆は更に深まった。
……のが、いけなかったのだ。
この日を境に急にラリマーからの接触が増えていった。相変わらず3日に1度、伯爵邸を訪れるアシェリートの元へ誰よりも早くラリマーがやって来る。侍女にスカーレットを呼んで来るよう頼み通された客室でスカーレットを待っていても、何故かラリマーがいる。遠回しに部屋に戻るよう促しても泣きそうな顔をして嫌がる。泣かれては面倒臭い。専属侍女イネスに助けを求め、代わりにイネスが対応してもラリマーは聞く耳を持たなかった。
そうこうしている間にも呼ばれたスカーレットが身支度を整えて現れる。呼ばれてもいないラリマーの姿に何度頭痛を起こしたことか。スカーレットが注意をしてもラリマーは泣き出し部屋を飛び出して行った。その度にスカーレットはラリマーの不始末を詫びる。そればかりを繰り返しているとスカーレットの表情に段々と笑顔が消えていく。このままではいけないと、とアシェリートは1つの提案をした。
『ねえ、スカーレット。僕、伯爵邸へ来る回数を減らすよ。ただ、その代わり手紙をたくさん出すよ。その手紙の中に次に来る日を知らせる。これなら、ラリマー嬢に知られることもないよ。彼女が毎回来るのは、僕が3日に1回、決まった間隔で来るからだと思う。ちょっと寂しいけど我慢してね』
『いいえ。迷惑を掛けているのはラリマーの方です。アシェリート様が申し訳なく思う必要は何処にも御座いません。本当でしたら、私の方から対策を取らないといけないのに』
『こういうのはね、他人の方がやりやすい部分もあるんだ。じゃあ、帰ったらすぐに手紙を書くよ』
『はい!』
この手紙作戦も最初は上手くいった。
だが、長くは続かなかった。
何度目かの時に訪問すると誰よりも早くラリマーが出迎えた。
――何故? どうして? 何処で知った?
呆然とするアシェリート。今日この時間に来ると知っていたスカーレットが玄関ホールへ来ると同じく呆然とした。スカーレットがラリマーに教える筈がない。ついヴァーミリオン伯爵家に仕える使用人へ鋭い紫水晶を向けるも皆首を横に振る。見つかってしまったのなら対応しないといけない。アシェリートは当たり障りのない挨拶をラリマーに述べた後、手土産用の薔薇の花束をスカーレットへ渡した。一度、薔薇以外に好きな花を聞くと『赤い薔薇が一番好きです』と言われたので花は必ず赤い薔薇を渡している。ここでスカーレットだけを相手にするとラリマーはすぐに泣き出し、絶対的味方である母親の所へ走り去って行く。泣かれては面倒だと思いながらもスカーレット以外と話したくない。それを必死に隠し、今日のお喋りにラリマーもおいでと受け入れた。
スカーレットもきっと分かってくれる。ラリマーを無下に扱えば悪者にされるのはスカーレット。だから、ラリマーを丁寧に扱わないといけない。
……けれど、それが最大の間違いだったのだ。
「……姉上」
「なに」
「ラリマーを無下にすればスカーレットが責められる。そう思ったから、ラリマーを丁寧に扱ってきた。最初はスカーレットも分かってくれていたんだ。……それが何時から違ったんだろうな」
「……わたくしの予想だけどね。スカーレットは諦めてしまったのだと思う。最初はあんたが言うように分かっていた筈よ。でも、段々と不安になっていったのかもしれない。必要以上に丁寧に妹と接する婚約者に」
「……」
「ラリマーを無下にすれば悪いのはスカーレットとなる。そうね。確かにそうかもしれない。何故なら、あの家ではそれが常識だから。そして、ラリマーと親しげになっていくあんたを見ていく内こう思ったんだわ。
“アシェリートもやっぱりラリマーを好きになる”って」
「っ!」
スカーレットがいなくなった日の朝、1枚の手紙がアシェリート宛に届いた。内容は至極シンプルなものだった。
“ラリマーと結ばれてどうぞお幸せに”
文字を見た瞬間全身の体温が急下降した。また、姉ローズオーラ宛にも今までお世話になったお礼と最後の非礼を詫びる手紙が届いていた。2人は急いでヴァーミリオン伯爵邸まで馬車を走らせた。到着した伯爵邸は騒然となっていた。全使用人が必死にスカーレットを探していた。夫妻の場所を聞くとスカーレットの部屋で泣き崩れていると聞き向かった。
