終わりへのカウントダウン
『 八月十九日 いつも暑いのだが、いつもよりも更に暑い日だ。こんな暑い日には地上で蝉が五月蝿く鳴いていたような気がしたのだが、もう暫く聞いていない。そういえば、虫の声というものを今年は聞いていない。一昨年辺りから静かなものだとは思っていたが、愈々全くになってしまった。地上に出て声を探しまでしてみたのに、遠くにだって聞こえないのだから、きっともういなくなってしまったのだろう。賑わっていたこの辺の住民と同じように、いつ襲われるかわからない恐怖に怯えて、大急ぎで逃げていったのに違いない。大規模な引っ越しに連れられて、虫たちまで行ってしまったのに違いない。静かでも暑さだけは変わらないのが、生き物というものの弱さを僕に教えてくれるようだった。生あるものにはみな死があるというならば、多くの死が混雑しているこの場所で、この時に、僕も紛れて死を享受しておきたいものであった。罪人である僕にそれは許されない』
『 八月二十日 昨日ほどではないにしろ、今日も暑い日である。夏なのだから暑くて当然でもあるが、それだけじゃなくて、特別今年は暑い。僕の作っていた兵器たちのいずれかが、気候にまで影響を及ぼしていることを勘付かないでもなかった。科学的に証明してしまったら、僕の罪が重ねられて重く重く圧し掛かってしまう、この身だけでは支えられないほどに大きく膨らんでしまうだろうから、はぐらかし続けるしかないのだろう。それは科学者の性分に反するものではあるが、もしこの身に負える罪ならいくらでも負うにしても、溢れて彼女に降りかかってしまうことが怖いので、それほどの覚悟は僕にはないものだからはぐらかすことにする。マッドサイエンティストは、どれほど世界に影響を及ぼしてしまっているのだろうか。いつだったか、「きっとあなたは罪人よ。そして私は、きっと無罪。そうなることになっているからね」と彼女が言った。そうなることになっているというのは、どれほどの秤までなのだろう』
『 十月一日 今日、戦争が終わるだろうと思われた。そう思っていたのだけれど、そうはなってくれなかった。殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した殺した、ああ、殺した! 罪深くも多くの命を死なせておきながら、まだ争いは終わらないらしかった。殺されるものは無差別で、いつだってそこに罪はなかったが、今度は全くの罪の心さえないはずの子どもまでを殺すとのことだ。その情報が僕には入っていたけれど、到底そんなことは知らないというふりをして、どこへも逃げられない残酷な凶器を開発する。人を救うための科学だと思っていた頃に、もう僕は戻れないのだろう。この手が悪に染まっているのだということを知ってから、諦めるだとかそういったわけではないけれど、それが正しいことであるように、また常であるように思えてしまったのだろう。つい先日まで暑い日だったと思うのに、今日は妙に肌寒い一日であった。十月の始まるということは、こんなにも切なく苦しいことなのだろうか。時間が流れたというだけのことか、それとも十月というものが本当に意味を持っているのか、もはやわかりやしなかった』
『 十一月二十二日 語呂合わせで、いい夫婦の日だ。ところで、夫婦がともに生き残っている市民はどれほどいるのだろうか。社会のことは専門外であるから、何かを知るでもないのだし興味があるでもない。ただ、隣にいてくれる彼女を見ていると幸せが込み上げて来て、この幸せを守れている人はどれくらいいるのだろうと考えてしまう。僕は死ぬその瞬間まで幸せでいられることが保障されている。愛おしい彼女にはそれが許されない。いい夫婦の日、これほど今の世に相応しくない日があるだろうか。せめてこの上だけでも世界に不釣り合いなこの日が報われるように、僕は書き記そうかと思う。最期まで彼女のことは当然に想い続けるのだけれど、それを口にする余裕があるのも、文字にする余裕があるのも今のうちまでだろうから。だから、たくさんたくさん、愛を伝えよう。他の人とは違って、僕は終わりの瞬間がなんとなくは見えている。突如として訪れる終わりよりはよっぽどいいはずだ。だからそれまでの間に、たくさんの愛を届けよう。隣にいられないとしても、寂しい思いをさせてしまわないように』