そこでは、長年伯爵家に仕える執事が手紙を握り締め涙を流すヴァーミリオン伯爵や狂ったように泣き喚くアレイトを必死で落ち着かせようとしていた。
アシェリートとローズオーラは知った。ちゃんとこの夫妻にも、もう1人の娘を愛する情があったのだと。2人に気付いた執事は静かに首を横に振った。その意味を察し、2人はその場を去り。イネスと親しげにしていた侍女を捕まえて事情を聞いた。廊下ではあれだからと客室へ通される。侍女は扉を閉める前キョロキョロと周囲を確認してから閉めた。
『スカーレットは何処へ行ったの?』
ローズオーラの問い。それは誰もが知りたい情報。侍女は首を振った。
『分かりません。スカーレットお嬢様の部屋には、除籍を求める離縁状と育ててもらった恩として多額のお金が置いていました。それ以外は何も……』
『……』
除籍を求める。それはつまり、スカーレットは平民となることを望んだ。
ふと、長年スカーレットの専属侍女をしているアメシストはどうしたとアシェリートが訊ねると驚く事実を聞いた。
『アメシストは9日前に侍女を辞めて実家へ戻っています。弟君の病状が悪化しているとのことで』
『そうか……』
『……このようなこと、侍女である私が言うのは烏滸がましいかと思います。罰なら後で受けます。なので、言わせてほしいのです』
侍女は涙に濡れた瞳でアシェリートを睨み付けた。
『アシェリート様っ、何故スカーレットお嬢様を大事にして下さらなかったのですか?』
『っ』
『スカーレットお嬢様にとってアシェリート様が唯一の人だったのに、なのにっ、何故ラリマー様なのですか?』
侍女の言葉が太く大きい刃となってアシェリートの心臓を刺す。スカーレットがアシェリートをラリマーが好きだと認識しているように使用人達もそう見ていた。
『何故誰もスカーレットお嬢様を見てあげないのですかっ? 旦那様も奥様も自業自得です。今更後悔した所で遅いのです。スカーレットお嬢様はいつも頑張っていました、跡継ぎとして、貴方の婚約者となってからは貴方に相応しくあろうと努力していました。それを……っ』
そこまで言うと侍女は泣き崩れて言葉を発せなくなった。嗚咽を漏らし、泣き声を押し殺して泣く侍女をローズオーラが背を擦る。ローズオーラがアシェリートを見上げる。
スカーレットには勘違いのままあのような手紙を貰い、侍女にはこのように責められる。
“自業自得”
そうなのだろう。全部、自業自得なのだ。正直に言えば良かった。本当に好きなのはスカーレットだと。何なら、結婚を早めてすぐにでも公爵家に住まわせたら良かった。今時学生婚は珍しくない。そこにラリマーはいない。ラリマーを盲愛する夫妻はいない。そこでなら、正直にスカーレットに告げられた。
……だが、後悔した所で結局後の祭。全て遅い。
その後どうやって自分の部屋へ戻ったか覚えていない。思考が正常に働かなかった。
こうしてローズオーラが部屋に訪れて漸くまともに喋れるようになった。
「スカーレット……」
空から、また薔薇を見た。両親である公爵夫妻がどう動くか未だ不明。だが、これだけははっきりとしている。
「俺はお前だけを愛している――……」
あの日、あの炎に燃える赤い髪と瞳の美しい少女に恋をした。
これから先もずっと恋をし続ける。
そっと、薔薇の花弁に口付けをした。
もう2度と想いが届かない愛する女性に想いを告げるかのように。
「……」
――ごめんね……アシェリート
心の中で謝ったローズオーラはアシェリートからそっと視線を逸らした。
ずっと、貴族の令嬢として育てられていたスカーレットがどうやって多額のお金を手に入れたのか。ローズオーラは水と土の複数属性の持ち主。複数属性の魔導士は他にはない新しい魔法が扱える。ローズオーラの場合は植物魔法。種類や季節を問わず、あらゆる植物を育てる魔法。その魔法で育てた花は通常の花よりも長く美しく、そして芽が出ても花を咲かせるのは稀だと言われる程珍しい花ですら咲く。オルグレン公爵家と馴染みの深い大商人に世界各地の、ありとあらゆる植物の種を提供してもらい、それらを最高の品質に保って大商人へ売り付けていった。また、花の寿命を長引かせる為にスカーレットの光魔法も使った。他にも様々な商品を大商人に提供しては多額の金銭を受け取った。
全てはスカーレットの為に。
オルグレン公爵夫妻も知っている。知らないのはアシェリートだけ。
――若しものために貯めたお金が本当に使う日がくるなんてね……。でも、良いのよこれで。
スカーレットが、義妹が、友人が幸せになってくれるのなら。
商品提供にはスカーレットも大きく関わっている。報酬を受けとる義務があると無理矢理押し付けて良かった。また、スカーレットには内緒で7割を渡していた。3割と伝えていたが嘘。でなければ、多額のお金を置いて出て行く等出来ない。お金の管理はしっかり者のアメシストに任せていた。アメシストが侍女を辞めた本当の理由は、先にスカーレットが逃げる場所へ行って家を整える為。病の弟は、1年前スカーレットが見つけた腕利きの治癒術師のお陰で普通の人より頑丈な体を手に入れて健康そのものだとか。
――でもね……
ローズオーラは送られてきた手紙の最後の文面を思い出す。
“遠い場所へ行ってもアシェリート様の幸せを願っております。きっと、私はアシェリート様以外の人を好きになれません。ですが、アシェリート様がラリマーと結ばれて幸せになるのなら……あの人の幸せは私の幸せです。最後に、きちんとお別れの挨拶が出来なくて申し訳ありません”
――あんた達は……ちゃんと自分の言葉を正面から相手にぶつける必要があったのかもしれない。一番の原因はうちの弟だけど! それでも……!
ローズオーラは零れ落ちそうになる涙を袖で乱暴に拭った。
ベッドから立ち上がって部屋を出た。窓越しから見える空には鳥が自由に飛んでいる。
愛する自由を手に入れたスカーレットがどうか幸福であるように……。
これからの為にローズオーラは歩き出す。
――何時か、何時かあの馬鹿を蹴りあげて貴女に会いに行くわ。例え貴女が拒絶してもあの馬鹿にきちんと言わせる。
それが知っていながら、何も出来なかった自分が出来る唯一のこと。
そう信じてローズオーラはまずは顔を洗う為に洗面場へ向かったのであった。
ーおまけー
屋敷から抜け出し、平民としての生活を送ること1週間。ずっと貴族令嬢として育った為にまだまだ慣れないことが多い。アメシストやアメシストの弟がいなければ生活は出来なかった。だが、それを含めて苦しいと思わない。楽しい、という感情しかない。掃除も洗濯も料理も買い物も、何もかもが初めてだらけで楽しい。今日も朝食の準備にアメシストの手を借りながらチャレンジしたスカーレットだが、結果は残念に終わった。
焼くのを通り越して炭化した目玉焼き。魔法で扱う炎はちゃんと制御出来るのに料理で使う炎となると上手くできない。料理と魔法は別物だとアメシストに言われたが全くその通りである。
肩を落とすスカーレットを慰めるアメシスト。しょんぼりとしたまま朝食を終え、片付けをする。
暫くの間はゆっくり過ごしてください。そうアメシストやアメシストの弟に言われ、基本家事をする以外することがないスカーレットは私室で好きな本を読んでいた。
これからのことは落ち着いてから話し合う。そう決めたから。
昨日読んでいた本のページには古い栞が挟まれていた。子供の頃アシェリートに貰った栞。
「……」
屋敷を出るまでに荷物を整理した。
その中にはアシェリートがくれた宝物が沢山あった。両親や友人からの物は全て置いて行ったのに、アシェリートに貰ったプレゼントだけ全部持って来てしまった。
「馬鹿ねえ……」
置いて行けば良かったのに。そうすれば、いつか初恋は思い出となるのに。
「アシェリート様……」
スカーレットは栞を持ち上げ、そっと口付けた。
「貴方がラリマーと結ばれても……貴方だけを愛しています」
スカーレットとアシェリートの気持ちが通じる日はきっと……――。
来るのか、来ないのか
どっちでしょうね